キット屋倶楽部
キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』

第一回「理想の音って?」

 オーディオでも楽器でも、そしてその目的である音楽再生(再現)に適した自分なりの理想の音や理想とする音があると思います。オーディオにおける理想の音や再現というのを言葉で表わすとオーディオ雑誌やその評論家が使う言葉が多いのではないかとと思います。
 これは当然のことで不特定多数に抽象的なものである音や音楽を説明するのには共通文言を使わざるを得ないからです。定位、音場、帯域バランス、見通し、音数、SN比、とか、固い、柔らかい、美しい、松ヤニが飛び散るような、鳴り、響がとか、、等などオーディオ雑誌には枚挙にいとまがないほど沢山使われています。
 ただし、気をつけなければいけないのは、この言葉の理解にしても同じ体験で共有できているとは言い切れないことです。各自身の経験やイメージによってその意味するところは100人いれば100通りのものかもしれないという怖いところが内包されているのではないかとも思います。同じ環境で同時に聴いてもその印象は様々あるということがそれを証明しているのではないでしょうか。

 大橋さんと交流させて頂くようになって、私は楽器を演奏し、主にオーケストラで音楽を創っている立場から、そして大橋さんはオーディオのプロの立場として様々なことをメールを通して意見や考えの交換をしてきました。

 その音楽を楽しみ、聴くというオーディオの目的の中でその再生において大切だなと思ったキーワードがあります。「鮮度」と「響」、そして「バランス」。それらを具体的に関連する要素としては帯域バランス、発音と減衰、基音と倍音のバランス、です。実は楽器の能力や演奏においても大切な要素であることは私にとって大変興味深い発見でした。

 各弦と音域のバランス、発音と響そして減衰、基音と倍音のバランス、これらは良い弦楽器と適切な音楽表現の為の技術に必須な要素なのです。当然それらがバランスすることによる響の美しさや表現の幅を豊かにするダイナミックス、芯のある音、響の多様性で表現する音色のパレットの多さ。

 楽器にしても名巧が自分の理想とする音や音楽表現の出来ることをめざしてそれぞれ個性的な固有の音色やバランスをもっています。これらに絶対ということはありません。
 オーディオにおいても各メーカー、はたまた自作等で、各社各位が自分の理想の音楽再現や音を求めて多様な音がありますし、実際には各システムを自分の環境においてセッティングしたりチューニングしたり、各種アクセサリー等を使い、自分の理想とする音が出るように使いこなしてゆく。

 良く聞くことですが、同じメーカーの同じ機種であっても特にプリアンプ等はスペック上は工業製品であり同じですが人間の感性の世界にかかるとまったく同じ音というのは存在しないそうです。

 もっと身近ですと、自動車なんて工業製造の粋をつくして作ってクオリティコントロールをしていますが、当然構成点数が多い為に「当たりやハズレ」があることは良く聞きますし体験された方も多いかもしれません。

 そして、慣らし運転も(最近は必要ないと主張される場合も多いようですが)やはりきっちりしてあげるのとしないのでは長期間での調子に少なからず作用するようです。
 オーディオでも真空管はもとより、各電子パーツでもきちっとしたバーンインやエージングによって驚くほど音やその安定作動に違いが出ます。自作であれば、キットであってもその作り方によって厳密には同じ音にはならないでしょう。

 楽器もご存じのように鳴らし込みや木の振動与えながら(演奏されるということ)年月による主に木の枯化で音はどんどん変化してゆきます。でなければ作られて100年200年、300年とたった楽器のほうが音楽表現において抜群の効果を出すということはありえないでしょう。ただ、誤解して頂きたくないのは、名巧による良質な木材、適切な工作技術、そして適切なメンテナンスや修理をして、かつ良質な奏者に弾き続けられてきているという条件があり、名器というものはまさにその条件を持っている訳です。
 適切でない条件で作られていない楽器は何百年たってもただの中古楽器であって名器にはなりませんし、新作であっても素晴しい楽器や将来の名器になるものは初めから素晴しい楽器であるということはご理解して頂きたいと思います。

