キット屋倶楽部
キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』
 
音楽とオーディオの交差点 第11回

<はじめに>
 皆様、大変ご無沙汰をしております。
 第10回を上梓したのが2005年7月ですのでもうすぐ2年を迎えようとしております。
四弦亭が最初に書き始めた頃からすると、真空管アンプやオーディオについての環境や認識が変化しているように感じておりますが、皆様はどのようにここ数年の変化を感じておられますか?

 先日の第3回東京試聴会に少しだけ参加させていただいたのですが、以前から変わったと思ったのはお客様の層の変化でした。聴くところによれば3割の方が初めての参加ということです。女性の参加者もちらほらいらっしゃって楽しそうにデモをお聴きになられていたことも印象的でした。
 この変化は、今まで大橋様が商品にメッセージを込め、そしてHPで絶え間なく発信されつづけてきたことが実を結び始めているような実感もあって、四弦亭も本当に嬉しい限りです。大橋様はじめ、キット屋のスタッフの皆様のご努力の成果ではないかと思います。

 さて、キット屋様のお仲間の皆様に関してかもしりませんが、四弦亭からの情報や考えは、良い意味で不要になってきているような気もしております。

 第11回を上梓していない言い訳で書くわけではありませんが、僭越ながら四弦亭の役割は終わったかななんて思ってることも確かです。個人的な自己完結しているものであるということで、四弦亭はもともと、オーディオに関してそれぞれがそれぞれの価値観で楽しめれば良いと思っておりますし、自身が大したオーディオ経験もないのに、とやかく言うことは僭越なのではないかと思っていることもあります。

 大体、コラムの第10回までである程度その時点で、皆様の豊かなオーディオライフや音楽ライフに関してご参考になると私自身が思うことは書いた、という気もしております。

 実はこの2年間も時折ちょこちょことラフに書いていたことはありますし、その量は多分コラム5回分以上の量になるかと(そのままアップできるような文章ではありませんが)思います。それらは時々で感じたこと、また自分の考えをまとめるのに使っていたような感じです。

 何か上梓できる内容があればと考えなかったこともないのですが、過去のコラムで書いていることの繰り返しだったり、時には流石にこれは公開するには過激と思ってしまったり、そんなことで結局まとまらないので上梓まで至らなかったりしていたというのが実際です。

 さて、本11回目のコラムでは、一応第10回までお読みいただいているお仲間を対象にさせていただこうと思います。その前提がないとお読みになられると誤解や不理解が発生し、魑魅魍魎の世界を助長してしまう気がしているからです。
もし本コラムを読まれるのが初めての方がいらっしゃいましたら、是非第一回から読むお時間を頂戴できればと思います。

 とは言え、表現の仕方は異なっても大して言っていることは変わらず、過去の繰り返しではないかなんてこともありますのでそのあたりはご容赦願います。
約2年間の間で自分のオーディオの音楽再現についても色々考えてきたことも書くつもりです。

<オーディオと音楽の交差点の本質を考える>
 四弦亭が過去のコラムで主張してきたことをいくつか列挙してみたいと思います。

 ・交差点1
   オーディオの音をシステムとして(音を自宅で出すこと)判断したり
   セッティングしてゆくには、「実際の演奏会に是非足をお運びいただき」
   出来るだけ具体的にきっちりと自身の理想とするイメージを作った上で、
   オーディオの音創りやセッティングに活用して頂くことが重要である。
 
 ・交差点2
   音楽でも、オーディオでも、これは何事であっても
   「絶対」ということはなく「バランス」が大切である。

 ・交差点3
   システムの再生音は必ず部屋のアコースティックの影響を受ける
   ので、それを無視して機器を評価したりすることは難しいし、
   部屋の影響をきっちり認識した上でセッティングを行うことが大切。

   自分で機器の音だと判断しても実は部屋のアコースティック特性を
   含めた音を結果的に聴いて判断していることを忘れないようにする。
   =前提として、SPのセッティングが一番再生に影響が大きい。

 ・交差点4
   人によって好みは千差万別なので、自分が好きな音のイメージを
   きっちり持った上で実際の生の音(これが絶対とも言えない=オーディオ
   的な面白さは否定しない)からのイメージも利用したり相対評価して、
   自分の音創りに活用する。他人や評論家の言っていることを鵜呑みにしない
   姿勢が大切。だからこそ自分の基準やイメージをきっちり持っておく。

 ・交差点5
   「原音再生」と言ってもそれがレコードやCD等の音源になっている限り
   人による音の捉え方は様々(レコード製作段階でも)であるので、何を「原音」
   と考えるかは注意が必要である。
   当然、オーディオ機器でもメーカーの音の捉え方や、何を理想としているか
   によって反映される商品としての「音決め」がある。
   =レコードにして、オーディオにしても「音決め」には途中に何段階も人間(それぞれ
   固有の感性や考え方)が介在していることを忘れてはいけない。

 ・交差点6
   楽器でもシステムでも、イメージを持った上でそれを音として具現化する為には
   「使いこなし」がとても重要である。つまり機器そのものの音や問題を云々する前に
   使いこなしのテクニックを磨くことが大切だと感じる。
   その情報は紙でもインターネットでも溢れているので、自分の感覚を磨きながら
   その適用による変化に対する基準をきっちり持った上で、
   相対化して自分のスキルにすることしか得られないことが多い。
   様々なアクセサリーは使いこなしや音創りに有用であるが、基本的なセッティング
   がきっちりしていない段階で「変化の為の変化」の為に使ってゆくと、多くの場合
   基準や軸が狂うことで何がなんだか分からなくなる(=情報を鵜呑みにしがち)
   多いので注意が必要。


 *交差点総論*
  演奏であろうが、オーディオ再生であろうが、どのようにしたいのか
  自分のイメージがきっちりしていないでは音楽や音に反映させることは難しい。
  但し、オーディオの場合は極論ではあるが、演奏者も聴衆も同じ個人となり
  すべて自身が判断するので、本人が満足していることが一番であると四弦亭は考える。
  オーディオ的な楽しみを否定もしないし、それはそれで面白いと思うが、
  出来れば音楽を楽しんでいただきたいので自分の基準を明らかにしてゆく
  為にも「演奏会に足を運ぶことは有用」と考える。


 <楽器選びからのヒント>
 四弦亭は人の楽器選びのアドヴァイスを求められることがあります。
当然、予算や目的によってその楽器選びも何が絶対ということにはなりません。
同じ製作者でも1本1本違いますし。

 当然、予算範囲内で出来るだけその方の要求が満たされること、そして演奏や演奏効果の高いものが良いと思っています。
 相談者の中で一番楽にそして結果的に良い楽器を選べることになりやすい場合のことをまず書いてみたいと思います。

  1、 沢山の楽器を試奏していてある程度音に対する評価基準がニュートラルになっている方
  2、 自分の技術的な問題点や癖を楽器のせいだと考えない方
  3、 自分で求めるイメージがはっきりされている方


