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キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』

音楽とオーディオの交差点 第7回 <四弦亭の音って>

<はじめに>
 皆様、ご無沙汰しております。
 大橋様のHP「ひとりごと」で拙宅の音について過分な内容の感想を頂きまして恐縮している四弦亭です。

 昨年4月に新居に引っ越し、その機会にシステムを一新して現システムになり、1から音創りを始めたのですが、その基本システムの501SEとmodel2は大橋様と相談しながら導入した機器です。

 当然、オーディオのプロの耳にどのように拙宅のシステムの音や再現が聴こえるのか大変不安でもあり、私も大変楽しみにしていた一大イベントでした。ある面、演奏会よりもうきうきわくわく感と不安が入り交じるような感じとも言えるかもしれません。
 観客一人の真剣勝負?のような感じ。作曲家を前にして演奏するような気持ちに近いものがあります。
 実際は楽しみで楽しみでご来宅日程が決定して以来、毎日、日を数えていたような感じです。

 四弦亭としては大橋家で愛情深くかわいがられて育った愛娘を2人も迎かえ入れている手前、なんとかその本来の音が鳴ってくれるように大切に育ててきたつもりではありますが、さてその生みの親たるお父上に納得頂ける再現をしているかどうか不安でもありました。

大橋様のご感想から
HP上で大橋様は私のシステムの音を

>「濃く,力強く,そして非常に近い 」音でした。
>我々(少なくとも私)が今まで追い求めて来た音楽が「客席の音」なら
>四弦亭さんの音はまさに「on the stage」の音です。
>ミネラルをたっぷりと含んでいて、まるでシャワーを全身で浴びるような実在感。
>敢えて言葉にするならば「エッジを立てずに音を締めた」力強い音です
>ウチのショールームと一番違ったのはその低域。豊かな残響が
> 奥へ奥へ引いて空間に弾んで浮かび上がるような曖昧さの微塵もない表現です。
>量だけ出ていても>>形の崩れた低域は厭になるほど聴いて来ましたが此れだけ
>凛々しくエレガントな音場感は得がたい体験でした。
>まるで波が寄せては引くように音楽が非常にリズミックで体が自然に動いて
>しまいます。
と表現頂きました。

 まさに「音は人なり」と大橋様も言われておりますが、私の頭にある「音楽のイメージ」や「このように聴きたい」というイメージに近づくようにセッティングしてチューニングしてきた訳ですのでそのように評して頂いたお言葉を自分なりに咀嚼し、さらなる音創りのヒントにさせて頂きたいと思っております。

 実際、私の中でセッティングやチューニングで一番苦労した部分(オーディオ的な言葉では)「低音の再現や響きの感じとバランス」を大橋様にかくも素晴しい文章で評価頂いたことは大変嬉しく思ってます。

音楽の表現

 音楽の全ての基本は低音の動きや響きがベースとして支配している部分が大変多くあります。実際にオケで演奏するのでも基本的なベースとなる低音パートは非常に重要なのです。つまり弦で言えばチェロ、コントラバス、木管ではファゴットがそれにあたります。それらはテンポ、リズム、ハーモニーを構成する基本であり、音楽の推進力やデュナーミクの変化をお客様に感じさせてゆく為に不可欠です。作曲の設計としても、演奏設計としても重要です。

 例えば、1stVnや高音パートや楽器がそれを無理に先導すると不自然でとても音楽がきつく、響きも薄く感じられて、効果的な表現にならない場合が多いのです。
 最初の頃に書いたコラムでも書いたように「ハーモニーの構成は下から積み上げるもので下からドミソと響くのであって、ソミドと上から下に重ねるのではない」ということをオーディオで適切に表現するにはとにかく低音が出遅れたり、無用に膨らんだりしてしまっては、その上に重なる音やハーモニーの響きは表現できませんし、私にとっては不自然なものに聴こえ音楽が楽しめません。