 良い楽器は適切な奏者の技術によって驚くほど多彩な音のパレットを持ちかつ音が通るものです。例えば有名なストラディバリウスは、相当な演奏家でも初めて使用する場合はその適切な弾き方を習得するには1、2年かかると言われているくらい普通の楽器とは演奏する感覚がまったく異なります。実際弾いてみますと耳元では「これで音が通っているの?」というくらい大きい音として感じません、でもホールの隅々まで音が響き通って行きます。逆に自己満足でガリガリとパワーにまかせて弾くとまったく鳴らないし音が通らない。

 言ってみれば名器というのはF-1カーのようなもので、それこそ300キロの世界で紙一枚の差のライン取りが可能であり、当然、その能力を発揮させるには、それ相応のテクニックが要求される訳です。また楽器本体は弓という最良のパートナーがなければ演奏出来ませんし、これも大きくその音や音楽表現に関わり、また奥深いものがあります。
 これは別に機会があればお話しさせて頂きたいと思います。

 オーディオというものはどなたでも音楽を聴き、楽しみたい。まさにステージを聴いているような音を自宅で実現し「音楽を楽しみたい」というのが多くの方の当初の動機ではないでしょうか。

 でも、オーディオという世界は抽象的な音や音楽というものを対象にしている関係で、どうしても個人の感性の世界になってきます。また、聴衆というものは友人達と一緒に聴くというような特殊な場合を除いて、全て自分の中で自己完結しているものと思います。ある意味で自分の頭のイメージと実際に出てくる音を判断する自分とのせめぎ合いになります。
 ここがオーディオを奥深い趣味として成立させているところでもありますし怖い世界でもある訳です。
 お金を頂いて不特定多数にお聴き頂く「演奏会」や「演奏」という行為とはある面まったく異なるベクトルを持っている訳です。

 また、その演奏会は録音はあるかもしれませんが、聴衆と演奏者とホールの空間で実現された一期一会の世界です。2度同じ演奏また体験は出来ない訳です。

 音楽の世界では、演奏する立場でも聴衆の立場でもこういうことが起こります。
  知っている(慣れている)/知らない(慣れていない)=良い/悪い
  好き/嫌い=良い/悪い
  出来る/出来ない=良い/悪い(これは演奏者側の話しですが)
 特にアマチュアの趣味の世界では起こります。プロでも無いとは言いません。
 これは恐ろしいことだと思います。ただしお金を払って聴く聴衆の方々がどういう感想を持つかはまったくの自由だと思います。
上記をなぜ書かせて頂いたかというと、先に書かせて頂いたようにオーディオはある面、音を出す行為と聴くという行為が同時に自己完結しているということで、自分のシステムからの音を上記の演奏者と同じようなトラップにかかって全てを評価してしまう危険性があるということを言いたい訳です。
 まあ、自己完結した趣味の世界、誤解を恐れずに言えば「自己満足」の世界でありますので、本人が満足しているのであればどんな再生音であっても誰の迷惑にもなりませんので、どうでも良いこととも言える訳ですが。

 それではロマンがない夢がない、と大橋様を悲しませても仕方ありませんので、それを前提としながらも、一歩進めて建設的な話しで進めさせて頂きたいと思います。

 折角、この発表する機会を頂いていますし、それを書くに至らしめた動機は、実際の演奏会に時には足を運んで頂き、「生」の音楽体験を是非していただきたいということが一つにあります。またそこからオーディオという趣味をより深いものして頂くことも出来るでしょうし、何よりも、一層音楽を楽しんで頂けるようになるのではないかと思うからです。

 どこ、とは言いませんが、プロという名において音楽家また芸術家が音楽を演奏するというより、やっつけ仕事のサラリーマン根性丸だしのつまらない演奏が演奏会という生の状況において無いとは言いませんし、わざわざホールまで出かけていってお金と時間を使ってそんな演奏をされたら頭にきますし、余程CDを聴いていたほうが良い演奏の場合もあるということは否定しません。
 世界屈指のオケと指揮者であってもまったくキズのない実演(聴衆が気付かないレベルを含めれば)というのはほとんど存在しません。
 CDではライブ録音とは言っても、ステージリハーサルやGP(ゲネラルプローベ)も録音しておいて本番のキズにはそれを繋いでしまうことがほとんどですし、最近のデジタル技術によって目立たなくもしてあります。でも実際の演奏会での感動というのは、そのぎりぎりの所を100人前後ものオケが目指して実現出来たエネルギーやその表現が「感動や名演」というものにつながることは演奏会に良く行かれるかたはご存じだと思います。
 変な例えですが、「肉は腐る手前が一番おいしい」というのと似たようなものです。
 崖の縁を緊張感をもて歩くようなリスクぎりぎりの演奏(またはそのように感じさせる演奏)は、とてもスリリングで実際、名演となる場合が多いようです。