1、は中々「ニュートラル」という部分を持つことは難しいことがあります。
それは、楽器を選ぶ時に自分の今まで使用してきた楽器の音にかなり影響されるからです。

例えば、AとBという楽器が残り最後に選ぶことになったとします、客観的に見て(聴いて)、明らかにBが四弦亭に良いだろうと思ってみても、その方の音の判断基準が今まで使用してきた楽器の範疇にない場合は、結構な確率でAを選んでしまう方が多いということです。
つまり、自分の楽器をさておき、沢山の楽器を試奏してきている方は、比較的そのトラップに引っかからないことが多いと思います。

2、は、単純に言えば、適切な使いこなしができる技術がない場合には、その良い楽器能力が適正に判断できないことが多い、ということです。
今まで使用していた楽器がちょっと癖のある弾き心地やバランスを持っている場合にはそれに意識的に本人が対応していない場合は、良いバランスの楽器を弾くと逆に仇になってしまい、その仇が判断の基準とされてしまう場合です。
ただし慣れてくればバランスの良い楽器のほうが弾きやすいということは気づくのですが。

3、は1と2がクリアした上で自分の望む楽器の音がきっちりされている場合です
明確でもそれが客観的な楽器の良し悪しの基準とズレている場合は1,2、をクリアしてもらう必要が出てきます。

 当然のことながら、現在のよりも様々な意味で演奏のステップアップになる楽器が欲しいから、探すのだと思いますが、意外に多いのは現在の楽器をきっちりと調整していない、ケアしていないで、それを楽器の実力せいだと思い込んでいる方が多いことです。

 楽器本来の能力の問題の前にその楽器が実力を発揮できるようなコンディションではない場合や、弓の実力が楽器に見合ったものでない場合によってその能力が引き出しきれていない場合もあります。
最悪なのは、その方がその楽器の実力を引き出す技術が足りていない場合です。
一番簡単なのは、現在の楽器よりも何倍もする楽器や所謂名器を弾いてもらって言い訳ない状況で自分の癖や好みの偏差を取り去ってもらうことなのですが、なかなか誰にでもそれが可能なわけではありませんので、難しいところです。

 とにかく現在の楽器の能力をきっちり限界近くまで引き出す(鳴らせる)ことが出来ていて、自分の音楽表現の要求やイメージをその楽器では出せないということでステップアップさせることが理想なのですが、実際にはなかなかそうでもないことも多いです。

 但し、言い訳が出来ない名器や弓を持ってしまえば自分の技術や表現において、その方が謙虚であれば、良い楽器はその奏者に沢山の音のパレットを使って、様々なことを教えてくれることも事実です。

 楽器の実力を引き出す為には、それに見合った弓、きっちりとケアや調整されていること、そして技術が伴っていることが必要になります。
名器になればなるほど少しの変化が音に反映しやすいですが、ケアをしていないと知らないうちにどんどんその楽器の調子の良い状態の音を忘れてしまいます=慣れ。

人間は「鋭敏かつ愚鈍な感性」を持っているものです。

 楽器は音だけで判断されるように思われている方がいらっしゃいますが、実際には奏者によってその弾き心地(テンションやバランス)は、実際の音に反映するので、とても大切な要素となります。

 調整で合わせられる部分もありますし、楽器が持った固有のものもありますので、名器といえども奏者の好みは分かれたりする訳です。
所謂、名器の両横綱のようなストラドとガルネリ(デル・ジェス)ですが、弾き心地や鳴らすポイントがかなり異なっています。

大変雑駁に言えば、ストラドかなり特殊な楽器と言えるかもしれません。
当然、同じストラドでも製作時期や状態によっても異なるわけですが。

上記、オーディオ選びとしても結構当てはまっているように四弦亭は感じますが、いかがでしょうか。ご参考になればと思います。

<音色について>
 楽器(ヴァイオリン)の音色は様々です。
名器と言われる楽器も、製作家、国、地域、時代によって理想とする音は様々であるということが分かります。
良い楽器は演奏効果も高く、「質の高い」音を持っているのは共通ですが、音色は様々です。当然、音色と質を完全に分離して考えることはできないのですが。
ストラドとデル・ジェスは両方質の高い音を持っていますが「音色」はそれぞれ個性があるということからもご理解いただけると思います。

<自分の感性を磨く・人間の認識や情報処理能力>
 最近、特に思うことがあります。
それは、同じものを同場所で聴いても、感想は同じではないし、 「本当に同じ情報量を聴き取っているかは疑問である」 ということです。
当然、どの部分を重視して聴き判断しているか、ということも関連してきます。 それは個人的好みの一部と言うこともできるかと思います。

 オーディオは自己完結のものであると書いたことにつながるのですが、 その人が再生を聴いて幸せであれば一番良いわけです。

 四弦亭が良いと思った再生音が万人に受け入れられるかはわかりません。
このあたりは大橋店主様の日記で拙宅をご訪問いただいた時の感想が「店主のひとりごと」に掲載されていらっしゃいますのでご興味のある方はお読みいただければと思います。

 オーディオから出てきた音や音楽という膨大な情報をどのように処理して判断基準としているのかは、人それぞれではないでしょうか。

 オーディオ的に言えば、帯域のバランス、倍音の表現、出音のタイミング等になるのかもしれませんが、所謂、音色やハーモニーや響きをどのように判断するのか、リズムや抑揚やウネリ、デュナーミク(ダイナミックレンジ)変化がきっちり音楽に有機的に表現できているのか、と感じる部分は個人によって差があると思うからです。
当然、部屋のアコースティックを含めてどのように聴こえるのかということになるかと思います。

 特にオーケストラ曲になれば、実際の音の情報量は膨大なものになりますし、 どこまで聴いているのか(これは演奏会での生の音でも同じです)不遜な言い方で恐縮ですが、どこまで聴き取れているのか、聴きたいのかは人それぞれではないでしょうか。

 その情報処理能力は、多分今までのその方の経験や努力や知識によっても変化してくると思います。それを含めての聴き取る能力。
別に聴いた音をそのまま譜面に書き取るというようなことを言っている訳では ありません。
絵画を見る場合だって、その歴史的な背景やその作家の別な作品や同時代の作品を実際に知っていたり、経験しているかどうかで、その作品から受ける印象は変わりませんか?
そんな意味で、どのように頭で処理し認識したり、感じているのかということです。

 因みに、生の演奏会では、何かキズになるような小さい事故は結構起こってますが、実際に聴衆の方でそれに気づかれる確率は思っているより高くありません。
特に音楽が自然に流れで進行し、起承転結や流れやウネリが正しく推移していればその確率は更に低くなります。音楽のメッセージがきっちりしていれば実際に取るに足らない ことにもなります。

 名演はキズが(程度問題ではありますが)問題になることは少ないことを証明していると思いますし。それくらいオケ、指揮者、お互いがギリギリまで音楽演奏を目指した場合に名演と言われることも多いわけです。
言い換えればスリリングな一期一会の演奏でその空間を共有したお客様は一緒にその行為に参加されているようなものです。
フルトヴェングラーの言葉ですが「感動は演奏者と聴衆の間に生まれる」といったことと同じなのだろうと思います。

