キット屋倶楽部
キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』
 
音楽とオーディオの交差点 第10回

<はじめに>
 皆様、大変ご無沙汰をしております。
 本第10回では、「演奏サイドから見る良い音楽、良い演奏という」視点で大変、難しく巨大なテーマについていくつか書いてきたのですが、時間のある時に書いているので、最後にまとめるところで挫折してしまいました。なるべく音楽用語を用いないでご説明できたらと思ったのですがなかなかこれが難しい。やはり、まとめるにはもう一度書き起こし、テーマを整理して取組む必要があると感じて、この第10回では、最近思っているオーディオのことや音楽のこと等をざっくばらんにお書きしようかというところとなりました。
 気軽にエッセイとしてお楽しみいただければと存じます。一部内容が重複しているものもございますがご容赦ください。上記の永遠のテーマのようなものはあらためていつかアップしようと思いますので、宜しくお願いします。

<真空管の素晴らしさの再確認>
 なにを今更、当たり前、と多くの皆様はお思いと思いますが、あらためてそんなことを感じることが多い此の頃です。では何が素晴らしいのか。という面では大橋店主様の以前よりのヴォイシングのポイントと多く重なっていることが多いような気がします。それがまさに、音楽を表現するオーディオにとってとても大切なことであると最近あらためて思っています。

 実は、拙宅のシステムに変更がありました。
 四弦亭のシステムの紹介を見ていただけると分かるのですが、プリは英国のミュージカル・フィディリティのA3.2(MF)のプリ部を使用してSV−501SEをパワーに使い、それなりの音を出していたのですが、そのプリが真空管のラインアンプである皆さん良くご存知のSV-310に入れ替わったということです。

 MFを使っていたのには理由があり、リモコン操作が可能であるということ。どうしてもリモコンの無い真空管プリに行けなかったということもあります。

 しかし、以前、大橋店主様にデモでお借りした、SV-3 ver.2の音が、なんというか皮膚感覚というか、テクスチャーの感じがとても良かった記憶がズーと消えていませんでした。
 大橋様にトランジスタプリとの違いをお聞きしましたら、真空管のプリは「ゾリゾリ」感があって、石のプリは「ツルン」としている、というお話を確認したかったということで体験試聴ということでお借りしたものでした。
 まあ、SV-3は価格から見れば大変良いものであることは確かでしたが、積極的にMFから切り替える(且つ、リモコンをあきらめる)という所までは残念ながら至りませんでした。

 そして、昨年の真空管フェアでラインプリでトランス出力のSV-310の初期の試作機を見て、聴かせていただいて、これなら完成版になればいけるかもしれないと、直感で思いました。その時点では限られた環境でしたが、まだまだという勝手な酔響の感想は大橋様にはお伝えさせていただきました。
 大橋様も同様のことを感じられたようで、その後トランスの仕様変更等様々されたようです。大橋様にはその後の開発はどうなってますかとシツコクメールも出したりしていました。

 91Bも自宅でデモ機を試聴させて頂いていますが、部屋の環境も含めての音としては501SEから変更することは無かっという経緯があります。(詳しくは過去のコラムをお読みください)
 91Bのあの魅力的な濃さもちょっと自分のシステムに微妙にエッセンスとして入れたいという欲求もありました。実は大橋様には無理をお願いして、トランスの設計変更後の貴重な310の開発機を数日だけ貸していただくことが出来、自宅テストを行いました。初めの印象は「主観的」な音だなあ、とその音像の太さ濃さ、中低域の濃密さと実在感のある音にびっくり。
 但し、四弦亭的にはちょっと聴感上の高域の伸びや輝き(金粉をすこしまぶしてあるような音)が少し足りないという感じを受けました、その感想をお伝えすると、なるほど、実はその試作でWEの導線を配線で使ってみたのだけれど、人によっては鉄の音がするという感じもあるので、それが原因かもしれません。ということでした。皆様に行っている310のキットは通常の導線ですのでご心配には及びません。
 逆に言えば、自作の方でしたら、線材やコンデンサーの変更等でご自身の好みに改造されるのも面白いかと思います。

 そして予約、発売と同時に納品していただけました。
 試作機を試聴した際に予想されたことですが、MFから310に変更したことで、部屋のアコースティック環境やセッティングを再構築する必要が出てきました。MFとは当然帯域のバランスも違いますので、騙し騙し微調整してあわせてあった定位も音域によって見事に崩壊。
 完璧なアコースティック環境の訳がありませんし、拙宅のRチャンネルは都合上部屋のコーナーサイドになっていますので、色々アコースティック処置をしてあるのですが、まあそのバランスを調整したり。簡単に言えば、1から再セッティング調整を行いました。
 ある面、大変良い機会でしたので、以前よりもより良いセッティングに結果的には持ってゆくことが出来ました。
 部屋のアコースティック対策もかなり綿密に調整しました。結局はセッティングや使いこなしをすること無しに良い音は出てきません。現実にルームアコースティックを意識することなしには良い音はなかなか望めないと思います。

 もう一つ面白いことを体験しました。
 MFからの変更の問題になったのがリモコンであるということは先に書きましたが、310を導入してみると、下方リニアにすぐれ、また中低域も豊かで、音が通りやすいので、MFの時ほどクラシックのダイナミックレンジの変化(ppからffとかの箇所が特に)に伴って急に音量絞ったりするような必要性がものすごく減ったことです。
 つまりppでも逆に音量を上げなくても細かい音も聴き取れるということです。音量が上がっていても、いわゆるウルサさも少ないということもあります。

 必要以上の煩瑣なボリュームコントロールが不要になったのでリモコンがなくなった部分では思ったよりも気にならないというのが現実です。面白いものですね。まあ、リモコンはあればあったで便利な使い方も出来るので
リモコンはあるに越したことはないということは言えると思います。
 クラシックの場合は特にダイナミックレンジの幅が大きいので特に手元でコントロールできるほうが有難いとは思いますが。真空管プリを導入して本当に良かったと思います。真空管て本当に素晴らしいですね。

<SV-310を導入して>
 私は現在レコードは聴いていませんので(山ほどあるのですが)フォノ部は不要です。つまり、310を積極的に導入する動機がありました。また310A を使用しているところ、トランス出力という部分に惹かれたとも言えるかもしれません。人によってはフォノイコライザーもついているSV-722のほうが良いという方もいらっしゃると思います。
 何がなんでも310が良いとは言いません。ということを前提として数ヶ月310を使用してみた感想としては、(ご存知のように510SEと組ませています)、

・下方リニアに大変優れている。
・音像が大変実在感のあるものになる。
・中低域がかなり豊かになる
・ 演奏者により近寄ったような音(近い音)になる
・ 木管や金管そして打楽器の質感がかなり向上したと感じます。


 総合的には「音像はより実在感を増して、「音蝕」がとても良い。そして再現の柔軟性に優れている。
 弦はMFも相当良かったのですが。大音量にしても音が飽和したり崩れないで、うるさくなく豊かに響くので、大変助かります。ホールでの大音量の響きははそういう音ですので、自然な響きに近づいたとも言えると思います。但し部屋のマスも桁が違いますから、同じになる訳ありませんが、「らしい」響きが実現したということです。
 古楽オケの演奏の中に指揮者の解釈でフォルテピアノ(協奏曲等のソロではなく)が入っている場合、システムによってはなにか変なチェンバロが潜っているのかと聴こえるような所でも、ちゃんと「フォルテピアノ」らしい響きを実現しています、これには驚きました。
 四弦亭に取ってはそんな特徴があると感じています。ある面91Bに近い音の傾向かもしれません。
 501SEの色彩感豊かな再現や高音域の繊細さがが好きなので、その個性を失わせないで上記の特徴を上手く重ねることが出来たということで、当初の目的は上手く達成することができました。