 逆にその各オーケストラの能力において安全圏内ばかりで演奏されるものというのはキズが無くても少しも面白くありません。良い指揮者はオーケストラという人間の集団をぎりぎりの所(その中にもオケと指揮者との信頼感で安全なマージンは存在しますが)まで演奏してくれるように持ってゆきます、当然卓越した解釈や音楽の理解があって成り立つ訳で、音楽のルールを無視してオケを追い込めば、無視されるか、オケが崩壊するかどちらかです。
 優秀なオケであれば無視を決め込み、コンマスや各トップを中心にアンサンブルをして演奏を行って終わらせてしまいます。
 オケにはこんな言葉があります。「上手にゆけば指揮者のおかげ、下手だとオケのせい」
 そういう風に聴衆は感じるのだ、という説明です。
 まあ、その逆に超一流のベルリンフィルやヴィーンフィルであれば、「指揮者が悪い」と思ってもらえる場合もあります。
 こんな話しがあります、ある演奏会であまりにも指揮者が出鱈目や無理を言うので、コンマスがその指揮者に「本当にあなたの指揮の通りに演奏して良いのですか?それでも良いのであればそうしますが。」と。
 まあそれが言えるのは実績がある超一流のオケの場合で、ほとんどは指揮者のせいなのにオケのせいになってしまうのが一般の聴衆の反応であります。なのでヘボ指揮者を無視して自分達の評価を自己防衛する場合のほうがほとんどです。それでも一流のオケはそこそこの演奏が出来るアンサンブル能力を有していますし、自分達のオケの響を実現してゆけます。でもそれが出来ないオケは自分達の安全圏60%位でサラリーマン演奏を展開して本当につまらない演奏をしてしまいますので、まあそれはオケのせいともいえなくもありません。

 最近優秀な演奏や録音が増えてきた古楽器(バロック楽器やクラシック楽器のピリオド楽器)による演奏ですが、実演を聴かれると分かりますが、実際の音量はモダン楽器から比べるとかなり小さいものです。でも、適切なホールの大きさと残響のある所で聴けば、モダン楽器では実現出来ない素晴しい響を感じることが出来ます。
 でも実演を聴いたことがないで、CDを再生している方は多分モダンオケと同じような音量で聴かれている場合もあるのではと思います。もし実際の演奏会と同じような再生を目指していらっしゃるとすれば絶対に実演を聴かれたほうがよろしいかと思います。
 はっきり言って1500人以上のホールでは相当前の席にすわっていないとピリオド楽器によるその緻密なアンサンブルや響は感じるのは大変だと思います。逆に再生であれば大きな音にも出来ますから別な意味で楽しめるとも言えなくないのですが。まあそれにしても実際の音や響を知って自分のオーディオの楽しみに活用されることをお薦めします。


「近い音」「遠い音」
 この概念は大橋さんがそのHPひとりごとに書かれたものでそれをお読みになった方も多いかと思います。
 因みに私は「近い音」が好きなので、そのようにシステムをセッティングしていますが、遠い音を理想とされる方はホールでも少し残響を感じられる2階席やステージから離れた席の音を好まれる方が多いようです。
 これは単純に好みの問題ですので良い悪いはないし、まさに絶対の音などはありようもないのです。
 実際の演奏会だって聴く位置によってその聞こえ方やバランスは驚くほど変化しますし、場合によってはその演奏の印象も変わってしまう程です。ホールによっても聴く位置で多種多彩な変化をしますし、聴覚以外の人間の感覚の情報である視覚という変化も大きくその印象を左右するものでもあります。