 演奏しているとお客様の反応は奏者の気持ちに影響を確実に与えるものです、 本当に演奏が上手くいっていると、楽章間でも咳払いが通常よりも少なくなり、 いつもよりその空間が張り詰め、シーンとしてきます。相互作用のように様々な意味で その空間や空気を共有しているという感覚になって一体になってきます。

 横道にそれてしまいました。
 オーケストラのDVDや放映の映像を思い浮かべてみていただけますでしょうか。 編集されていることがほとんどですが、カメラの切り替えが上手くいっていて、 制作サイドが良く音楽がわかっている場合はパートやアップで映像を音楽の重要性に 応じて音楽の受け渡しや対話として上手に切り替えてくれます。

 当然見ている側も自然に音声の注意を向ける部分はその映像を映している楽器の 音を中心に聴くようになります。 映像がついているだけで音楽がわかりやすくなったりしますし、音が多少悪くて もそれなりに楽しく聴いていられるのではないでしょうか。 つまり、映像情報と音声情報が渾然一体として音だけの時よりも受ける感じが 変化する。それは人間の様々な感覚器官からの情報の処理と認識の仕方だからと 思います。

 倍音という言葉があります。オーディオでも倍音という言葉は使われます。 でも実際には、多分人によってその聴こえ方(聴こえる情報量)は様々だと思います。 倍音は聴くこともあるでしょうし、音色や温度感等として感じることでもあります。

<音色や音程の創り方>
 「音色」というと、オーディオでも明るい、暗い、陰影感、輝かしい、いぶし銀、柔らかい、硬い、温度感が、と様々な言葉が単語として日常出てきます。
音や音楽というものは抽象的なものですので、他の感覚器官の表現を比喩して説明することが多くなります。
良い楽器は「明るくて暗くて柔らかくて硬くて輝かしくいぶし銀で温度感が高くて低い」。
なんのことだか分かりませんよね。つまり様々な音の表現のパレット(これも色の世界で使われますが)の数がとても多く、それを奏者が任意にイメージし技術によって楽器から任意に引出しやすい楽器は良い楽器ということになります。

 名器といわれるものや現代の名工が製作した楽器は音に芯があると同時に上下の倍音も 良く出ます。倍音は無節操に出れば良いというものではありません、基音と倍音のバランスが適切であることが重要です。
そこに製作者の個性というか理想の音を追求した音色や高い質感が伴います。

 倍音はその倍音列のバランスを演奏でコントロールすることで様々な音色を表現する ことができます。
また倍音が適切にコントロールできていないと音程が正しい場所を押さえている にもかかわらず、聴感上の音高は上下しますし、逆にそれを任意にコントロール することで表現の手段として使うこともある訳です
。 だから音のパレットは多いものは、技術で任意に使い分けられる場合は表現しやすい楽器となりますし、技術が伴わないと逆にコントロールが出来ないで「鳴らない楽器」「弾きにくい楽器」なんて判断されることもあります。

 以前も書きましたが「F1カーと一般乗用車」どちらが良いと言っても乗り手や目的によって異なってくることに似ているかもしれません。

 当然、音楽表現をする上で適切なバランスや発音、減衰というものも一体となっています。ただし弾き心地は様々ですし(フィッティングや調整でも変化させられますが)、演奏者の表現や音の好みというものとマッチするととても音楽表現がしやすく演奏効果も高い楽器ということになります。

西洋音楽は調性やハーモニーを使うことで様々な表現をしています。 簡単に申し上げれば、ピアノでドミソの音(和音)を弾いたとします、 しかし音を出す人によってその響きは同じものにはなりません。 それは3つの鍵盤を押す力や抜き方、初速のスピードが連携し何通りもあるからです。 当然、音は連続して音楽となって行きますので、その間の取り方、つなげ方も含め、テンポやリズムと密接に連携して表現されてゆくわけです。

 打鍵の仕方でも音程は微妙に変化させたり、変化しているようにも演奏する。 当然弦楽器などは実際の音程は実際にその音楽的な役割に応じて能動的に変化させ ています。

 音高を演奏中に自由に変化させることのできない鍵盤楽器はその時代の要求する転調に伴うハーモニーや旋律に不自然さが伴わないように音律というものが過去様々考案されてきています。所謂「平均律」もその一つです。

 基本的にはオクターブ主義と言いますか、オクターブをどのような比率で全音と半音の数に分割するかというような考え方です。(実際の調律はそれだけではなりたっていないのですが、分かりやすく書かせていただきます) 多くの弦楽器は5度が調弦の基準ですので、5度主義とでも言いましょうか、
 理論上、オクターブ主義と5度主義は共存できない(ご興味ある方はネットで「ピタゴラスカンマ」とか純正律(調)、音律」とか検索してみてください)のですが、ピアノとヴァイオリンの為の曲は過去より山程ありますし、そのあたりは微妙に音色や実際の5度調弦を含めて違和感のないように音程を調整して演奏するというテクニックを使っているわけです。

 場合によると、これも以前のコラムでも書きましたが、例えば古典を演奏する場合にピアノの調律を平均律ではなく、微妙に古典時代の調律法に寄せて演奏する曲の調性や転調範囲に一番響きが良いようにすることもあるわけです。

 但し、人間の感覚は鋭敏かつ愚鈍でありますので、そこまでしなくても一般には奏者が音色やハーモニーのバランスを微妙に変化させることによって、それらしく違和感なく響くようにすることをしています。
ちなみに自然倍音列は平均律と一緒ではありませんのでご注意ください。

 もし鍵盤楽器をハ長調の純正律で調律したもので、ワーグナーのような転調が沢山ある曲を弾いたらどんどん音が濁っていってしまうことになるので、平均律はある面とても偉大な発明でもあります。
他の楽器は高め低めは演奏しながら変化させられるので鍵盤楽器のように奏者が任意に音高を変化させられない場合はその音律の考案はとても重要なものになっています。

 西洋楽器はほとんどの場合、響きの豊かな空間(石の文化)で演奏されることを前提としてますし、響きがデッドな和室のようなところで演奏されることを前提とした和楽器とは響きの考え方や使い方も違います。

 またその空間にしても王宮の広間、教会、ホール、劇場というような空間の違いは、音楽の大衆化に伴って変化し、楽器も奏法もその環境へ適応して変化してきていることは、 以前のコラムにも書いた通りです。

 良い楽器は「差音(結合音」というものが2重音を弾くと差音が発生します。 A周波数―B周波数=差音周波数となります。 楽器は、各AB音に対しての倍音も出ていますので倍音からの差音も発生することになります。結構複雑に絡み合い音が出ているということになります。

 調弦にはその感覚を利用していることも多いのですが、(平均律では純正5度にはなりませんので気持ちよくは響きません)3つの音を弾いているというかオルガン(その理屈を利用してます)が和音を弾いているような豊かな響きが出てきます。 差音や共鳴音は弦楽器の豊かな響きを創出させている部分でもあります。 また、倍音同士にも差音は発生します。