 パワーアンプと異なり、ラインアンプは微細な信号を扱っていますのでエージングには時間がかかるようで、どんどん音は変化してゆきますが、結果的には良い方向に向かうようです。
 310は豊かな中低域とそれに伴う実在感のある音像や音ということに集約されるかなと思います。
 聴感上の帯域のバランスはその部屋、システム、アクセサリー類によっても変化しますので、セッティングや使いこなしの範疇でも多くチューニング可能と思います。

 導入過程で、SPのアッテネーターやSTの調整も変化に応じて行っていますが、まだ熟成にはかかるようです。
 折角の機会なので様々セッティングを大胆にいじってみましたが、結果的には以前の状態からの若干の微調整という範囲に戻ってきたのは面白いなと感じました。

 今回あらためて再セッティングを行ってみますと、自分の好みや、以前のセッティングで色々な変化の記憶がよみがえり、再確認の機会が持てましたし、自分の使いこなしの為のデータベースの精度アップとなり、良い経験になったと思います。

 前回は半年以上かかって様々やって、最終的に満足でるレベルには1年以上かかっていたので、今回は実質3ヶ月位で今までより良いレベルの再現に持ってゆくことが出来ました。
 まだこれから熟成期間に微調整をやって音を創って行きたいと思ってます。

 それに合わせてModel2に使用の管6922/6DJ8もいくつかのブランドやメーカーをの球を試したりして、その変化を楽しんだり、セッティングの要素にしてみたりしていることも付け加えておきます。
 整流管は5U4Gがデフォルトで装着されていますが、274Bも使用できるということで試してみましたが、びっくりするくらい音は変化します。大橋様によると設計時のスペックよりも274Bは若干電圧が下がるということですが、雰囲気や味という意味では274B、カッチリ感では5U4Gと思います。
 たった1本を交換するだけですので本当に簡単に気分や音楽によって適宜使い分けるのも一興かと思います。弓を替えるようなものです。真空管の奥深く楽しいところだと思います。

 部屋のアコースティック環境も改めて諸所の対策をすることで以前よりも定位の精度も増して、埋もれていたような音もより自然に聴こえますので、それもかなりレベルアップに向上していると思います。
 音の質感は310によって、大橋様の言葉でもある「ゾリゾリ感」や音の表面のウブゲやヒダが感じられてとてもハッピーです。

 セッティングが決まってきますと、以前のコラムにも書いたのですが、小音量でも別の部屋に漏れて聴こえてくる音もバランスが取れているというか、音の通りが良くなり(これは嬉しい悲鳴みたいな感じですが)壁を突き抜ける力が強くなるようです。これは以前のシステムでも同様です。
 楽器でも良い楽器は音が壁を何枚も突き抜ける力(浸透力と言うのでしょうか)があるのですが、それと同じなのか分かりませんが、面白い現象だと思いました。これは音量だけによるものではありません。音の浸透力が高い音になるような感じを受けます。
 皆様はいかがでしょうか。オーディオも楽器の不思議に同じような傾向を感じました。

<フォルテピアノと現代ピアノ(ピアノフォルテ)>
 上記でフォルテピアノが云々と書いてしまいましたので若干補足しておきます。
 フォルテピアノは所謂ピアノの前身ではありますが開発の歴史の過程や地域で様々なものが作られていますので、チェンバロに毛の生えたような音ものから、ああピアノに変遷してゆくんだというようなピアノの近いものまで様々あります。いずれにせよ現代のピアノのイメージからすると音も小さいです。
 実はその開発や発展の過程、そして地域での奏法の発展によってイメージしている音が違います。
 ベートーヴェンはC.P.Eバッハからくるどちらかと言うとハンマークラヴィーア系統の奏法をしていたようです。レガートの意味が相当違ってきますし、実はベートーヴェンが時期時期で手に入れているフォルテピアノの音域や性能や響きによって、それぞれの楽器の使用を前提に曲が書かれたりしています。当然譜面における指示もその楽器を想定して書いているのでそれらの理解や研究が進みつつある現代では譜面の読み方も重要になってきているということになります。少なくともベートーヴェンやモーツアルトは現代のピアノを前提として書いないことだけは事実ですので、それらを演奏家が現代のピアノでどのように表現するかはその演奏家次第ですが。
 そのあたり演奏家はきっちりと理解した上で演奏したほうが作曲家のメッセージに忠実であるというのは言うまでもありません。但し、そんな異なるピアノとピアノフォルテですが、名曲は演奏の多様性に対応できるし、時代時代の聴衆に様々な形で感動やメッセージを送るところに、作曲家と演奏家の本質があるということも言えるとは思います。但し、教育者や演奏家がそれをまったく知らないというのは私は怠慢だと思っています。なんでも伝統を根拠にすることは音楽を停滞させる要素にもなりえるということは肝に銘じておく必要があると自戒の念を込めて思います。伝統とはなんなのでしょうか。
 演奏家の怠慢を根拠づける為の伝統であってはいけないと。
 伝統は一箇所に止まらず改革を重ねること、それが伝統といわれるものなのではないでしょうか。
 真空管アンプだって温故知新で良さも理解した上で、改革者の精神を持ち現代オーディオとして成立させることがその素晴らしさを世間に膾炙するのであるような気がします。

<真空管の柔軟性と楽しさ>
 弦楽器は曲や好みによって複数の弓を適宜使い分けたりや弦を変更することが出来ます。真空管は同じ規格の様々なメーカーやブランドがあるので一部超高価な希少ヴィンテージ管でなくても、差し替えることで、簡単に様々な管の持つ個性を楽しむことができます。どれが絶対ということもなく、様々に試すことで能動的なチューニングも出来る訳です。

 石のアンプですと簡単に同じようなことは出来ませんので高価なアクセサリー類やケーブル関係でということが多くなるようですが。
 管を使った機器ですと、その両方でのチューニングも可能なのでセットアップの柔軟性がとても高いと言えます。自作の方ですと、線材やパーツを変更するということも行っていらっしゃると思いますが、それも大きな楽しみになると思います。

 いずれにせよ、管の交換は半田とかも不要、交換を前提としているパーツですので、手軽に楽しむことが出来るのは素晴らしいと思います。まさに楽器で弓や弦を適宜チョイスするようなものです。

<SPのセッティングは大胆に試してみる>
 セッティングというのは、料理に似ているなあと良く感じます。
 有名な作曲家や音楽家はグルメだったり料理好きだったりすることが多いです。四弦亭も片付けは大不得意(嫌い、、)なのですが、料理を創るのは大好きです。おいしいものを食べるのも大好き。

 料理は食材と調味料を調理テクニックでどのように味のバランスを取ってゆくかということになります。火力の調整も大変重要です。
 オーディオでは各機器が食材、アクセサリー、ケーブル等、時には管も調味料として使うことが出来ます。

 全てはバランスで味は決まってきます。基本はきっちり押さえる必要があります。

 大橋様もHPで書かれていたように、電源の極性(3穴のホスピタルやオーディオグレードの場合は工事の段階で合っているというのが前提ですが)を合わせる。デジタルとアナログを取るコンセントの分化。各、機器のラックを含めたメカニカルグラウンディングや外的振動対策。最近ではアイソレーショントランスを使うなんていうのも手軽な価格で出来るようになっています。そして基本中の基本はSPの設置です。

 しかし、逆のようなことを言って申し訳ありませんが、通説や定説に惑わされないで、様々なセッティングにチャレンジして、自分のシステムと部屋の環境によっての自分のイメージに合った音を探し出すということも重要だと思います。結果的に音が自分の理想に近ければそれで良いのですから。