 例えばオケでは1stVnと2ndVnが同じメロディを3度や5度等の音程の幅を持って弾くユニゾンの場所があります。
 基本的に2ndVnのほうが(上の音のほうが通りやすいということもありますが)たっぷり大きめに弾くことで1stVnはその上に乗って意識的には2ndVnよりもバランス的に小さめに弾くことでバランスを取って、奇麗に響かせます。特にpやppの箇所では絶対的と言えます。
 これを逆にバランスを取ると、奇麗な響きやバランスとして聴こえません。

 言い替えれば、2ndVnから出る倍音に1stVnが乗せてゆくという感じでしょうか。
 上に重ねるのであって、下が重ねるのではないということが基本にある訳です。
 もう一言付け加えれば、下のパートが上手であればあるほど上のパートが上手にお客様には聴こえるとも言えます。そういう意味で低音パートは重要なのは当然として、その中間のヴィオラや2ndVnがきっちり弾くオケ程オケ全体のグレードを感じさせる肝であるということになるかと思います。

 これはオーディオの音を作ってゆく観点からも重要なことだと私は思います。その帯域バランスや反応が整っていることで、自然な響きを構成し、ダイナミックレンジの表現も自然に変化し、その表現の幅も広がって聴こえるのではないかと思います。
 少なくとも、音楽演奏ではそのような作業をアンサンブルという名の下に行って表現や響きの演奏設計をしているということになります。

ホールと低音

 これは音楽ホールによって演奏のしやすさ、そしてお客様が感動していただける情報の伝わり方で変わるのも同じことで、低音が微弱な音から大きい音まできっちりとホールが響きとして出る、音響を持つホーツは良いホールの条件と一つと感じます。低音が響かないホール(逆のブーミーということでもありません)は音楽的なホールではないと言えるかもしれません。いかにその他の中音域や高音域の通りがよくても、低音が×なホールは問題があるということです。但し演奏側はそれを補正して演奏しますのでバランスは可能な限り取りますが、無理なく自然に演奏出来るホールでの響きのほうが良いのは如何ともし難い事実もあります。
 つまり、残響がいくらあるホールでもそのバランスが良くなければ良い響きは得にくく、遅れて低音が膨らんでしまうようなホールは最悪です。帯域バランスの取れていてれば、残響の少ないことは第一義のデメリットではなく、すっきりした良い響きが得られることも少なくないということになります。

 私はオーディオでも同じようなことが沢山あるように感じますが、皆様は如何がお感じでしょうか。

オーディオ的表現から

 今回、「ああ、オーディオ的にはこう表現するのか」と思った大橋様の言葉は「エッジを立てずに音を締めた」というお言葉でした。最初は私にとってそれがどういう意味なのかピンときませんでした。大橋様にお聞きしまして、四弦亭なりに理解した意味は通常オーディオ的な音というのは「エッジ」を立たせることで音を明快に表現させることが多い、ということでした。

 実際ホール客席での低音を中心とした音は特にエッジはほとんど聴こえません。それこそ近くで、響かない環境で聴けばかなりエッジ(適切な表現ではないかもしれませんが)というか発音は立ち上がり良く音は出されていますし、それに付帯する雑音?というかそんなものが実際には出て聴こえますが、客席ではまったく聞こえないものになります。逆に発音をきっちりと瞬時に立ち上げてないような弾き方をすれば音は響かないし、遠くに音も届きません。「もあもあ」した音や響きとして聴こえて、音も届かない芯のないブヨブヨとしたものになってしまいます。

 そう解釈した場合には、「エッジを立てずに締めた音」というのは演奏会で聴かれる音や響きなのではないかと思いますし、大橋様のそのお言葉は私のオーディオのチューニングにとって最大限の賛辞と思っております。

 「音は人なり」であるという意味において、それは私のイメージする音の再現であって、他の方のイメージと同じではないことも多いかもしれません。

>我々(少なくとも私)が今まで追い求めて来た音楽が「客席の音」なら
>四弦亭さんの音はまさに「on the stage」の音です。
という言葉に集約されているのではないかと思います。