 純正5度(周波数2:3)を響く場所で正しいバランスで出せば第三音つまりドとソ(5度)の間のミ(第三音)も小さな音ですが、聴き(感じ)取れる方も多いかもしれません。

 ピアノ等の平均律の場合はオクターブを除くと2和音の間で共通する倍音はそろいません ので「調和」は悪いということにはなりますが、さて皆様の耳にはどのように聴こえますでしょうか。

 上記は、ハーモニーつまり和声的な音階についてなのですが、 現実には旋律もあり旋律的音階も演奏には必要ですし、旋律をそれを愚鈍かつ鋭敏な人間に分かりやすく表現する手法としての連続する2音の幅を広めに取ったり狭く取ったり様々作業していることは付記しておきます。
ここからはイントネーションと言って各奏者の感覚に委ねられている部分が多く、その塩梅やバランスは個性や表現力というものにつながってゆく部分となります。

 難しくなってしまいました。
四弦亭が演奏をするときにそれを常時考えている訳でもなく、理屈はあるのですが、実際は気持ちの良い響きという意味の中にはそんな理屈があるとだけご理解くださいませ。
尚、絶対音感と平均律に関しては過去のコラムをご参照くださいませ。

<オーディオへの応用>
 上記を書いた理由は、オーディオでも似ているところが結構あると感じるからです。 似ているというか理論でも同じことも当然あるのではないでしょうか。

 響きを適切に表現するには帯域バランスが整っていること、その発音や減衰が揃っていることが大切だということなのです。
但し機器単体であっていても、システムとして、また部屋のアコースティックとの整合性があって結果的に適切な音になりますのでとても難しいところですし、逆にセッティングによって能動的に調整が可能ということを示しているのです。

 電気信号を空気の振動に変換するのはSPですから、その選定やセッティングが極めて重要になってくると思います。
上手に部屋の空気を振動させるというか、一体になって鳴らすようなポイント を見つけるということに言い換えられるかもしれません。

 装置が完全にフラットと仮定しても部屋の中で聴いている音はフラットとはなりません。
結局、部屋のアコースティック環境(状態)との折り合いをつけることが必要になります。

 装置、ケーブルやアクセサリーすべてその変化は部屋の特性の山や谷に微妙な具合で ヒットすればある面「激変」や「最悪」なんていうことなのではないでしょうか。
ある程度セッティングの精度が上がってくれば何を変更しても必ず音に変化を起こすのはそういう部屋の特性サーフィンに上手に目的通りにシステムの素の特性が乗れているかどうか、ということなのではないのかと感じます。

 四弦亭が現在のシステムに新調して1年目くらいの時でしょうか、
セッティング調整を行っていると、残響で伸びているある音が不自然に音程が下がって聴こえてしまうということが起きました。 演奏者の瑕疵でないことは明らかなのです(ありえない)、とても気持ち悪いものです。

 その音を構成する倍音並びのがどこか部屋のアコースティックによって強調されているか、早めにその倍音だけ落ちてしまっているのだろうと思いました。
機器の問題とは思いませんでした、結果的にはスパーツイーターの仰角等をほんの少し微調整することでその現象は収まりました。

 四弦亭のSTは18KHzより上、それもスターリングの能率は91dbです。 STは89dbにしているのにそうやって影響が出る。
つまり倍音や部屋の特性が作用しているのは明らかです。その下がって聴こえる音は 当然18k以上ではなく実音程としてなのですから、結局部屋の特性になにか作用されて 起こった現象という訳です。

 結局のところ、個人の感じ方や感性がどこまでのところで満足するのか、 または折り合いをつけるのか、それは個人の感性や感じ方以上にはならないということになるのではないでしょうか。

「自分の感性やセンサーを磨くこと」がとても重要だろうと思います。
良い演奏や音楽を沢山聴く、それに伴う知識も増やす、そして実際の生の音がなぜ自然に人間に音楽を伝えてくれるのかも体感し、ある種の基準も作っておくことは重要だと思います。適当な間隔で生音である演奏会を経験されることは有用だと思います。

<人それぞれの楽しみ>
 ホールでの演奏会に行っていただくと分かるのですが、同じホールでも客席の位置によって驚くほど聴こえるバランスは変化します。
2階席の真ん中の前列の音が好きという方もいらっしゃいますし、出来るだけ演奏者に近い位置の席で聴きたいという方、はたまた最後列のほうの響きを好まれる方と色々いらっしゃいます。

 これはオーディオでも部屋のアコースティック環境によって聴く位置で、音や響きが変化するのと同じことです。
但しオーディオの場合は2チャンネルは人間の左右の耳の頭の認識の仕方を利用して表現しますのでスイートスポットはある程度限られるのかもしれませんが(うまくセッティングが決まるとスイートスポットだけでなくても楽しむことができるようになります)、
ホールは直接音と間接音のバランスは違いますが、どの席の音でもそれが生音ということにはなります。

 好みの音や響きは人それぞれです。演奏の好みもお客様それぞれと思います。 オーディオでも「近い音」「遠い音」なんていう言葉で大橋様は表現されていらっしゃい ますが、これは実際にホールの演奏を聴く場合でも席の好みと同様のことになります。

 ホールの席の位置の音の違いは、直接音と間接音(残響含め)のバランスが どういう状態が好きなのか、ということにもなるかと思います(視覚を無視した場合)。

 またホール違いによる響きの好みなんていうのもあります、同じ演奏家が異なるホールで 演奏する場合は好みのホールで聴きたいというのが人情です(プログラムが関係するとは思いますが)。

 また、その演奏人数や音楽に合わせたホールの大きさ(空間の大きさ)などももとても 重要な要素になります。ホールの特性によって当然演奏のテンポ等も変化させています。

 つまり、演奏というのは会場のアコースティックを無視して語れませんし、席の位置で驚くほどバランスは変化する、しかしどれもが実際の音です

 さて、オーディオにおいても、原音再生という言葉を横においておく場合、ご自身の好みの音に仕上げるという意味では直接間接残響のバランスをどのあたりにセッティングするかということになる場合が多いようです。

 また無響室で再生している訳ではありませんので、部屋のアコースティックも当然、ホールのように影響してきますので、聴く位置つまりSPからの距離をどのくらいに取るのかということでも好みの音にしてゆく要素にもなると思います。

 もし部屋の影響を受けたくなければ、ヘッドフォンが一番良いと思いますが、実際には肌や体で感じる響きや特に低音等は耳からの情報だけではありませんから、またそれも響きを身体全体で感じるのと異なります。

 つまり、自分が自分の理想とする音や再現のイメージをきっちり持って、それに近づく再生のセッティングできれば、本人はとても幸せ、満足ということになると思いますが如何でしょうか。

<“らしく”再生する>
 現在の録音や再生技術と一般にオーディオが鳴らされる部屋の環境では、物理的にオーケストラの巨大なエネルギーを完全に再生することは無理ですし、これは理論上でも無理なのだろうと思います。