 例外だって試してみて、○なのか×なのかご自身で判断するべきと思います。特にSPのセッティングは部屋のアコースティック環境と密接に関係しますので、通説、定説だけでは上手く決まらないことも多いと思いますので、こればかりは様々試してみることが良いと四弦亭は思います。絶対というものはありません。部屋を無視してセッティングは無理ですので。
 大胆なチャレンジも楽しみの一つではないでしょうか。瓢箪からなんとか、だってあるのですから。

<部屋のアコースティック>
 オーディオ少年だった頃、故長岡鉄男氏にはまったことがありますが、「一長一短」て言葉が良く使われていましたが、確かにそういうことは機器でもセッティングをしていても良くあるなあと思います。
 特にSPのセッティングの位置というのは、人それぞれ、物理的な制約もある訳で、その範囲内ではありますが、大胆に様々チャレンジしても良いと思います。

 そして部屋の対策。やはり平行面を持つ部屋が一般的ですので床と天井の反射は無視できません。通常は厚手の天然素材の絨毯や敷物なんていうので床の反射を減らして、結果的に天井から、また天井への反射を出来るだけ下げる。

 部屋の中の椅子やテーブル、本や小物、CDラックとか、いわゆる雑然としている部屋のほうが音が分散はすると思います。言ってみれば部屋のものが多いほうが吸音や反射という面では固有の響きを回避できたりもします。
 演奏する場合にはホールのアコースティックの環境に合わせた表現を取ることで、出来るだけ良い音でお客様に届くように変化させるのですがそれと同じこと、ご自身の部屋のアコースティックに耳を傾けて感じられるように訓練するとセッティングの際に有用かと思います。
 極端なニアフィールドリスニングの場合は別ですが、直接音と間接音のバランスを上手に使ってゆくことがセッティングには重要であると再セッティングをしてあらためて思いました。活かすも殺すもセッティング次第と思います。

 但し、ここで問題になってくるのは「どういう音や再現が自分にとっての理想なのか」ということです。
 結局は自分の好みの方向にバランスを取る。でも何がバランスなのかということは、一つの方法として有効なのはやはり実際の演奏会に足を運んでいただくことが一番手っ取り早いと思います。
 そうでなくとも実際の演奏会は五感を使って楽しんでください。特に視覚というのは演奏会ではかなり聴こえる音に作用することも感じていただけると思います。

<ホールの椅子>
 ホールも客席の椅子の素材等で響きも大きく変わります。良いホールはやはり音的に良い椅子を使っている。各ホールに付帯しているステージ用の椅子もホールによって様々。似たようなものでも実は重さも価格も違いがあったりします。オーケストラではチェロは高さ調整ができるピアノ椅子を使っていることが多いですが。
 最近は体格や身長もかなりばらつきがあることもあって、腰を痛めないように自分の身長等にあわせた足の長さを調整してあるマイチェアなんかを使っている人も海外では多いようです。アメリカのオケでは昔からやっていることのようですが。。
 はたまた、それぞれの会場の椅子を使うけれども、自分用の高さや腰の具合を調整するクッションなんかを持ち込んでいる場合も出てきました。長い間同じ姿勢でいることは体に良いハズもなく、やはり椅子は重要です。
 話は変わりますが、ステージの椅子がちょっと身体を動かしただけで、音を発生しますと、ホールで反射してかなりの音を出します。だからステージ用の椅子はオフィスユースのようなものより頑丈に出来ていまして、頑丈に出来ています。
 今度演奏会に行った時には是非そんな視点でステージの椅子を休憩時間にでも観察してみると面白いかもしれませんよ、ちょっとマニアックですけれど。

<機器の音?部屋の音?>
 部屋あってのオーディオ機器ですが、機器の性能や音を言っても部屋が変わればがらりと音は変化します。ちょっとした音響対策グッズを使っても相当変化します。機器固有の問題と思っていたものが実は部屋の問題だったりして。実は、そんなほうが多いのではないかと思います。

 直接音と反射音のバランス、これも大切です。多くはSPのセッティングでそのバランスを取るわけです。

 演奏でもホールが違えば、奏法や表現を微調整してお客様に届く音をベストにしようと能動的に変化をさせます。

 部屋のアコースティック環境をどのように活用するのか
 はたまた影響が出ないようにするのかそのあたりもバランスだと思います。

<テンポ・リズム・ハーモニー>
 教科書的に言えばこれが音楽の構成要素となります。セッティングでもテンポ、リズム、ハーモニーという視点で聴いてみるというのも面白いのではないでしょうか。高音がどうした、低音が、中域がというのは結果的にそのテンポ、リズム、ハーモニーを適切に表現できないということの具体的なオーディオ的視点になるのかもしれません。
 それはまさに音楽を体や心で感じるという部分になるかもしれません。でも、私の数少ないオーディオの経験から言えば

・帯域バランス
・音の立ち上がりと収束
・ 下方リニア、上方リニア


 結局、それが音楽を表現する機器やシステムで重要だということのようです。
 キット屋様が以前より主張し実践されていることです。

 真空管のオーディオフェアを初めて体験したのが3年前ですが、様々なブースやデモで先入観無く聞かせてもらいました。キット屋様の機器は音楽のリズムをきっちり感じられたのです。残念ながら他ではそういう音楽が聴こえてきませんでした。キット屋様の機器を信じたのはそんな所からもありました。
 大橋様のヴォイシングが各機器や管の特徴や個性を活かしつつ、音楽的にも四弦亭にはしっくりくるようです。結果、音楽が活き活きと聴こえる。結局、現在はSPとCDPを除くとキット屋様の開発商品になってしまいました。

<ご参考>
 四弦亭はセッティングやチューニングをする時には出来るだけ小さい編成のものから始めます。
カルテット、アンサンブル(弦と管のもの)、歌やソロ楽器とピアノやチェンバロ、Vnコンチェルト、そして最後にオーケストラ曲。オーケストラと合唱の曲とか。

 カルテットは主に弦楽四重奏を使います。特に古楽器のカルテットはかなり繊細ですので良く使います。
 但し気をつけていただきたいのは実際の古楽器の音を体験されてない場合です。往々にして古楽器演奏なのにモダン楽器と同じような音になっているのを聴くことがありますので。
 カルテットは各楽器の位置関係もはっきりわかりますし、音域も響きもそれぞれ違いますので、各楽器のバランスが非常にわかりやすいです。特にチェロの発音や収束、音量バランスはセッティングの変化にわかりやすく反応します。
 楽器同士のアンサンブルの受け渡し等も明解にセッティングの変化に現れます。同じ演奏団体、同じ録音スタッフ、同じCDでも曲によってホールや会場が違う場合もありますから、そのあたりの残響や響きの違いもチェックしたりします。

 オーケストラ曲であれば自分での体験したことのある、ムジークフェラインやベルリンフィルハーモニーザールの響きなんかは適切に表現しているかどうかなんてこともチェックできます。誰もがそれを体験している訳ではありませんので、四弦亭が申し上げたいことは実際の演奏会を年に1度でも2度でも体験していただくことが自分なりの客観値を持てるということです。実際には人によって同じ環境で音を聞いてもそれぞれの聴き方は一緒ではありませんので、自分なりの尺度を持ち、イメージすることで迷わずに済む場合も多いということです。
 「迷ったら、演奏会に足を運んでいただければ」と思います。
 なにかヒントを得られると思います。
 自分で聴いている音が良いのか悪いのかなんて思いながら音楽を聴くような呪縛から逃れられるかもしれません。究極はオーディオは自己完結な趣味ですので、ご本人が満足されていることが一番と思います。しかし抽象的な音の世界ですので、なにか基準や尺度を持っていると目標も定めやすいですし、セッティング等の具体的な指標が相対的に見えるほうが効率も高いと思います。