 別な証拠に、大橋様に実際の楽器や弓の音を聴いて頂いた音がオーディオの再現に似ていると感じられたのは嬉しいことですし、ある面当然のことで、うまくチューニング出来たり、弾ける場合は、その使い手の頭にある音や響きのイメージ以上以下にはならないということになるかもしれません。
 頭の中のイメージにないものはチェックのしようもありませんし、結局はそのイメージにどのように近づくように使いこなしてゆくのか、ということしかない。だから=「音は人なり」なのだろうと思います。

 100人がいれば100通りの音が存在する訳で、それはオーディオの世界でも楽器演奏の世界でも同じです。
 同じ楽器を使ってもまったく異なる音楽表現や響、音が出てくる訳です。

 あくまでオーディオも楽器も自分の頭にある音楽や音を具現化するツールであって、使いこなせなければ、使いこなすように努力をつづけなければ決して良い音は出てこないと思います。

パウゼ・・・・・・
 実際に楽器も長く弾かれていないと、すぐに良い響は出てきません。オーディオでも同じと感じます。

 また、その日ベースで考えても楽器もウォーミングアップをしないと良く鳴らないのです。オーディオも同じと思います。
・・・・・・・・

演奏者だって同じ

 使いこなす努力をしなければ、どんなに高価な楽器やオーディオを持っていても宝のもちぐされではないかと思います。でも使いこなすには知識やテクニック、経験も必要だと思いますが、その目的とする音や再現のイメージをはっきり持っていなければ、何が良くて悪いのかも判定ができません。
 オーディオでは変化は分かりやすいですが、それが自分のイメージがなければ方向性が合っているのか分からなくなってしまいます。特にアクセサリー類はカルトの類まで大量に市場にあります。
 私はそれを否定しませんし、自分のチューニングにも多く使っています。当然、その目的に合うものもありますし、テストして×だったものもあります。何十万のケーブルは使いません(使えません)が、ケーブルもいろいろ吟味して採用しています。数千円程度のアクセサリーからいろいろ使ってみて結果的に目的に合う、私にとって良いものは採用して音創りに役立てています。

 それをテストする時のうきうき感や楽しさ、失望感もオーディオの楽しさと思いますし、それが目的にあった効果や変化が出た時は嬉しいものです。その結果が現在のシステムの音ということになります。

 現に楽器だって、様々な弦をテストしたり、調整したり、弓を使い分けたりしている訳ですし、実際は少しでも自分のイメージにあった音や表現が可能なように、まさにオーディオと同じようなことを演奏者だってやっています。細かく言えば、顎当てや小さなアジャスター、肩当てだってかなり音は変化します。これは振動という物理的な意味において当然のことと思います。
 多くの場合それらによる変化はホールを通してしまえば、実はあまり大差が感じられないで、音楽自体の表現のほうがお客様には重要なことになります。しかし、演奏側の弾き心地やメンタルな面で大きく作用することもありプラシーヴォ効果のようにその演奏表現に反映することも少なくありません。

 例えば名器を持ちたい、演奏したい、という部分には(確かに演奏効果も高いのですが)、その楽器を持って演奏すれば安心というプラシーヴォ効果が演奏にマインドとして作用していることは事実と思います。
 現実に、お客様もその名器を使用していることを認識している場合、そのプラシーヴォ効果は絶大で、「流石!ストラドだ」「デルジェス」だ良い音だと感じて聴いてしまうということもあります。で、実際は様々な事情でその演奏会でその名器を使用していない場合だってあるのです。

 でもそこで聴こえる音はその演奏家特有の音や音楽になります。
 なぜでしょうか。
 誤解を恐れずに言えば、それは演奏者の頭に音楽そして音や響きのイメージが明確であるから、それはどんなツール(楽器)をつかっても表現出来るからです。
 新作の楽器だってオールドフィニッシュしてあるものや、レプリカは遠目では新作とは分からないですし、音だって聴く側の部分ではほとんど(現代の名巧が作ったものであれば)普通のお客様には判別は不可能だと思います。

