キット屋倶楽部
キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』

音楽とオーディオの交差点 第4回

 弦楽器(Vn)とオーディオの交差点/「温故知新」 

弦楽器の変遷と嗜好の変化

 オケで使われている弦楽器は基本的な構造や形状においては1600年頃にはほぼ完成された楽器で以降現在まで、バロック楽器からクラシック楽器そしてモダン楽器への若干の変化改造はありますが、本質的には変っていない珍しい楽器です。

 つまり400年も前には完成していたといえます。
 一般にはイタリアのクレモナの製作者であったアマティ一族によって完成されて現在にいたっているとも謂えます。その場合1650年前後に今の楽器のオリジナルでの形状を完成させていると言われます。ストラディバリもアマティの工房で当初弟子入りし働いていたと言われています。
 その証拠に、初期のストラドはアマティ型の楽器となっています。アマティ型はその後の1700年以降の黄金期のストラドよりは、少し小ぶりでまた表裏板の隆起も高いものとなっています。一般には表裏板の隆起がフラットアーチになってゆく程音量が出ると言われています、しかし所謂、銀の鈴の音のような(と言われる)甘い響はハイアーチのほうが出るようで、アマティは若干音量は落ちるが(そうでもない楽器もあります)音色が甘美なので、現在では室内楽等には最適という評価もあります。

 クレモナのアマティの時代、チロル地方にはドイツ系でヤコブ・シュタイナーという名工もいまして、当時ではストラドよりもニーズが高く遥かに高価な楽器もありました。これはアマティ同様(それより)ハイアーチでとても美しい音がしますが、音量は若干落ちます。
 これは何を意味しているのでしょうか、つまりその当時の王侯貴族の館でのスペースの大きさでは音量よりも音質、それも当時好まれた甘美な音質が好まれていたということになります。

楽器のモダン化と楽器の時代のカテゴリー
 現在のソリストが使用している、またオケで使用しているオールドの名器はストラドにせよ、ガルネリデルジェスにせよ作られた時代には所謂バロック楽器の形状をしていたということで、19世紀に入ってから大きい会場での演奏に(王侯貴族から市民へ音楽が大衆化し興行的にも)必要な大きい音が楽器に求められるようになって現在のモダン楽器のセッティングになっているということです。
 具体的にはテンションを上げる為にネックを交換して角度を深くし、駒を上げるそして、駒の左足の下あたりの表板の内側にあるバスバーをより強度を上げる為(ハイテンションに負けないようにする為)に太く長くするというような改造が後世になされています。指板もハイポジションの高域が取れるように長くなっています。当然魂柱も太いものに変更されます。
 当然、それに応じて、曲もヴィオッティやパガニーニ等のテクニカルに対応出来るように1780年頃に現在の逆反りしている現在のモダンボウの原形がF.トルテ(仏)によって改良され確立してきています。ご存じのように現代の楽器の最高峰としてのストラドやデルジェスもモダンセッティングになっても現役として活躍しているように、トルテも現代の最高峰の弓として現在も使えるものも多く残っています。
 当然のことながらその保存状態や木の消耗度合によっても様々ですが、価格も千万単位のものです。実際にはその当時のオールドボウはその後の弓よりも若干軽くまた少し短い弓ではありますが、モダンボウであり、現在の音楽的要求にも応えられる素晴しい弓です。

ここで
 楽器におけるオールド、モダン、コンテンポラリーという区別についてお話ししておきます。モダンと言っても楽器の取扱のカテゴリーで新作はコンテンポラリーという呼び名になります。
オールド      1600年代〜1800初頭まで
モダン       1800初頭〜1945年まで
コンテンポラリー  大戦以降〜現代(一般的には作者は存命)
となります。

 モダン楽器も中期位まではバロック楽器(クラシック楽器)の形状で作られています、上記のモダンセッティングへの変遷は国や土地、そしてニーズによって混在している時期が数十年あります。

 オールドと言っても名工が作ったものであって、作りやサイズも出鱈目な材料も悪質なものは単なる中古楽器でありますのでご注意ください。古ければ良い訳ではありませんので。
 一般の奏者の感覚では1880年位までの楽器はルックスも含めてオールド楽器と言ってしまう場合がありますが、楽器の専門家のカテゴリーですとそれはモダン楽器ということになります。