 Vn協奏曲になりますと、レーベルや演奏者、エンジニアによってかなりバランスの捕らえ方が違いますので注意は必要です。やはり、ソロ楽器の音像や響き、音の立ち上がりや伸びとオーケストラの弦のバランス、そして管楽器や打楽器を含めた全体の捉え方。簡単に言えばソロとオケのバランス。
 私の好みは、ソロの楽器は前に出てくるけれど響きはスーと上や奥に抜けてゆく、一方オーケストラはサイズを出しながらも奥に響く、しかし木管等のソロの音像は小さすぎないで、きっちりと楽器の存在を聴かせてくれる。前に音が出るべきところは出てくる。(実際は録音のバランス調整でいかようにもなってますが)コントラバスは深く、音程が明瞭に。あるべき位置に深く響く。注意していただきたいのはコンサートホールで聴くコントラバス等の低音の響きは決して重くないということです。そして、ソロの定位、オーケストラの各楽器の定位があるべき位置や奥行きが分かることが前提となります。
 ソリストの好みや録音時の都合で、ソリストの立ち位置は様々です。ピアノ協奏曲は都合上指揮者の後ろ(客席寄り)に楽器は設置されますが、Vnだとどのあたりまでオケの中に入って弾くかは様々ですし、奏者によって曲の流れにしたがって動くかたもいらっしゃいますし、楽器音の指向性でも変化します。

 オーディオ的に言う、音が左右に移動して飛ぶという現象も起こります。
 ヴァイオリンは結構音の指向性を持っています。良いホールですとそれが間接音や複合的な反射によって程よいブレンドになりますが、そのあたりも録音技術者の捕らえ方次第です。
 ホルンなんかも音の出るベルが後ろやサイドの反響板に直接音は当りますので、逆サイドの反響としてその方向から聴こえる場合があります。そのあたりは是非、演奏会に行ってホールの響きと共に体験していただくと実感が持てると思います。

 第二の指揮者ともいえるティンパニもオケに響きが混ざっていても立ち上がりは明瞭にそして張ってあるヘッドやマレットの質感がきっちりと出ること。ffの連打やppロールがちゃんと破綻なく再現できること。立ち上がりのスピードそして収束の具合なんていうのも影響するようです。
 ホルン、トロンボーン、トランペットやチューバの響きがそれらの楽器らしい響きに聴こえてかつ良い具合にブレンドしているか、なんていうのもあります(これは全体的な音の一体感や残響の感じも重要です)。
 各楽器のソロ曲等もテストに使ってその楽器の帯域のバランスや響きをチェックしたりします。またはそれらの奏者の音の特徴や音楽の特徴を良く再現できているか、なんていうこともあります。
 ほとんどの場合、実際の奏者の音を自分で聴いたことがあるものを使えれば一番良いと重います。四弦亭はそれを使います。一番わかりやすいですから。但し、録音状態やレーベルやエンジニアの特徴をある程度掴んでいることも重要です。
 もしお気に入りの録音があったらレーベルだけでなく、エンジニア等もクレジットされていることが多いですので、そんな所も見ては如何でしょうか。使用録音機材もクレジットされている場合もありますので、ご興味のある方はそんな所を確認するのも一興かと。

<その時代で常識と現代での解釈>
 音楽は文章と同じで、その作曲構成上に点と丸が存在します。大きな構成の中で点と丸のような流れを繰り返しながら山というか峰を上下しながら登って降りてゆくようなものです。これから制覇する山や峰のルートを決めて歩き始める。マラソンに例えても良いかもしれません。アップダウンがあって、それこそボストンマラソンのようなゴールに近くなって心臓破りの丘、なんていう曲もあります。
 天気や気温や湿度が刻々と変化しますし、景色も変わる、そんな感じは調性を使ったり、テンポやリズムの設定で作曲家はその道程を変化させてお客様に体験して頂くような部分があります。

 演奏者はそれに忠実にお客様に作曲家がイメージしたとおりお客様に音や響きとしてお伝えする。
 同じ原作を使っても脚本をつかっても監督によってその描き方は様々だったり、小説を読んでも読み手によってその受ける印象が異なることが、所謂、解釈ということになります。
 また、古い小説や戯曲では、その当時その読まれる地域では当たり前な描写が、異なる地域や時代では想像もつかない場合もあります。ということは理解するのにはその作家の時代や背景、歴史を知っていないと、理解は似て非なるものになってしまうことになります。

 でも、古今東西、人間の喜怒哀楽や悲劇なんていうものは、どこの時代世界でもあるのでそれを自分の経験や知識に置き換えて楽しむことも出来る。時代によってもその小説の評価や位置づけが変化している場合もあります。

 詩なんていうのもその心象解釈としては人それぞれの解釈や受け取り方があると思います。当然声に出して読む時の韻律も重要だろうと思います。
 海外の映画や書物の原作と邦訳によっては、原作から離れてとんでもないものになりやすい場合もある。そして邦訳も複数の翻訳家によって存在した場合にも異なります。受ける印象、何が面白いのか悲しいのかが、その歴史、文化、人種、宗教等の理解がないと不適切な場合もある。
 若者文化を描いた現代映画等での邦訳では適切なないこともある。
 有名な戸○夏○さんなんかが、そういう映画の字幕を担当すると????なんてことも最近は増えてきていると思います。

 実は、これってクラシックの世界でも似た様なことが例外なく起きています。
 伝統という言葉がそれを垢まみれにしている場合も多い。特に古典の曲は楽譜出版社、作曲家の自筆のスコア、写譜屋さん、初演時のパート譜、出版社、初演や後で作曲家が改定した場合(当時としては現代音楽ですから初演時には作曲家も同席したり、自分で指揮したり演奏しています)、譜面を見て当時の演奏者にとってあたりまえのことは作曲家も敢えて指示は書いていませんが、後世に作曲の時代の変化や演奏習慣の変化で書かれた標記の仕方と同じように解釈して演奏したらトンチンカンなものも出来てします可能性が高いのです。
 もっと極端に楽器だって同じではない。当時は今でいう古楽器ですし、弓の形状や重さも違う。

 特に管楽器等はどんどん改良されて変化しているし、消滅してしまった楽器もあります。作曲家が当時イメージした響きや音でなくなっていることのほうが多いようです。

 演奏者の演奏法や解釈もその受けた教育や時代で変化します。それを発展という場合もあるでしょうし、改革という場合もある。これはそれぞれの個性とは別の話です。言ってみれば読み書きの仕方は一緒ではないことが多い訳です。
 日本の中世期の日常会話は今の日本語と比べてどうだったのでしょうか。平安貴族のしゃべり方は?だれも実際は聞いたことはありません。

 最近は情報が世界を駆け巡るのは一瞬ですから、少なくなっていますが、オラが一番の島国根性の演奏者や教育者もいますので疑問を持ったり、情報を持っている若者は海外へその勉強の場を求めてしまうことも多くなってきています。
 同じ音楽をやっている人でも驚くほど知識と理解に違いが出てきている時代とも言えます。それが確認出きるのは情報が一瞬にして世界を駆け巡るからだとも言えます。
 日本の演奏家や団体の海外公演等でも日本語で伝わってくるお手盛りの批評とローカルなメディアの批評が全然違うなんてこともあります。怖いですよ。
 伝統と良く言いますが、伝統とは時代の流れに反応して適宜変化を続けることで伝統として残ってきていることのほうが多い訳です。伝統という言葉の呪縛で時代の垢がたまったり、変質したり変形してしまっているようにしか見えないものを唯一の真理のように思い込む人もいますがそれは大変残念なことだと思います。