 だから「らしく」「髣髴として」感じられる再生を目指すのことしか出来ませんし、らしく聴くことができる再生を自分なりに追求するということなのかもしれません。
その感じ方は実際の生音の経験があっての相対的な話となります。

 各人でその感じるイメージは同じではないはずですので、オーディオはまさに趣味として、どのように音源を鳴らすのかということは人それぞれだから、面白く、そして奥深いものなのだろうと思います。これは人間にとっては音は抽象的なものだからです。

 当然、もっと根源に立って言えば、各人の耳の特性は一緒ではありませんし、また認識力もそれに関係し想像力や経験でも変化するのではないでしょうか。耳の形だって聴く音に影響をします。物理的な部分と人間の認識力によって各人は同じにはならない訳です。

 また「良い・悪い」は人によってでしょうし、言い方をかえれば、その判断は絶対ではなく私の「口に合う・合わない」のようなものではないでしょうか。
その人が美味しいと思えばハッピーですし、但し毎日食べたい味と時々食べたい味があるように、音でも毎日聴きたい音やそうでない音(再生)もあるのだろうと思います。

 皆様は毎日高級レストランや料亭で食べたいでしょうか?それとも家庭の味が良いですか?

 なかなかオーディオ再生という意味では難しい問題ではありますが、一つの解決方法として複数の再生装置を使い分けることで解決されているのかなと思います。
これはオーディオの楽しみの一つのあり方だと思います。

余談ですが、四弦亭は所謂ピュアオーディオという部分では一つのシステムだけを使っていますので、そのあたりは上手にバランスを取ることが必要になります。
四弦亭はスターリングのサランネットを着けているか外しているかで自分の中のモードによって聴き方(出てくる音)のオンオフをつけたりもします。

<その次に目指すもの>
 セッティングが決まってきたとします、皆様は次に目指すのは何でしょうか。 私は再生の質や質感の向上を目指します。品位というものでしょうか。
この部分は本質的にはセッティングではどうにもならない部分のように感じます
。 基本に忠実に、電源の見直し、ケーブルの見直し、アクセサリー系の見直しによって質の向上というものは小さな積み上げにおいて出来るものもありますが元々の本体の基本的な質感は変わりません。

 真空管アンプの場合はコンデンサやパーツをより質の高いものにするとか言うこともあると思いますし、球のブランドによっても変化します。
但し、パーツの変更は基本のバランスを壊してしまうこともありますので注意は必要だと思います。
大橋様は「銘木で作った掘っ立て小屋」なんて以前表現されていた部分です。ご記憶のあるお仲間も多いのではないでしょうか。

 質の向上を大変実感したのは、キット屋様がご推奨されている501SEのグレードアッププラン、つまりコンデンサーのジェンセン化でした。 これはびっくりしました。あらゆる面で質の向上が見られたからです。 エージングに時間がかかるということでしたが、最初から圧倒的な変化に感激しました。

 そしてエージングが進むと共にジワリジワリとどんどん良い質感になってきて本当に素晴らしい。一般的に言えば音的にはアンプ価格の倍以上だしても得られるかどうかという変化に近いかもしれません。有難いことにアンプを買い替えた訳ではないので基本的に501SEの美点は全て継承してくれた上での質の全体的向上です。圧倒的な質感の向上ということです。大変なハイCPであると思いました。お薦めです。

 これは先に書いたようなセッティングにおける周波数特性のサーフィン部分ではなく、質感の向上ですので、セッティングさえある程度決まっていれば必ずこの恩恵はどなたにでも受けられるものと思います。

因みにセッティングにかかわるような部分に関しては商品の何が良いと具体的に四弦亭は 書くことは控えております。それは各人の好みやセッティングの状態や機器のバランスよって評価が変わる可能性があるものだからですが、この501SEのジェンセン化はそれとは違った次元で素晴らしい効果を出してくれ、環境に依存しない結果が見込めるだろうということで書かせていただきました。

<音像や実在感と空間表現>
 四弦亭が目指している音(現在)をオーディオ的に書かせていただこうかと思います。 音楽の要素がきっちりと表現されること、そして演奏家のメッセージがきっちりと伝わり音楽を楽しめると同時に細かく聴けば奏法や演奏作業がイメージできる情報量を持っていることになります。それを含めて自分に実際の演奏を髣髴とさせ、「らしく」聴こえるということ。

 例えばオーケストラ曲であればきっちりとステージの在るべき位置や奥行きに各楽器が並んでいることも、四弦亭には精神安定上(せっかくオーディオをやっているのだからという意識もあります)必要ですが、これは部屋のアコースティック環境の悪戯で大分苦労しました。まずはSPの設置位置や角度の調整、スーパーツイーターはSPよりも角度をリスニングポジションに向かって角度を深くしています。

 タンノイのSTは仰角も変えられますので、そのあたりの微調整でも色々微妙に変化します。また、所謂ルームチューニングはいくつかやってます。大掛かりなものではありませんし、部屋の雰囲気を壊すのは好みではありませんので視覚的にはできるだけ出ないようなレベルです。

 当然、大掛かりなルームチューニングの商品を導入すればもっと楽に解決するのでしょうが四弦亭の趣味ではありません。合わせて機器へのアプローチもやってみましたが、インシュレーターの位置や天板への制振系のアクセサリーの設置等でも定位への能動的なアプローチが可能ですのでそのあたりも含めて部屋と折り合いを付けたという感じです。結果的には部屋の特性でアクセサリーを含む様々なアプローチは増幅したりしている場合が多いようです。(なので、人それぞれの部分があります)

 定位がある程度解決してくると同時に、色々なセッティングでのデータベースを元に、定位に加えて楽器の質感を含む音像の表現をどのようにしてゆこうかを色々試してみます。合わせて空間表現(残響も含む)もやってゆくのですが、これがなかなか難しい、どのあたりでバランスさせるのかも問題になります。

 ケーブルやアクセサリーを色々と試してみて折り合いを付ける場合もあります。 折角、真空管を使っている機器がDAC,プリ、パワーとありますので真空管も手ごろなところから色々なメーカーのものを試したりもします。 何を変えても音が変わるのがオーディオだと思いますので、様々な変化の特徴やバランスを試行錯誤しながら自分の能動的な音創りのデータベースにしてゆきます。

 四弦亭の場合、比較的助かったのは、実際の生の音を知っていることが多いですので、基準や軸はあまり振れることが少なかったことです。
逆にどこで折り合いを付けるのかという点に関しては、オーディオに何を求めるのかを、自分に問う場面も多かったように思います。

上記、オーディオ的に書きましたが、その前提となるものは、実際に演奏者のメッセージがきっちりと心に伝わってくること、音楽の推移が自然に伝わってくることが重要であることは言うまでもありません。定位や空間がきっちり出ても、肝心な演奏からのメッセージや音楽が鳴ってないのでは話になりませんので。それを中音域が充実していること表現される方もいらしゃると思いますし、結果的には総合的なバランスによるものだろうと思います。また聴かれる方がどういう音で聴きたいかというメージにもよるのではないかと思います。何が絶対であるとなかなか言えるものでもありません。