 最近はAVのマルチチャンネル再生と画像が楽しむことが出来ますが、2chのピュアオーディオですと聴覚のみの情報によって音楽を判断する訳でその分奥深いと言えると思います。というのは、実際の演奏会で定位が、音場がと言うことはまずありません。それは視覚による情報とホールの響のもたらす無数の反射される残響によって気にならないほどの情報量が一気に聴衆である人間に流れこむからだと思います。場合によっては処理しきれない(認知できない)情報を含め大量にあるからかなと思っています。

 もし演奏会に行かれたら、その視覚情報を断ち目をつぶり、そして自分のシステムが目の前にあるつもりでその音を聴いてみてください。もしかすると定位が悪い!なんて思うかもしれません。
 フルオーケストラの演奏を目をつぶって聴いて本当にどの楽器がどこにあるのか言い当てられますか?なかなか難しいことだと多分ご理解頂けるのではないかと思います。でも目を開ければ、納得安心、きっちりその楽器の場所から音が聞こえてくるような感じがするかもしれません。
 そんなものなのです、実は人間の感覚は鋭敏ですがいい加減なものなのです。記憶なんていうのも結構時間がたてば美化されたり、頭で納得して記憶に格納する瞬間にその認識や言葉が一人歩きしてゆくものなのです。

 体調によっても音楽の印象は変わりますし、会社で嫌なことがあってぎりぎりで会場に駆けこんでも汗は出てくるし、すぐにはその音楽に集中できないこともあるのではないでしょうか。


「一期一会」

 人間は同じ音を連続して聴くと不気味に感じたり不安に感じるものです。
 それを利用しているのがホーラー映画等の効果音。急に予測できない大音響や小さな音の持続の後に急に大きい音で映像以上に恐怖を与えたりびっくりさせたりする訳です。
 音楽の和声の進行というものは人間が自然に感じる起承転結のようなもので、そこに変化を与えたりすることで音楽を推進したり展開してゆきます。
 その理論を実際にその「鋭敏かつ鈍感な人間の感性」に合わせたり利用することで、演奏効果を上げる、または作曲家の設計したものをきっちりと聴衆に伝えるということが再現芸術たる音楽の演奏法の重要な部分です。
 また、天才と言われる作曲家は当然のことながらその部分を作曲に有機的に折り込んで設計しています。

 良くあるのが、音楽が好きで楽器を始めたばかりの方が仮に技術的な部分を克服しても、自分が聴衆として感じているままをそのまま演奏したら聴衆には感じているような音楽は伝わりません。現実には演奏というものは聴衆にあるべき音や姿を聴いて頂く為に相当デフォルメしています。デフォルメというよりそれが演奏というものである訳です。
 簡単に言いますとその演奏法や表現方法を知らないでCDで自分が聴いたままを仮に演奏出来たとしても、その通りには聴衆には伝わらないのです。まさに「鋭敏かつ鈍感な人間の感性」「偉大なる鈍感さ」によって人間は人間として成り立ち、かつ音楽を楽しめるという素晴しい感覚を有するのかもしれません。であるからこそ、演奏というのはその偉大な鈍感さと偉大な鋭敏な感覚を理解してこそ、音楽というメッセージを伝えられる訳です。

 簡単な話しですが譜面上に<や>と示されているクレッシェンド、ディミュニエンド(デクレッシェンド)はそのまま、物理的な音量をリニア(直線的)に変化させるとその効果や意味合いというのはとても小さな変化としてしか聴衆(人間)には認知されません。なので、実際は(いろいろ表現の仕方はありますが)譜面上の指示のスタート時点ではほとんど前の音量のままにしてその頂点に向かって極端に大きくしてゆきます、ディミュニエンドはその逆でぎりぎりまで音量をホールドして一気に落としてゆきます。2次曲線(比例反比例)のようなカーブした勾配を持たせることで人間はリニアに上がっているように感じる訳です。またそれだけでは音楽のリズムを失いますので、基本的には強拍をつかって大きくしますし、逆に弱拍をうまく使うことによって小さくすることで音楽の推進力やリズム、テンポ感も合わせて表現に含め、総合的に各音楽要素が有機的に連携させ音楽を適切に表現します。
 また所謂ダイナミクス(音楽ではデュナーミクと言います)は優秀なオケほと幅広くそれも音楽的に破綻なく実現し音楽の表現力が高くなります。
 最近の傾向ではベルリンフィルのシェフになったラトルなど本当に音が失速寸前の音楽と認知できるかどうかのぎりぎりまで音量を下げることでその表現力を高める要素として使っています。当然のことながら、最弱音はオケの能力によって大きく異なりますし、最強音にしても同じです。
 ここでは専門的なことを書くことが目的ではありませんので、このへんにしておきますが、こんなようなことが無数に演奏側ではあるということだけご理解頂きたいと思います。多分、オーディオ機器のメーカー固有の音づくりにはそのデフォルメのバランス感覚が同じように使われているのではないかと思ってます。レコーディングも同様です。