 はたまた音楽を演奏する心や気持ちは普遍の真理であることもある。それを変化したり変質したりしてしまっていることと強引に一緒にして、自分の正統性を信じて疑わない進歩どころか退化しているような場合もある。
 とても怖いことだと思います。

 温故知新ではありますが、レコードで残されている巨匠時代の演奏者の古い演奏だって、その歴史の通過点にしかすぎないのです。当然、参考にすべきこともあると思いますし、逆に演奏の傾向がここ数十年の間に変化することを根拠づけるものでもあるのではないでしょうか。
 それらの偉大な点をそれよりも100年も200年もさかのぼる古典音楽等の普遍的な原点として捉えてしまうのはあまりにも勉強不足で軽率な発想としか思えないのは私だけでしょうか。
 音楽は時代で変化するものなのです。同じものでも演奏や解釈というもので変化する。音楽と社会の関係、演奏と社会の関係でも変化します。そこで重要なのは今一度、作曲家が当時想定した音や響き、背景を伝統という垢を洗いなおして原点を探り、そして現代のものとして演奏に反映させることも進歩の過程の一つだと私は思います。
 一つ端的な例があります。
 流石に最近では少なくなってきましたが、どんな音にもヴィブラートをかける習慣が短期間の習慣として真実のように語られ、そして今だに、そういう演奏や指導をされる方もいらっしゃる。逆に古典やバロックでは全部ノンヴィブラートなんていう極端な方もいる。ヴィブラートは古くから使用されてきた演奏表現や効果の技法のひとつですが、少なくとも全ての音に「ありき」ではありません。
 マーラーは楽譜に相当細かいことを演奏者への指示を書いていますがヴィブラートという指示を敢えて書いている場合があるくらいです。それは、全ての音にヴィブラートをかけているような演奏はそんなに昔からではないということだけは確かなようです。逆に古典時代でもヴィブラートは使っていたようですが、あくまでも香り付けや軽いもので適宜ほんの少し曲の表現にあわせて効果をきっちり理解した上で、奏者の「良き趣味」として使うべきものだったようです。

 ヴィブラートと同じ効果は何も左手だけでなく、長い音符の場合に弓の毛の振幅を使ったや弓の使い方、角度を緩やかに波を打つように変えることで効果を出すような時代的技法もあるということを付け加えておきます。

<現代の再生装置としての真空管>
 現代の真空管アンプに私はノスタルジックな部分を求めようとは思いません。(ノスタルジックな部分も楽しいことは認めた上で) 現代にある素子や素材として音楽を再生するのに適切だと思うから、私は真空管を使った機器達を使うようになりました。音楽の感じ方は人それぞれです、まさに趣味性を持っている。それこそSPと蓄音機のほうが音楽や演奏者の真髄がわかりやすいとするならばそれで良い訳ですし。私も嫌いではありません。それぞれに良さがあって、それぞれ好みで適宜楽しむこと、これはとてもパーソナルな行為であって、それは他者が介入する余地はないのだろうと思います。
 またその趣味を共通する仲間がそれぞれの思いを語りあうことも人生を豊かにしてくれる素晴らしいことだと思います。

 人それぞれにイントネーションとか語り口調があり、作曲家もそれぞれに個性や独特の語り口があります、当然時代や地域によっても変化します。そんなことを真空管アンプで音楽を聴きながら作曲家の言語や口調を感じてみるなんていうのも一興かと思います。

<演奏者の解釈で再現される音楽>
 作曲家の楽譜による個性や語り口も実は演奏解釈によっても様々変化します。何が良い悪いということではありませんが一応、知っておかれたほうが理解や楽しみが深まると思います。
 現在、我々が一般に手に入る演奏で分かりやすいのが古典音楽の演奏です。
 フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニ等の第二次大戦前から活躍し挟んで活躍した巨匠世代。クナッパーツブッシュやシューリヒト等もそうです。

 カラヤン、ベーム、ジュリーニ、クーベリック、セル、ショルティ、等のそれらを受け継ぐ世代からの系譜のモダン楽器オーケストラの指揮者達ハイティンク、レヴァイン、ヤンソンス、小澤、シャイー等が続きます。

 古典演奏というと、ここ十数年で一気にメジャーな活躍をしている古楽系指揮者達。最近はロマン派等の演奏にもレパートリーを広げています。
 アーノンクール(Vc)、ガーディナー(合唱)、ヘレヴェッヘ、インマゼール、コープマン、ホグウッド、インマゼール等鍵盤楽器奏者。
 そんな演奏や解釈の時代的変遷を意識して聴いても宜しいかと思います。
 何が絶対とは言えない訳ですし。そうやって時代や社会の変化、そして研究によってもどんどん演奏様式というのも変化します。オーケストラのサイズや配置だって様々変化してきているのですから。

<ヴィンテージ球>
 なんでこんなに高いの?!っていうくらいのヴィンテージ球。
 オールド楽器や書画骨董と同じで、現在は生産されていない、出来ない、つまり作家が亡くなった後の評価と同じです。当然、ニーズがあるからマーケットが成立し価格もマーケットが決定しているわけです。
 真空管が今のトランジスタにその役割が移行してゆくことで生産されなくなったもの。でも一部のマニアからは絶大な信頼を受け、いまだそのニーズは衰えるよりも日々高くなる。
 これは、工業的には消耗品ですから、どんどん使える球が減ってくることで当然のことです。市場の供給が減ってニーズが高まれば価格は上がるのが自明の理。

 まあ、弦楽器でも価格はその製作者が亡くなった後、評価が高く欲しい人が多くなれば価格は上昇してゆきます。

 弦楽器の場合は新作も素晴らしいものがあるけれど、経年変化に関してはいかんともしがたい。現代の楽器の名工が作った作品は200年後はも使用されているでしょう。しかし同じ弾き手が生きているわけがないのです。
 WEの球、テレフンケン、ムラード、ジーメンス等の蒐集家がいらっしゃる位。

 私もWEの球とかもほんの少し所有していますし使っていますが確かに音が良いというか音楽を聴くにはなるほどという再現をしてくれるものが多いようです。オールド、ヴィンテージ球にはまる方がいらっしゃるのも肯けます。
 音楽再生に何を目的としているかによってもその選定は様々だと思います。
 WE300Bに関しても、マニアになれば19@@年の云々。とか様々好事家にとっては魅力的なことばかり。マニア心を刺激します。まさに趣向や趣味の世界の奥深さ、業の深さを感じます。

 旧東欧諸国、中国と球は新品が製造されています。これはオーディオだけというより、ギターアンプでのニーズも大きくマーケットを作り出しているのでしょう。
 四弦亭も球の差し替えによる、表現の違いを意識的に楽しむことがあります。曲によって、また気分によっても、あの曲ならあの球で聴いてみようかなんて考えることもあります。はたまた、プリ、パワー、model2と真空管を使っている環境ですので、全体的な調整を複数の管の組み合わせて作ってゆくことも可能なので、奥深い趣味だなと。
 ケーブル、電源様々ですが、真空管はそれ以上に変化を能動的に楽しめる訳です。これでは機器を交換するに至るまでにやれることは山ほどあるなあと。自作の方であればパーツや線材の交換なんていう部分にも手をつけられることのあるかと思います。
 変化は何を替えてもするのがオーディオの世界。
 その中でご自身の求める音や再現をきっちりイメージすることはとても重要だと思います。