<楽器の調整やセッティング>
 オーディオのセッティングは楽器のセッティングにも通じるもので結構楽しんでやっていましたが、上手く行かない場合はイラついたりもしました。 ちょっと話題を変えて、楽器の調整とはどんなことなのか、これは奏者それぞれだと思いますので、四弦亭の場合として書いてみたいと思います。

 楽器の音に関する、セッティングや調整は一般的に奏者自身ではやりませんので、四弦亭の場合も信頼している専門家との真剣勝負となります。 調整する前の状態を専門家に聴いてもらい、自分の要求と専門家の感想を出し合って、どこをどのような感じでもっていったら良いのかを音や弾き心地の面で話し合います。 非常に感覚的なことなので、お互いが言葉からどんなニュアンスとして感じるかは長年のお互いの真剣勝負の時間によってその精度は変わると思います。

 ある程度、現状での音を出したりしながら、お互いのコンセンサスが取れたところで、 弦を緩めて駒と魂柱の位置を専門家が動かして(といっても本当に1ミリ以下の話です) 弦を張ってチューニングして試奏と試聴、時には専門家にも音を出してもらって確認もします。その時は出来るだけ楽器から離れて音を判断します。

 どんなことを要求したり話しているのかは内緒です、というか非常に微妙なことなので文字にはなかなか表現できないのも事実です。 各弦やポジションでの音の発音やバランス、テンション、調性の変化に上手に楽器が音色を変化させることが出来るか(弾き方で本来変化させるのですがそれに楽器がついてきてくれるかということが微妙にあります、倍音や発音に絡みます)。

 当然、長年のお付き合いのある専門家のほうから、四弦亭の弾き方の変化等に関して変化してますね(させてますね)と指摘や確認をされることもあります。それも調整に絡んでくるのでお互いで確認するような感じです。優秀な専門家は奏者に合わせた様々な調整のパターンや幅を持っていますので。

 調整は一発で決まる場合もありますが、2回、3回と弦を緩めての調整を行うことも あります。しかしその場合は結構判断するのには経験が必要になります。 つまり、弦を緩めて張るという作業を繰り返すと弦が劣化して音の反応が鈍くなってきます。なので、新品を張ったらどんな状態になるかは想定しておく必要もあり、それを判断に入れておかないと適切な調整になりません。

 何度も調整やった場合はその弦は急激に劣化を辿るのであまり日数は持たないですので 弦を交換することを前提に行います。しかし経験が少ないと現在の問題点が弦の劣化によるものなのかどうかがわかりませんので、これは四弦亭の場合です。

 また、一般に四季の変化、特に夏場と冬場にはどこかの時点で調整が必要になりますので、年に2~4回(楽器の状態によって)は調整は行います。また楽器自体の経年変化ににも合わせてゆくような調整という部分も含まれます。 それ以外に定期健診ではないですが毛換えや弦を買いに行くときにチェックしてもらったりもしています。

 弦、弓の毛、は消耗品ですし、5年10年のスパンでは駒の交換、魂柱の交換、指板削りや指板の交換というものも必要になってきたりします。ペグ等が穴を広げ過ぎてきたらフィッティングをし直す必要も出てきます。 当然、状態が変化しますから音は大幅に変化します。それを調整しながら馴染ませる というのでしょうか。リフレッシュした後はどうしても部位を振動に慣らしてゆくような時間が必要になります。オーディオのエージングみたいところです。

 「少し乱暴な仮説」
ヴィンテージオーディオを愛する方が多くいらっしゃいます。特にWEやアルテックのSPやアンプがその筆頭ではないでしょうか。 それらの多くは業務用のものであることが多いです。 いわゆる業務モニターやシアター用として開発されたものを自宅で楽しむことになります。

 なぜ、それらは人を惹きつけるのでしょうか。
スペックからみれば現代オーディオのほうが優秀なのは誰がみても明らかであるにも関わらず、実際に聴けばそうとも言えない部分がある。 人が音をどう感じるかを、その当時の技術者達は理解していた部分が多いのかなと思うこともあります。
少し乱暴な仮説としては、実は人間が情報処理が可能な能力範囲内ということが逆に聴きやすい、感じやすいという余裕を生み出している部分もあるのでは?ということになります。様々なご意見はあるかもしれませんが、皆様はどのように思われますでしょうか。

<言語と認識>
 オーディオでも歌等の演奏から「母音」と「子音」をその評価の言葉として使われたりします。 日本語は欧米の言葉(話すこと)から比べると母音で言葉を認識することが多いそうです。欧米のアルファベット使用した言語は子音がその判定というか認識に重要な役割をしているそうで、実際に日本語は基本となる周波数は欧米のそれらに比べて低いという特徴があるようです。

 当然、言語は毎日のコミュニケーションで使っていますので、声の響きには(自分の声の骨伝導も含め)日常接している訳です。 音楽を認識する部分もその言語の影響は出ているということになります。 実は子音+母音は「音楽のリズム」からも不可避になります。

そんなことからも日常使用している会話やその言葉の認識の頭の「フィルター」は、その日常使用している言語に影響されているということになります。 当然音楽の認識にも影響していると言っても間違いではないと感じます。

 音楽演奏でも子音要素はとても重要なのですが、それを必然として感じる人とそうでない人の演奏はかなり異なったものになります。発音という部分やリズムの感じ方や表現に影響が出たりします。

 歌が上手下手は関係なく、器楽の曲を歌ってもらうと人によって様々な響きをイメージ(適切、不適切)していることがとても良くわかります。 つまり歌って正しくイメージできていない場合は、楽器でも同じ結果になるというわけです。当たり前と言えば当たり前の話なんですが。

 バレンボイムのピアノのレッスンを見ていたら、きっちり頭で強く音や響きのイメージを持つことの大切さと、それがあれば人間の身体はその音を出すように自然に動くというような内容を言っていたのですが、同じことを言っているのかなと思います。

 彫刻家が四角い石の素材の中に完成品が見えてそれを削りだすというようなことにも通じると思います。

 何事もどうしたいのか、そのイメージを明確にすることによって人間というものは不思議とその方向の作業や判断の感覚が自然に働くということだと思います。 オーディオでも出来るだけどういう音や再生にしたいのか具体的なイメージを頭で描けるということは大切ですし、それがなければ変化の為の変化だけの堂々巡りになってしまうのではないでしょうか。
そのイメージ創りに有効なのは実際の演奏会での生の音を経験していることではないかと思います。

<虫の声>
 虫の鳴き声を日本人は風流に感じ雑音として感じないが、西洋人は雑音として感じる。という話がありますが、まさに西洋人に取って言葉を認識するのに不可欠な周波数帯を虫の鳴き声が邪魔をするから雑音という認識になるということがあるようです。