 ここでは専門的な話しをするのが目的ではありませんので、このへんにしておきますが、今後の話しでバロックセッティングからのモダンセッティングをされた意味でのモダン楽器と専門的カテゴリーのモダン楽器という意味は同じではないのでご注意ください。

弦の変遷
 さて、社会や時代そして音楽の変遷によってモダン化してきた楽器は当然のことながら、その音量と共に失ってしまった響というものがあります。音質よりも音量が求められテンションを上げていますのでこれは仕方のないことです。

 そしてもう一つ、バロック楽器時代は当然として20世紀の初頭位までは裸ガット弦、特にE-線は裸ガットであり、他の弦はそれらを芯にして比重の思い金属でラッピングをしているというようなものになっていました。
 金属の単線であるE-線は工業技術の進歩によって20世紀中頃以降に使えるようになってきていまして、それが証拠にクライスラーやティボーの楽器を抱えている写真など見ますと裸ガットのE-線を使っているのが分かります。

 ガットというのはテニスラケットのガットと同じで、羊の腸を材料にして作ってあるものです。

 当然、天然素材なので湿度の影響をとても受け、絶えず伸び縮みをします。そこで1960年以降に登場するのが、ナイロンやポリマー等の科学繊維を使った弦になってきます。
 一番ポピュラーで多くの各地を回り、弦の消耗も早いソリストやオケ奏者で実績があるのが、ドミナントというナイロンを芯材として金属のラッピングをしたものになります。最近は金属を芯材として(単線ではなく極細繊維のような金属線を束ねた芯材)のハイテク弦等も登場しています。

 ガット弦はその鋭敏な反応や響の美しさ等で好まれてきてはいますが、現在のガット弦(モダン用)の最高峰であるピラストロ社のオリーブエンドというハイテンションのソロ用の弦以降はそれを超えるガット弦が出てきていないので、所謂ハイテク弦がその性能を向上させてきているので、7割以上はハイテク弦が現在のマーケットの現状ではないかと思います。
 但し、オリーブエンドをはじめとするガット芯の良さもありますのでさてどうなってゆくか。
 もう一つ現在はガット弦はその音質保持が長くと劣化の速度もナイロン弦等に比べると遅い、という特徴があります。

ピリオド楽器による古楽演奏研究の意

 楽器は時代共にそのニーズに従いより大きい音へと改造されてきた。その過程で作者が想定していた音とは同じではない音や響の変化が起こっている。つまり失われた音質や響というものもある。なので、現代のモダン楽器や弓、弦で演奏するバロックや古典は奏法の変化とは別に作曲当時の響とは同じではない。なので、その奏法や解釈においても楽器の都合から逆算した奏法や表現法というものを研究しようとする運動が広がって、現在のオリジナル楽器(古楽器)の演奏団体が古典やバロックにおける演奏法や解釈のイニシアチィブを取るようになってきている。
 モダンオケでもその指導者や研究者である指揮者を招いてモダン楽器での古典演奏にフィードバックするような演奏が増えてきている。ということになります。

♪パウゼ♪
 では、19世紀後半から20世紀終盤までの巨匠による古典演奏はなんだったのか、ということですが、これはメンデルスゾーンが大まかに言って古典の作曲された100年後に(時代を超えての再演というものがなかった訳で多くの古典の作曲家といっても当時の現代音楽の作曲をしていたのであって、その賞味期限や新しい曲が出来れば書庫(アルヒーフ)入りで眠っていた)書庫からみつけだしその当時(ロマン的な表現の時代です)の演奏法でそのまま古典を演奏しはじめた、ところから始まる訳です。
 つまり100年間の間には社会の嗜好も曲も演奏法も時代に合わせて変化してきていますが、それは別として譜面をそのままそのロマン派の様式演奏に当てはめた演奏が、そのつい最近まで続く巨匠の流れを汲む古典演奏の歴史的原点になっている訳です。
 簡単に言えば、例えばその研究と演奏の雄であるアーノンクールが始めてヴィーンフィルに行って演奏した時にもオケ側は「私達は昔からの伝統で演奏しているんだから」、と抵抗した訳です。
 アーノンクールおじさんは「それは演奏しなくなって100年後からの伝統だろ、その前知っているのか?楽器も違うんだぞ」って言ったかどうかは知りませんが、徹底的に自分の実際の楽器からの演奏研究や古い書物をあたっての研究、そしてオリジナル自筆譜からの研究において、その100年後からの、そしてその伝統という名で続けてきた150〜200年の演奏の垢を落とすことではじめて、作曲当時の演奏に近づけるのである、ということで押し切ってきた経緯があり、現在はそちらが支持される場合が多く。最近では、そのことを知った上でもっとドラマトロギー的要素を現代の演奏として加味したような現代の古典演奏というものが新しく産まれつつある訳です。
 その最先端がベルリンフィルのシェフになったラトル等になってくる訳です。
 まあ実際のアーノンクールの演奏はその戦いでの後遺症か、若干極端な表現を意地で演奏しているようなものもありますが、その理由のもう一つには、古典の名曲は現代の聴衆は演奏会や録音を通して何度も聴いている訳で、当時の人が初演を聴いた時のような驚きや表現を現代に実現させようとすれば、極端に演奏したほうがその当時の聴衆が受けた驚きや衝撃に近いものが実現出来るということもあると思います。
♪♪♪