<オーケストラを聴く>
 オーケストラと言っても演奏する曲によって編成も様々です。一般的にモダン楽器のオーケストラの場合、その編成の大きさをファーストヴァイオリンの人数を使って表します。
 16型と言えば、ファーストヴァイオリンが16人=8プルト
セカンドヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスの順に1プルト=2名づつ減らしてゆきます。
16、14、12、10、8人となります。
プルトでは8,7,6,5,4となります。
 つまり16型では50人の弦楽器セクションが成立します。
 最近ではこの編成で古典演奏をするようなことはほとんどなくなりました。現実につい最近まで弦楽器の音量に負けないように、管楽器が倍管にしてしまうというようなこともありました。
 ベートーヴェンは曲によって大きくする場合もありますがそれでも14型がマックスというのが現在の所かと思います。それでも大きいと思いますが。

 CDですと録音風景がジャケットに入っている場合もありますので、確認できる場合もあるかと思います。但し楽団全体の写真と言う場合は宣材として撮影されている場合もあるのでその曲の演奏時の写真ではない場合もありますので注意してくださいね。

 古楽系のオケの場合は人数はグーと小さくなります。というかその当時のオーケストラの人数相当ということですが、最大でも8型程度、10型の演奏は滅多にお目にかかることは少ないと思います。
 モーツアルトやハイドンですと4〜6型でしょうか。そんな人数でやってます。
 モダンオケの編成では、ファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンは1プルト減ってゆくのが通常なのですが、Vnが指揮者を挟んで両翼に配置される古典対向配置が標準なので同じ人数を使うことが多いです。モダンオケでも対向配置ですとセカンドVnもファーストVnと同数にするほうが多いと思います。
 ビオラとチェロ、コントラバスの配置はオケや指揮者の考え方で変わります。チェロがファーストヴァイオリンの隣にくる場合はCbはファーストVnとチェロの後方、つまり下手側で演奏することになります。それと斜め対角線上にティンパニとトランペットが配置されるつまり上手の奥になります。場合によるとコントラバスを舞台後方に一列に並べることもあります。ヴィーンフィルがムジークフェラインザールではこのCb配置を使ったりします。
 まあこれは曲や指揮者の解釈によって様々です。
 古典曲の場合Vnが対向配置になることを前提としている曲は結構多いです、なんというか擬似ステレオ効果というのでしょうか。メロディーが左右で行き来するような部分ですね。

<オーディオのセッティングのスイートスポット>
 四弦亭は性格的に徹底的にやるところまでやって見極めてから少し抜く(戻す)というセッティング方法をやっています。まあやるところまでやってというのはお金を湯水のように使ってという意味ではなく、セッティングや調整という意味です。
 いわゆるオーディオ的な音場、音像、定位、バランスというもの、そして研究用に音楽が聴けるレベルの細かい精度も求めます。
 しかし、様々な方法で音をタイトに締め上げすぎますと、いわゆる真空管の良い面がかなり薄れてくることも事実です。スイートスポットを狭くしますとまた録音の状態での差がはっきり現れてきます。音楽に身体をゆだねてなんていう感じから遠ざかってゆきます。このある面二律背反をどのバランスで成立させるかということになります。
 四弦亭は一旦いけるところまで行ってから少し手綱を緩める方法でセッティングをしていますが、皆さんはどのようにされてますでしょうか。
 実はVnの調整も似たようなところがあります。
 自分の好みのバランスに調整してゆきます。他人に聴こえる音としての調整もあるのですが、それ以外に自分の奏法と好みによる「弾き心地」もありますので、それも含めてのバランスの調整になります。発音のタイミングや弓の圧力やスピードに対しての楽器の反応やテンション、踏み込みに対する溜めの具合なんていう部分はとても感覚的なのですが、奏者としてはとても重要な項目になります。各弦のバランスやハイポジションでの音や反応なんていうのもあります。これは調整で驚くほど変化しますし、季節や楽器の状態によっても変化しますので適宜調整をしておくということはとても重要だと思います。
 奏者で怖いのは良い楽器を持っていても弦が劣化していたり変化に合わせた調整をして常に良い状態をキープしていませんと、人間は時間をかけてゆっくりの変化には慣れてしまい鈍感ですので、楽器自体が鳴りにくくなったり、自分の技術に変な癖がついたり良いことが一つもありません。
 オーディオでも端子の汚れや酸化というような部分は1年に一度程度はクリーニングしたほうが良いと思います。当たり前のことなのですが、感覚の慣れというものは怖いと思います。相対変化や瞬間的な変化には人間は敏感なのですが、その逆には本当に鈍感だと思います。
 オーディオ的にな感じでも、似た様な所があるように思います。
 Vnの調整は専門の技術者と相談しながらの、真剣勝負のようなものです。楽器の状態や季節によって適宜調整を行っています。

 最後にちょっとマニアックな部分を少しだけご紹介しておきます。
 奏者の好みや演奏する立場や曲の傾向にもよりますが、駒の各弦の角度を浅めにする(バッハ等の重音が弾きやすくなりますが、通常は隣の弦を引っ掛けてしまうリスクもある)とか指板のG線側を深めにしておくとかソリスト的な調整もあります。
 しかし全てはバランスです。ハイフェッツ等はかなり駒が高く指板との距離があったセッティングを好んだようです。それは結果的には音のテンションを高めて輝かしい音に貢献しますが、当然、指への負担は増えることなのですが。
 もし本HPが楽器関係者へのコラムであれば上記は書きません。身体へのリスクも伴いますし、調整をする全ての技術者がそのような部分をきっちり把握しているかは保証はありませんので。楽器が標準で正しく調整されていれば自分の技術の足りなさを楽器や弓のせいにしてしまうことにもなりかねませんので。但し、オーディオでも似たようなことがあるのではないかと思いますので、書かせていただきました。
 演奏会でのフィンガリングとレコーディングのフィンガリングなんていうのも実はあったりします。特に移弦や開放弦の扱い等ですね。
 別にクラシックとは限らないですが、スタジオ系のオケの録音やマイクを楽器に取り付けるようなライブ系の場合の音や発音のつくり方はステージのオーケストラと一緒ではないことが多く、また調整も同じにしてない場合が多いです。これもマニアックですね。それは巨大なホールのような残響のあるホールで弾く訳ではなく、ミキシングや効果音は後でつける素材という部分があるからです。どちらが本当、正しいというわけでもなくその目的によって変化するということです。
 弦楽器だってストラディバリのような時代の楽器はもともとは現在で言うバロック楽器だった訳ですので。時代や社会、音楽の変化によって現代のモダンセッティングに改造してあるのですから。


<音楽を楽しむ為のオーディオ・オーディオを楽しむ為の音楽>
 本コラムは「音楽とオーディオの交差点」というタイトルですがオーディオを楽しむと言っても音源として大砲や戦車の音でもない限りジャンルは別として音楽を聴くことになるかと思います。

 そういう意味では音楽自体なのか音楽をオーディオの音源としてかは別としても音楽を聞いて楽しんでいることには変わりがないのだろうと思います。当然のことですが、四弦亭としては音楽を楽しんでいただけるほうが良いとは思っていますが。

 さて、音楽を楽しむと言っても、出きる限り実際の演奏と同じように聴きたいというのは人間の自然な欲求だと思います。

 その為には、オーディオの選定や使いこなしつまり部屋を含めたシステムのセッティングはしたほうが良いに越したことはありません。
 CD等の音源を購入するという行為は個人の能動的なアクションになりますが、演奏を変化させることは出来ません。演奏の聴こえ方をセッティングによって調整することは能動的に可能です。高名なオーディオ評論家氏は「レコード演奏家」という概念を長年主張されていますが、確かに能動的なアクションを行わない限りその音源の聴こえ方を向上させることは難しいです。まあそれをセッティングとか調整とか、いわゆる使いこなしが必要になってきます。使いこなしと言ってもお金がかからないといえばウソになります。
 但しそれを「レコード演奏家」と演奏家と一緒にするのはある面能動的行為が必須という概念としては理解できますが、その例えはちょっとロマンティックすぎるのかなと、どちらかと言うと劇場支配人だったり、プロデューサーだったりレコーディングエンジニアという感じが当てはまるような気がしています。でも確かに楽器を持たず、音を出さない指揮者的な要素はあるかもしれませんね。機器やアクセサリーが各奏者とすれば。。