 歌で欧米の言語で歌う時に日本人はどうしても子音が弱くなりやすいとか適切な子音と母音の関係が苦手な部分もあるようです。 これは人によりますが、傾向としてはそういう一般的にあるようです。

 これは演奏としての表現の仕方のテクニックということもありますが、それではない本人が聴き取れていない音を実際に自然に発声することはなかなか難しいのも事実です。

 器楽演奏でも子音と母音的な要素や関係はとても重要となります。 音楽はもともと言語と密接に関連していることからもご理解いただけるのではないでしょうか。
音楽は世界共通語であると言われますが、実際には世界共通で同じ感じ方をしているということを言うのは狭義で言えば難しいと思います。皆様はどのように考えられますでしょうか。 音楽を楽しむ為のオーディオですが、開発者の言語は何かということでオーディオもその影響に無関係ではないと思います。

 また、音声をモニターする用途のSP、楽音をモニターするSP、大きな会場で使用するPA、様々な用途や目的によってその再生は同じではありません。
当然、仕様環境におけるスペックや耐久性の違いもありますが、それだけでは説明がつかないということも多いと思います。

 ご承知のようにスペックを見てその音の質や傾向が聴かずして判定できるのであれば良いのですが、人間が感じる部分はスペックになかなか現れない部分が多いですし、楽器もたとえ周波数特性を測っても同じなのに、楽器によって固有に持っている部分はなかなか数値では現れないということになります。ここは「鋭敏な人間の感性」が感じる部分となります。

<楽音としてありえない音の再生>
 音源を再生する場合に、楽音としてありえない音を平気で再生していらっしゃる方がいるように四弦亭は思います。
それは実際の演奏でもありえない音は「らしい」「髣髴とさせる」という再生を目的とした場合はオーディオの音創り(セッティング)では避けたいところではないでしょうか
。 当然先に書いたように感じ方はミクロ的に言えば人それぞれですので、その方の耳や認識のフィルターによって同じ音を聴いても同じ感想にはならないという部分はあるのは承知した上でのお話です。

 録音された音は制作サイドの感性を含めて音も取捨選択やバランスを取ったものを、我々は一般には音源として再生しています。同じカメラで撮影しても写す人によってその表現や切り取られ方は様々なのに似ています。

 物理的にどのようにある事象を捉える場合は捉える人によって表現が変わる。 当たり前ですが、音創りでも同じことが起こると言っても間違えではないと思います。 感性、好み、テクニック様々な要因はあると思いますが、どのように表現したいかということが必要なのではないでしょうか。録音でも再生でも同じです。 まずどのように表現したい(聴きたい)のかを具体的にしておく必要があると思います。 イメージや理想という言い方に代えても良いかもしれません。

 特にそれはソロ曲などがわかりやすいと思いますが、「楽音としてありえない音」になるかならないかはその使用者次第となります。 近年、バロック楽器やピリオド楽器を収録したCD等も結構な優秀録音として多く紹介されるようになりました。 実際に是非生音を聴く機会を作っていただきたいのですが、思っている以上に音量が小さく、繊細な部分があるのですが、どうもそのあたりがきっちり再生されていない場合があるようです。
えええ、こんなに筋骨隆々とした音ではないのに、ということです。 モダンチェロでもこうは響かないだろうというような音だったり。 フォルテピアノの再生も要注意です。オリジナルを開発したメーカーや年代にもよりますが、現代のピアノとはかなり異なります。

 再生する音量が大きすぎる場合もあるでしょうし、チェロ等ですと胴間音が響きすぎていてどの位置で音を聴けばそんな音に聴こえるのか、頭をチェロの胴体の中に突っ込んだような音に感じることもあります。 オーディオ的と言えばオーディオ的ですし、そのような響きを伴ってマスで再現される音はある種の快感であることは否定しませんが。それが実際の音だと思っていられるとすれば怖いこと思います。 もし実際の音だと考えていて演奏会に出かけてみたら「家のシステムより音が悪い」なんて本末転倒なことにもなりかねません。

 クラシック音楽の場合、ppp~fffまでの特に大編成のオーケストラ曲の場合は、物凄い幅の広いダイナミックレンジになります。 つまり、大橋様が使われる言葉でありますが、下方リニア、上方リニアどちらも良くないとなかなか満足した再生にはなりにくい。 打楽器や金管楽器のfff等の音量は物凄いエネルギーがあります。

 最近、四弦亭のシステムが調子良く、音の浸透力が高い為に小音量でも音が痩せないで楽しめていたのですが、ある英国レーベルの最新録音の大編成のオーケストラ曲を聴きましたら、なにか不自然。どうも上手く鳴りません。

 久しぶりに大音量にしてSPを強制的にしばらく(CD1,2枚分)鳴らしてみたところ バランスが取れてきました。時々は実際に聴く音量よりも大きな音でSPを鳴らすことは重要だなあと、車だってエンジンをあまり回さないでずっと使用するとエンジンが上まで回らないようになってしまうのと一緒かもしれません。
小音量に戻しても、その効果は出てきます。バランスや鳴りがより自然になるといえば良いでしょうか。
SPの煤払いのお話でした。
特にいつも小音量で聞かれている方は時々大音量の再生をやられると良いのではないかと思います。CD1枚位の時間でも効果があるようです。 但し、音量を上げる時は家人やご近所の迷惑にならないよう注意してくださいませ。

<少し音楽の話>
 昨年、モーツァルトの生誕250年でしたので、モーツァルトの曲の演奏を生で聴かれた方も多いのではないかと思います。 ハイライトはアーノンクール指揮のヴィーンフィル、そして彼の古楽器オーケストラの コンツェンツゥスムジクスとの来日演奏であったと言っても良いのではないでしょうか。 アーノンクール=古楽の雄という一般の理解はあると思いますが、それは彼に取っては必然性を伴った現代の音楽芸術演奏の為の研究や実践的演奏だったということだと私は理解しています。

 一昨年、アーノンクールが京都賞を受賞した時に、とんぼ返りで彼の講演とワークショップに参加してきました。 彼は言っていました、「現代の聴衆に向かって芸術を表現するのに、昔と同じことをやっていたらそれは創造的である芸術にならない」(かなり意訳です)。

当然、作曲当時の楽器の響きやバランス、譜面の読み方を理解しないで演奏するということは良くない。音楽演奏というものが現実に歴史的に辿って伝統という名で積層してしまった垢を取り除き、その曲が初演された時と同じような新鮮さを持って演奏することが大切である。そこから現代の聴衆に対して何を音楽や作曲家のメッセージとして伝えるかが重要なことである。というように四弦亭は理解しています。

 彼の言動を見ていると、なんというか「芸術は爆発だ!」と言った故岡本太郎画伯を思い出します。まさに「創造的」な行為、今まであるものではない新しい表現への挑戦とでもいいましょうか、時には現代の聴衆を挑発してきます。