 いずれにせよ、古典の時代までは音楽は「語る」「話す」音楽であり、ロマン派以降は「歌う」音楽になってきている訳で、その表現は自ずと一緒であるはずはないということです。なので、古典派においては、しゃべり言葉と同じような、<、>や<。>は重要で、それが「アーティキュレーション」と音楽では言われ、スラーや点、楔等でその当時において当り前だったことは省略されて書かれている為(また作曲家によっても異なるので)、その省略された当り前の語法である演奏解釈や演奏法も研究しないと正確な演奏は出来ない、という理屈に繋がってゆきます。

 このあたりの演奏や演奏家の変遷についてはまた別の機会に詳しく書いてみたいと思います。

「温故知新」
 上記ことはまさに「温故知新」が大切であり、その原点を見つめることや引用することによって、その本質をつかみ、現代のものとして発展させてゆくことは重要であると四弦亭酔響は思っています。

 つまり、オーディオにおいても、同じではないでしょうか。
 真空管はどちらかと言うとオリジナル楽器に近いモダン楽器であってまた弦で言えばガット弦のような部分と考えることも出来ます。

 何故、トランジスタになったのか、アナログがデジタルになったのかということ、そして何故、真空管が特に最近見直されてきているのか。やっぱりレコードのほうがCDより音が良いと言われるのか。つまり究極のデジタルはアナログに近づく、なんてことになってきている訳です。

 もっと言ってしまえば、SPや蓄音器、ハイファイの黎明期のWE等というものを知ることで、新しい世界、より音楽を聴くという本質の世界においてのオーディオの追及というものは重要ではないかと思います。
 SPは本質的には変化や進歩の少ないものですが、同じこと。
 私の世代ではやっとテレビの中に真空管があったかもしれない、という時代で、ものごころついた時には石の時代トランジスターに音響機器のみならず多くの電気製品がメジャーに走り始めていた時代。

 決してノスタルジックな感傷で真空管を見つめていない世代が(ギターアンプの高級品は今だに真空管ですね)、デジタルの世代が現代に対応した真空管アンプの音を聴けば素直にその活き活き感を感じることが出来ますし、音楽が楽しく聴くことが出来る、ということで、最近のオーディオ誌等でも過去にないような真空管アンプへの取扱が増えていていることは流行だけでないものを感じます。
 音楽の変遷と同じように、時代の求める音や響が変化してきているのかもしれません。特に癒しに通じるような音や響のアナログ的な音触の良さは真空管ならではのものもありますので。

 SPで聴く音楽はドキッとするほど鮮度が高く、音楽の本質を感じさせることが多いですし、それは先日の大橋様が清水の舞台から飛び降りて購入したWE555+22ホーンの音に関しても大橋様がHPひとりごとで感動のファーストインプレッションを書かれているように、現代に失われたそして現代の人間が聴いても納得できる音楽表現と伝わり方があるということ。
 それはまさに「温故知新」であり、そこから感じたり体験した経験は必ずや現代の製品として良い部分はフィードバックしてゆくことが出来るのではないかと思います。

 まさに、音楽や音は時代を写す鏡であり、ハイテクが進んだ現代人に必要なハイタッチ的な音や響や再現が求められているのかもしれません。

 そういう意味ではもっとも経済効率として悪いであろう、オーケストラの演奏会等は今後、現代人にとても必要な超アナログな音楽と音、響の体験を感動と共に提供させて頂けるのではないかと思っています。

是非演奏会に足を運んでみてください。
つづく

オーディオと音楽の交差点 第4回
四弦亭酔響
2003/10/17
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