<モーツァルトの“p、pp、f”>
 これはソヴィエトのピアノの巨匠リヒテルの言葉ですがとても素晴らしい表現なのでお伝えしたいと思います。
 「ピアノは空に、ピアニッシモは神に、フォルテは宇宙に」届けるつもりで音を出す、という言葉です。これをイメージするだけで演奏者の音は変化します。オーディオでもそうやって聴こえるか、イメージして聴いてみては如何でしょうか。なかなか奥深い表現だとおもいませんか。流石、巨匠リヒテルです。
 実は、小学校の時、自分のお小遣いを溜めて自分で初めて買ったLPレコードはグラモフォンから発売されていたチャイコフスキーのピアノ協奏曲でした。演奏はリヒテル、指揮やカラヤン、ベルリンフィル。思い出、深い演奏です。カラヤンとリヒテルが丁々発止で演奏を展開しており、まさに競奏曲。
 今考えれば演奏家の違いなんてほとんど知らないで買った訳ですが、良い演奏との出会いだったと、今更ながら思います。何事も出会いは大切ですよね。

<中学時代のアイドル>
 私の小中学生の時のヴァイオリン奏者のアイドル?はパールマンでした。演奏会に出かけたり、テレビの録画をしたり、色々参考コピーさせてもらった思い出があります。パールマン、手がとにかく大きいのでポジションなんてどうなっているんだという感じでしたが、楽屋にまで押しかけたりしました。彼は足が悪いので壁に寄りかかって立ったままサインなんか頂いた思い出があります。その時に握手をしてもらったのですが、なんて大きくて柔らかい手なんだと思いました。中学校の時でした。
 あの明るい性格と音楽を心から楽しんで演奏する姿は本当に素晴らしいと思いました。
 段々色々聴くようになってきますとオイストラッフへ傾倒してゆくのですが。。。次にクライスラーとティボー。。チェロをやっていた仲間はカザルスに傾倒。。。なんて中学生だったのですけど。

 あの頃、ジュリアードのガラミアン門下の3羽ガラスといえばパールマン、ズッカーマン、キョン・ファ・チョンでした。
 楽器をやっている友人達と、誰が好きか、なんて良く議論したものです。丁度その頃、FMファンに掲載されていた長岡鉄男氏のSP製作記事を見て、一発のシングルバスレフを作ったりしたのもその頃です。それはバロック音楽を綺麗に聴いてみたかったからです。その当時使用していたシステムコンポ(懐かしい響きですね)パイオニアの25cm3weyではその雰囲気が出なかった為なのですが。その長岡式自作バスレフ1発に安物のツィーターとカットオフの為のコンデンサを購入して遊んでいたのを懐かしく思います。

<楽器>
 演奏しているものは皆、良い楽器や弓が欲しいと思っているものです。でも楽器のメンテや調整になると気にする人とまったく無頓着の方に分かれるようです。良い楽器や弓を持てばそれなりにケアしなければいけません。古いものであればそれなりに、新作だったらどんどん変化して行きますので、それに合わせた調整も都度必要になります。
 私はオールド、モダン、新作と数台所有していますが、どれも生き物で、それぞれケアしてあげる必要がある。但し、やはり通常持ち歩きメインで使っているものはそのケアも定期的にやってあげます。一番簡単なのは毛替えの時に同時に楽器の健康診断を専門家にしてもらってます。

 オーディオは本当に調子が悪くなった時だけメーカー等へ送りますが、その場合は通常は修理であって、健康診断では無いわけです。
 オーディオの健康診断、やはり所有者がその音の変化に早期に気付いてあげることになるのかなと思います。つまり、機器の健康診断をするの自分自身なるということだと思います。
 別に書かせていただいたようにゆっくりの変化には人間は鈍感です。それにはやはり基準をもつことかもしれません(電気的にチェックするという部分は別にあると思いますが)、演奏会に足を運んでいただくこともそれの一つになるかと思います。

<全ては自分>
 あらゆる分野で評論や批評は様々なメディアを通して我々は読んだり聞いたりされると思います。
 雑誌を中心とした書籍、最近ではインターネットの個人の感想に至るまで大量の情報です。
 オーディオや音楽といった趣味の世界では月刊誌、季刊誌等を定期購読されている方も多いと思います。自分の機器を選定する時、自分の機器についてのこと、音楽ですとCD等の音源を購入する時等も利用されているのではないでしょうか。最近は所謂その新発売のものに対しては複数の評論家による批評の形式が多く取られています。
 当然のことだと思います。特に音や音楽という受け手によって様々に感覚的、抽象的な世界ですので、定量的や絶対、客観というものでは評価することはとても難しい。演奏会批評だって同じです。
 四弦亭は「音楽性豊かな」「素晴らしい音」なんていう言葉は受け手によってもそれぞれだろうと思います。ある面、個人に取っては嗜好の世界な訳ですから。客観ではなく主観の世界。要は「好き」「嫌い」 但し、それだけだと偏向しすぎるので「食わず嫌い」という部分は出来るだけ少なくしたほうが良いと思います。その趣味を極めようとする場合は大切ではないでしょうか。
 主観の中の客観というか客観の中の主観と言うか、そんなバランス感覚も必要だろうとは思います。
 また一応その世界の長年集約されてきた「良きもの」にはなんらか理由や理屈がある訳で、そこは一応押さえておく必要はあるのではないかと思います。導入部というかガイドと言うのでしょうか、それがその道に先に入った友人であったり、お店かもしれない、はたまた雑誌や本からの情報かもしれませんが。この出会いはとても大切だと思います。
 やはり、自分に取ってはそれ相応のお金を使って購入するものは出来るだけ「良い」ものを買いたいと思うのは道理です。しかし、どんなものでも、目的がはっきりしていないと、選ぶことは難しいことが多いと思います。
 変な例えですが、デパートの一階の化粧品売り場のニオイは酷いと思いませんか。どんな単品や小品で良いものでも、それを混ぜれば良いニオイになる訳がありません。オーディオだってはっきりした目的なくベストバイを買い集めてシステムを組んでも結果的に満足するのは知識としての頭だけで実際の音はどうなるかは分からない。まあ当然試す聴くことが出来れば、その手前で??と思うことは出来ると思いますが。
 もしその環境で良くても、自分の家に迎え入れても使いこなしやセッティングができなければ本領は発揮してくれないと思います。それで満足ならそれはそれで良いと思いますが。どんなことでも自分の目的やイメージがはっきりしていなければその評価や他人に責任を転嫁しても何も始まりません。その悔しさや怒りをバネにすることは出来ると思いますが。やはり自分をきっちりと持って、また自分を磨くことが重要なのだと思います。自分という人間次第ということです。