 最近はアーノンクールのリハーサル風景の映像が発売されていたりします。京都でも室内オケを使って演奏指導していたのですが、見る見る音が変化してきます。指導は大変エネルギッシュ。それを見て私の知り合いは「彼は演劇の演出家なんだろうね」と言ってました。確かに様々な人間の思い描くシーンを言葉で説明しながら音を変化させてゆくのです。

 調性に関しても様々なイメージの説明をしていました。西洋音楽の基本は調性音楽という部分にありますが、作曲当時の人にとっての調性やその変化から受けるイメージは騒音や不協和音が日常氾濫する現代人にとって感覚が鈍くなっていますので、そういう部分は強調してゆきます。

 ワークショップはモーツァルトでしたがバッハの宗教曲等で取り扱われている和音では、現代人に取っては大して違和感のある響きでもない部分になってしまいってたりするところは現代聴衆用に強調したりします。
マタイ受難曲の第54番の30小節の後半部分のバラバと民衆が叫ぶ「バラバBarrabam!」の減7、通奏低音は減5、増4が重なる不気味な和声の表現等は象徴的ですし、現代人が感じるよりも作曲当時の聴衆にはものすごいインパクトがあったと想像に難くありません。その作曲家の意図を現代聴衆に対してどのように表現するのか、アーノンクールは芸術家として現在の現代の演奏を創造することは忘れていません。様々な研究や知識はそういう部分に活用されてナンボのものであるとあらためて思います

<ヴィブラートについて>
 古楽的な譜面や演奏へのアプローチにおいてヴィブラートをまったくかけないというようなことが良く言われていますが、現在の古楽演奏家で一回もヴィブラートを使用しないような演奏はありません。一時、そのようにアプローチ実験がされたり、そのように流布されていたような時期もあったように思います。まあこれは振り子のようなもので、両極端にやることで両方のメリットもデメリットも分かってきますし、それらをきっちり分かった上での演奏が良いのだろうと思います。

 但し、ヴィブラートという概念が現代におけるものと、それ以前や古典や古楽というものにおいてのヴィブラートは同じではないように思います。記譜法においてもその変化は確認できます。

 ジェミニアーニ、レオポルト・モーツァルトの教則本や著作をみても、ヴィブラートの説明は出てきます、1920年代のレオポルド・アウアーにおいても同じなのですが、結局のところ、ヴィブラートはノンヴィブラートとの関係において「趣味良く」使うということです。どんな音にでも積極的にヴィブラートを前提として、指定された時だけノンヴィブラートというものではないということでもあります。

 古典や古楽においてはノンヴィブラートを前提としながら自分の音楽表現の必然性としてヴィブラートを趣味良く、効果的に意識的に使えること。ということなのだろうと思います。

 実はノンヴィブラートの時の音楽的表情というものは運弓がものすごく大切なのですが、ヴィブラート(スピードや音の幅の多様に音楽表現に合わせて使用できることが前提です)を常に使っている奏法にただ単にヴィブラートを取っただけでは大変表情のない陳腐な演奏になりやすい部分があります。これはとても気をつけないといけません。 言ってみればヴィブラートが運弓での表現を代理しているような演奏法はそれは単に一つの表現法であってそれだけが絶対だ、なんていう錯覚をしていてはいけないということなんだろうと思います。

 実際に多くの古楽系指揮者が古楽的奏法に不慣れなモダンオーケストラを振る場合には、ヴィブラート使用の制限をかなり綿密に指示する場合があります。それはそういう奏法に不慣れな楽員が無意識に(つまりアウアーの言うヴィブラートが主人になってしまう)使ってしまうことを抑制する為に指示している場合が圧倒的に多いです。 どう考えても、出来るだけかけないでくださいとだけ言ったら、いつもと同じ演奏をしてしまうことが圧倒的に多いということを、古楽系指揮者達は山程経験してきているからです。
実は逆もあって、先に書いたようにノンヴィブラートを前提とした運弓の表現法が身についていないで、全員が真面目にノンヴィブラートだけで演奏を行うと、結構奇、妙な演奏になってしまっている場合もあります。

つまり、ヴィブラートを前提とした奏法だけが表現法ではないし、知らないことだけで「悪い」と判断するのもいけないと思います。音楽の多様性表現法というのは時代や社会においても変化しますし、作曲当時の奏法や表現も知った上で判断するということが求められるのだと思います。

 しかし、常に重要なのはレオポルト・モーツァルトの言う「良い趣味で」ということです。その趣味は演奏者それぞれの中にあるものなのでしょう。音程の悪さをごまかす為のヴィブラートでは趣味良くありませんから。

 オーディオだって多種多様。絶対というものはありませんし、一つの方向性や価値観しかしらないで、他を否定したり批判するということは良いとは思いません。こんなことはどの世界でも言えることなのではないでしょうか。

<オーディオや録音がもたらしたもの>
 上記のヴィブラートの話にも関係しますが、実際に人類が録音という技術によって記録されるようになってから100年程度しかたっていません。実際にわれわれが音楽の記録として聴き楽しめるようなものは1920年以降くらいではないでしょうか。

 実際に1900年台中盤くらいまでの巨匠といわれる奏者達が一般に知られる昔の演奏の記録だろうと思います。マニアックな意味ではもっと古い録音も実際にありますが、まあ一般的にはそんなところでしょう。考えてみてください、雑駁に言っても演奏スタイルや解釈はこの100年の中だけでも驚くほど変化しています。言い換えれば、今から200年、300年前の演奏は分からない。

 あるとすれば当時の著作によって、または当時のオリジナル楽器から研究されたりもします(これは学者ではなく演奏側の場合ですね)。実際に楽譜に関しては、直筆の楽譜の紙の質やインキの種類までも区別しながら時代を特定しながらの原典版の校訂作業なんていう世界もあります。

 オーディオはいつでも名演奏家や名曲を楽しめるということを文明として我々にもたらしてくれた本当に素晴らしいものだと思います。自分が生まれる前の演奏だって楽しむことが出来ます。 多分、誰でも、より良い音でその音楽再生を楽しみたいということになります。
でも、「良い音」と言うものは人それぞれの中にあるのではないでしょうか。

 良い音とは情報やスペックの中に答えがあるのではないと思います。 その自分の求める良い音のイメージ探しには「是非、演奏会に足をお運びください」 必ずは多くのヒントを与えてくれると思います。

 「芸術は爆発だ!」ではないですが、その音楽から新しい創造のメッセージを感じ取れること、驚きや感動、多くのイマジネーションを与えてくれる、自分なりのオーディオで音楽を沢山楽しんで行きましょう!

 あまりにも長くなってしまった、駄文・拙文にも関わらず、第11回コラムに貴重な時間を使ってお付き合いいただき誠に有難うございました。

 なんとなく中途半端な纏めになってしまいましたが、これで無理やり終わりにしませんとこの11回もアップできないということになってしまいますので、ご容赦願います。
お仲間の皆様の素晴らしいオーディオや音楽ライフのご参考となれば幸いです。
END
オーディオと音楽の交差点 第11回
四弦亭酔響
2007/6
  (無断転用転載禁止)
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