「何を尺度に音をセッティングされてますか?」

 大橋様と交流することで知ったことがあります。オーディオを趣味とする方の中には実際の演奏をそんなに体験されていない方もいるということです。残念なことと思います。
 言い替えれば、何を頭の基準として音のセッティングされているんだろうと思います。
 当然のこととして、物理的に演奏とまったく同じ再現が出来るとは思いませんしそれは無理なことと思います。
 但し、オーディオでは自分が聴きたいと思う、または理想と思う再現音は狙えるとは思います。ただし実演と同じにはならない。つまりそれぞれの方の頭の中にあるイメージをオーディオというものを通して、デフォルメされますが、それらしい音の再現は使いこなしによって得ることは出来る可能性がある。または、実演では不可能と思われる聴き方をバーチャルに自分で作り出して得ることが出来る可能性がある。ということかもしれません。
 別な理由としては録音という行為の段階で録音エンジニア等の現場でそれぞれの感性が音楽を捕える為のフィルターとしてすでに介在しているということもあります。

 音楽は奏者でもそれぞれの捕え方や演奏解釈によって、またその奏法によって同じ譜面からまったく異なる演奏が産まれます。同じ奏者であっても実演では2度同じ演奏は不可能ですし、機械的な意味で同じ演奏を繰り返すことが出来たとしても、繰り替えそうとは優秀な奏者は思いません。
 ジャズなどで即興演奏というものがありますが、クラシックであってもまさにその演奏会一回一回が即興演奏とも言える訳です。現実にはホールの違い、また聴衆の変化によって演奏は能動的に変化されるということです。
 フルトヴェングラーは「感動とは聴衆と演奏者の間に産まれる」と言ったそうですが、まさに演奏会で聴くという行為は一期一会の体験行為であるのです。

 さて本題に戻したいと思います。
 前段でも書いたように、演奏会に行ったとしてもホール、客席、また演奏者の状態によっても音楽は変化して聴こえます。同じ演奏会を一緒に聴いた友人がいたとしても同じ感想にはならない場合もありますし、それはバランスの問題であったり、アンサンブルの問題であったり、固有の奏者の演奏問題であったりもしますが、その演奏される音楽を知っているか知らないか、またどういう演奏解釈が好きなのか、またその曲に対するイメージの捕え方によってそれぞれの感想があるわけです。
 でも、演奏会の音や響、各楽器の実際の音量やバランス、などは体験的に記憶されます(但しそれがどの程度の時間や期間で美化されたり変化するかはその人の記憶の格納によっても違いますが、意外に正確な記憶はそれほど長期間は持ちません)。
 私が提案したいのは、是非年間4回程度実際の演奏会に行ってみては如何かなと思います。またはオーディオにかける年間の金額(CDや音源購入を含め)の1割でも実際の演奏会に行かれることをお勧めします。
 その現実の音を体験したり知ったりすることは、必ずや各自のオーディオの楽しみや音造りの基準を作り、客観的な判断が出来るようになるかもしれませんし、その自分への投資が音楽を良く聴きたいという目的において無駄な投資を避けてゆけるようになると思います。

 音の変化=良くなった、良いとされている機器やアクセサリーだから変化した音は良い、というような基準のない堂々巡りや変化のトラップから抜け出るきっかけや、そのトラップに引っかからないで自分の音を作ってゆく為の補助線や保険になるかと思います。

自分のイメージや再現音に迷ったら「是非、演奏会へ足を運んでみてください!」
必ずその問題解決のヒントを与えてくれると思います。
つづく

オーディオと音楽の交差点 第1回
四弦亭酔響
2003/9
  (無断転用転載禁止)
キット屋倶楽部に戻る