<評論家>
 四弦亭が中学校の時にある著名な音楽評論家の方と知己を得て交流をさせていただいたことがあります。その方は現在でも活躍されている方なのですが。
 評論家に必要なものは何ですかとお聞きしたことがあります。
 答えは「音楽の知識と耳」それ以上に「人に読ませる文章の力」と喝破されました。今でも「けだし名言」と思います。そうなのです、評論家というのは「文筆業」なのです。
 自分が演奏できればまたそれはそれでプラスにはなるでしょうが、評論家は文筆業であり、エンターテイメントなんだと私は思ってます。その文章から様々イメージしたり夢をはせる、はたまたそのレコードを聴いてその評論に照らし合わせて、聞き取れたら満足なんていう演出をしてくれる、エンターテイメント。
 だから、その方は独自の評論の世界を展開され、極めて個人体験としての主観で評論される。評価の分かれるところですが。極論を言えば、一般的な評論家と称されるオーディオやCD批評だとすれば、楽器が演奏できるとか学者のような論文を書く能力よりも「読ませる文章」を書く力がとても重要だということです。その批評が自分にとって合っているのか、的外れなのから自分で判断するしかありません。それで自分と同じような評価を複数のサンプルで書かれているとすれば、その方の評論は自分の参考になる方です。またまったく感性に合わない評論家がいれば、それもカウンターとして活用できる訳ですので。
 いずれにせよ、ご自身で聴くことなくいずれの評価も下すことはできません。全てはご自身なのです。「信じた私が馬鹿だった」という言葉がありますが、そういうことも経験することで、自分自身の好みを逆に知ることも出来るわけですから。様々な経験は全て自分の血となり肉とできるかも自分次第なのだと思います。少なからず、どなたでも体験してきているでしょうし、四弦亭も同様です。失敗から真実が見えてくることのほうが多いかもしれません。「期待するから失望し頭にくる」のは自爆行為のような気がしています。なので新譜購入の参考にする時もありますが、逆にあくまでエンターテイメントとして読んで楽しむだけということもある。
 これが、評論家が発信する情報との四弦亭のスタンスです。
 最後に結論出すのは自分しかいないのです。本コラムに書いてあることもあくまで「四弦亭は感じた、思った」ということであるのは言うまでもありません。絶対はないのですから。同じ事象でも各個人の視点や価値観によって感じ方や表現は様々ですので。

<趣味>
 自分の楽器の調整や修理だって、私も一応有名とされるところは海外も入れて、かなり試してみたりもしてます。そして結果的に現在の主治医に落ち着いている。それまではそれなりにお金も時間もかかってます。様々なところで多くも教えてもらいましたし、でも結果的には長く付き合える、うまが合うとでも言うのでしょうか、そういう専門家にめぐり合って、良かったと思ってます。その方が絶対ということではないと思いますが、少なくとも自分が演奏活動してゆくのに安心して、時には真剣勝負をしながら、自分の心も豊かに楽器もどんどん良い音になっています。それが満足にもつながっているのだろうと思います。

 なんて言うのでしょうか、万人に絶対に良いなんていうものはほとんどないでしょうし、自分の体験や成長に合わせて満足ならベストではあると思いますが。一発必中で、趣味の奥深さは味わえないのではないでしょうか。それなりのお金と時間、それ以上に自分の理想に、それにかける執念が持続することで、一歩一歩、そして気付けばまだ先や知らないことが理解され、深まり、そのステップは永遠に上に続く。また続くからこそ奥深いのだろうと思います。それが趣味であり、ディレッタントなのではないでしょうか。

 趣味の世界はお金はかかります。
 どれだけお金をかけるかというのはそれぞれ許された環境でかかる比率は高いのだろうと思います。オーディオなら家まで関われば千万単位になるでしょうし、それでなくてもトータルでみれば百万単位はかかるほうが多いのではないでしょうか。
 自分はそんなにお金をかけてないと言っても総合すればすぐに100万を突破するのではないでしょうか。
 巨大なシステムを構築したら電気代だって年間でみればどれだけかかっているのでしょうか。通電しっぱなしなんていうことも良く聴きますが環境問題なんてどのように考えていらっしゃいますか。
 CDだって1枚平均2000円として1000枚なら200万です。かように趣味にはお金がかかります。どの趣味にもあてはまります。それが自分の人生を豊かに楽しく過ごせるものだったとすればそれは安いのかもしれません。趣味一生としてみれば。趣味とはそういうものであってほしいなと思います。
 オーディオや真空管は大橋様という方と「出会い」を与えてくれました。大橋様との交流はどれだけ様々な意味で自身の人生を楽しくしてくれたかわかりません。趣味を通した「出会い」って本当に人生を豊かに、楽しくしてくれるものだと思いませんか。

<ある俳優の言葉>
 アメリカのアクターズ・スクールというところで著名な俳優を招いてインタビューをしながらその俳優を描き出してゆくという番組がBSであります、学生はそれを観客として参加している。四弦亭はその番組が結構気に入ってます。
 「キーファー・サザーランド」というカナダの俳優が出演していたのですが、ご存知でしょうか「24hours」というTVシリーズの「ジャック・バウアー」役の方です。ご存知の方もいらっしゃると思います。お父さんはドナルド・サザーランドという名優ですが、そっくりの顔をしています。お父様のほうがかなり大柄ですが。
 さて、その番組、最後にその学校に通う学生から俳優への質問タイムがあります。ある学生からの質問は「どのように演技を考えてゆくのですか」というような抽象的な質問でした。キーファーは
「なるべくシンプルに理解するようにしている」
「まず、脚本をそのまま通して読む」
「脚本にはスタート→クライマックス→終わりというストーリーが
かならずあるのでそれを自分の中で理解し組み立てる」
(つまり起承転結をきっちり頭にイメージするということだと思います)
「次に自分の役を中心として脚本をもう一度読む」
「すると、その役が物語りの起承転結で変化しながらも、必ず共通している
人間としてのキャラクターを幹として見つけ出す」
「それさえ見つけ出せれば、あとは枝葉になるのでその幹がとても大切なんだ」
ということでした。
 音楽の演奏や解釈という分野でもまったく同感、とても重要なことです。譜面を読むのと同じです。楽章の中で、そして各楽章につながる作曲家のメッセージのような幹をきっちり理解しておくこと、本当に大切と思いました。「24hours」のエポックメイキングな部分は、「リアルタイムで起こっている」というコンセプト(つまり24回で1シリーズ、1日分を24回で作る、1時間番組がそのまま1時間の推移としている)を打ち出したことです。それはまさに「生の演奏会がCDを聴くのとは違う一期一会の共有体験」ということとまさに同じことを、画面で表現手法として視聴者に疑似体験させることを創り出したことなのだろうと思います。
 早く新シリーズが始まらないかな。。既存放送分はDVDで発売やレンタルしてますのでご興味のある方はどうぞ、必ず初回のシリーズから見てくださいね。
 但し、寝不足になっても恨まないでください。オーディオ聴く時間減りますから。

<第10回を迎えて>
 第9回を書いてから、大分時間がたっております。
 その間、本コラムをお読みになっているお仲間の皆様から、大橋様に更新はまだですか?というようなご質問やご期待を頂き、本当に皆様に感謝致します。
 冒頭に書いたように「良い音楽、良い演奏」について記念すべき第10回を飾ろうと書き溜めてきたのですが、さすがにテーマが壮大になりすぎて収拾がつかなくなってしまい、ショートコラムを集めての第10回とさせていただきました。
 時間軸が一定ではありませんので、重複したり、その都度感じたこと等を書かせていただきましたことをご容赦くださいませ。
 皆様の素晴らしいオーディオや音楽ライフの参考になったとすれば幸甚です。

 また、第10回を迎えられたことに対して、大橋様、そしてHPへのアップを初回よりしていただいたサンバレーの小濱様に感謝いたします。今後共、不定期ではありますが、本コラムを宜しくお願い申し上げます。
そして最後に。
 自分のイメージや再現音に迷ったら「是非、演奏会へ足を運んでみてください!」必ずその問題解決のヒントを与えてくれると思います。
オーディオと音楽の交差点 第10回
四弦亭酔響
2005/7
  (無断転用転載禁止)
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