ストラドの音のもう一つの秘密

 ストラドの音は実際に機能的に音が通る性能を持っていますが、実はもう一つ、音が通る、またはお客様に認識しやすい(他の音と)原因があるのです。それはストラドの音は特に高音はかなり他の楽器に比べると異質な特徴のある音色を持っているからなのです。それはそれで当然素晴しいものではありますが、人間は異質なものには敏感ですので、余計に認識しやすいのです。
 特に皆様がストラドだと認識して聴くのはソリストの音で聴くことがほとんどだと思います。多くの名門オケのコンマスも使用している場合もありますが、それがストラドだと認識して聴かれているのは相当のマニアしかいないのではないでしょうか。多分、コンマスだから音が大きいとか聴こえてくるから不自然には感じないと思います。
 でももし後ろのプルト(座席)のほうでストラドの音が聴こえてきたらはっきり認知してしまうような異質な音によって目立つ音と言えるのです。当然、そのオケの他の奏者がどのようなグレードの楽器を使っているかによってもその感じる度合は異なります。オケの奏者はアンサンブルとして突出しないように混ざるように演奏することが多いですが。。

オーディオの楽しみは様々

 オーディオ的楽しみと、多分本来の目的である「音楽を楽しむ」ということがあまり乖離しているようなスタンスは私は求めませんが、それも趣味の楽しさの一つであろうと思います。
 ある高名なオーディオマニアは「これと決めたスピーカを気持ちよく鳴らすまでが楽しいのであって思うように鳴ったら終わり、潔く次のSPに行くそしてまた鳴らすまでチャレンジするもので、それがオーディオの趣味のありかた」というようなことを聞いたことがあります。
 私はそれも一理あるし、なるほどな、と思います。少なくともその方は自分の求める音や再現イメージが明確であり、そこに向かって使いこなしてゆく行為(戦い)そのものがオーディオの楽しみの本質だということなのです。

 簡単に言えば、音源から自分で聴きたい音を抽出してゆく行為。自分を信じ、他人の言葉に流されない、自分で体験するまで信じないスタンス。素晴しいと思います。

 その方の以前のシステムの音も良く知っている方が新導入したSPを聴きに行ったら、SPの特徴も構造もまったく以前のSPと異なるのに同じ方向の音でそれをさらに進めたような音だったということですから明らかな目的とするイメージが頭にあるということと、それをそのように使いこなす技術も凄いものがあるということだと思います。
 その達人の域に達するまでは相当の投資と毎日の戦いがあったのだろうなと想像します。

 演奏者だって似たようなところがあって、自分の技術、そして調整様々行って、その楽器の能力を出しきり、結果、自分の音楽を表現するのに不足を感じたら、上の楽器がどうしても欲しくなる訳です。
 まあ時には自分の能力で出しきれてないのにも関わらず、楽器のせいにして上の楽器を探す場合もあるのですが。。

おわりに

 皆様の「自分の音」ってどんなものと考えられていますか。

 自分の音は自分の頭のイメージの音ですか?

 それとも「人が良いと言うから、評価が高いものをつなぎあわせている」から「良い音のハズ」ですか?

 そんな不遜なことを四弦亭が言うなら「四弦亭!おまえの音創りは終わりなのか?」と質問が来てしまいそうです。

 四弦亭の現在の答えは
「まだまだやりたいこと山ほどあります」
「不満な部分も色々あります」
「だから楽しいしチャレンジのしがいもあります」
「自分へのチャレンジ」

 しかし、オーディオもお金がかかりますね。困りました。。

 皆様も悩んみながらこの素晴しい趣味をお楽しみください。

 しつこく一言
「迷ったらコンサートに通ってみてくださいませ」

                             つづく。。


 本年最初のコラムですが、取り止めのないことを書いて失礼しました。
 何か皆様のオーディオや音楽の楽しみの一助となれば幸いです。

 最後に大橋店主様、お忙しい中、拙宅にお越し頂き有難うございました。
オーディオと音楽の交差点 第7回
四弦亭酔響
2004/3/5
  (無断転用転載禁止)
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