キット屋倶楽部
キット屋コラムの部屋
 

『オーディオと音楽の交差点』

音楽とオーディオの交差点 第9回

はじめに
 ご無沙汰しております。
 第8回では四弦亭は初めてオーディオを中心としたテーマで望みましたが皆様の音楽とオーディオライフに何らかのご参考になりましたでしょうか。そうであれば幸いです。
 第8回で全体を通して訴えたかった(自分でも経験した)ことの一つは「オーディオは機器やシステムのみで音を云々するのは現実的でなく、片手落ちである、つまり自分の好みや理想の音にしてゆくためには部屋のアコースティック環境も含めた、セッティングやチューニングを行うことで実際の部屋での再現を目指すことが必須」である、ということでした。
 「音を聞く為の音」ではなく「音楽を聴く為の音」を実現して頂ければと思っています。
 本第9回では、セッティングや使いこなしをもう少し音楽の構成要素に絡めて書かせて頂きました。機器やシステムは結局は使いこなす側次第ですし、音楽だって聴き手次第、はたまたその聴き方次第で大きく変化しますので、そのあたりも少し書かせて頂いています。
 ご興味がありましたらしばし拙文で読みにくいかもしれませんが、しばしお付き合いくださいませ。

四弦亭がセッティングに思うこと
 実際には和室、洋室、一戸建て、マンション、専用ルーム、リビングルームと様々な環境で皆様は音楽やオーディオを楽しまれていらっしゃると思います。
 過去のコラムでも書きましたが、演奏者はホールのアコースティックに応じて奏法や表現、音量を能動的に調整し、お客様がいらっしゃる客席においてその音楽表現が適切に伝わるように環境によって適宜変化させて演奏しています。

 皆様には釈迦に念仏かもしれませんが、オーディオでも同じような能動的な行為が必要で、それがセッティングやチューニングであったりすると思います。許せば部屋のアコースティック環境を変化させることすらできる(ホールではできませんから、演奏を適宜変化させホールのほうに合わせます)訳です。

 オーディオの専用部屋を持たれている方は居住性や美観を無視(出来ない方もいらっしゃると思います)して、かなり大幅セッティングを能動的に変化させることも可能と思います。大橋様が言われる1:1:1のセッティングもテストできる訳です。

 通常はどうしても部屋のスペースファクターを有効に使う為に壁に近づけるしかない場合もあると思います。確かに壁から出来きる限り離したほうが良いと思いますが、それ以外にもいろいろ出来ることもあるかと思います。当然SPの壁面からの位置はその再現に関わりますので重要な基本セッティング課題であることは疑いもない事実と思いますが。実際にリビングで音楽を聞くのに1m以上も特に後ろの壁から離すのは現実的ではない方も多いのではないでしょうか。
 床面に目を向けてみるのも良いと思います。
 床の材質は畳、フローリング、絨毯張り(下は板)等が一般的だと思います。
 私も実践しておりますが、フロア型とは言えSPは床に直置きはあまり良い結果は出ないようです。それがスタンドを介したブックシェルフタイプだったとしてもスタンドの足の下の床の間にオーディオボードを設置されたほうが良いと思います。
 市販のオーディオボードである必要もありませんが、コーリアンや御影石のものでも良いと思いますし、響きの良い木製のボードを工夫して使用することでも良いと思いますし、高さの調整や仰角を与えるなんてこともあります。しかし、こればかりは適材適所、また好みや状況によって変化すると思います。
 ラックや各機器のインシュレーションについても同様なことが言えると思います。
 四弦亭が思うに、その基礎ががきっちりしてから電源でもラインケーブル、SPケーブルでもチューニングに適宜お使いになるほうが良いのかなと思います。
 基本のセッティングを固めることなく、無視してチューニングするとなかなか音が決まってこないような気がします。セッティングの位置はその部屋の環境や使用目的に応じて出来る限り調整する、壁から離す以外にも、SPの間隔やリスニングポイントへの角度やSPの高さの調整で驚くほど音が変化しますので時間をかけてセッティング位置を追い込んでゆくことが良いと思います。
 以前書きましたがオケにとって一番楽器に近い反響板はステージの床面となります。それと同様に壁だけでなく床の反射に関しても意識を向けられると結果が良い場合もあるのではないかと思います。そして先にも書いた床の上に基本となる足場をきっちりと作ることからはじめられてもよろしいのではないかと思います。足元から固めるということです。


セッティングの基礎は音楽の基礎と同じ
 ハーモニーは演奏時にドミソのドの基音がしっかり倍音豊かに鳴らなければ上の音を綺麗に響くように積み上げることが出来ないのですがセッティングでも一緒だと感じます。
 第8回のコラムでも書きましたが低音をうまくセッティングすることなしに中高域を好きなバランスで音楽的に響かせることは現実的ではないと思います。

 はっきり言ってアクセサリーやケーブル関係は何を換えても音は変化します。
 プラシーボ効果があるというのも否定しませんが、良否は別にして現実に音は変化します。
 本当に音楽再生するのに何が良いのか必要なのかは基本が決まってない段階で手をつけても、結局「音の変化を楽しむ」だけ、ということになってしまうのではないでしょうか。それはそれでオーディオの楽しみの王道という方もいらっしゃると思いますが、目的が音楽を聴くことであるという場合、自分の理想とする音に近づくことが(出来ないとは言いませんが)基準なないようなもので、なかなか困難になってしまうと感じます。
 それはオケでも低弦や低音が良いタイミングと音程そして良い響きが出ないで上の声部を担当するVnで脚色しようとしても、なかなか上手くいかない(当たり前ですが)どころか陳腐な響になってしまうことに似ているようなものではないかと思います。

 演奏する場合、オケやアンサンブルでももっとも大切なのは各奏者が各役割をきっちり認識してその箇所にあるべき響きを頭でイメージして演奏していないとなかなか良い響きは実現できませんし、それが基本です。それと同じで、自分の理想とする再現音をきっちりとイメージできることがそのセッティングやチューニングを成功させるのには必要不可欠なのだと感じます。

 低音低音と書いてきましたが、もう一つ重要に思うのは、中音域が貧弱な再生は「音楽の本質を捕らえにくい再現」となるように感じています。高音は中低域さえ決まっていれば、大体解決しているようなものだと思います。それこそ基本セッティングではないアクセサリーを用いることでも結構変化させることは可能です。
 但し、チェロの高音、ビオラの響き、各木管楽器(特にFgやCl)の響きこのあたりは(それこそコントラバスや1stヴァイオリン、打楽器、金管等の音が気になるところですが)中音域の響きや音に注意を払うと音楽がより楽しく聴けるかもしれません。確かに、ティンパニや大太鼓等がしっかり決まらないとつまらないという部分もあるかもしれません。中低域はそれこそ基本のセッティングで大分変化するところでもありますので、いずれにせよ基本的なセッティングがものをいってくる部分だと思います。

 私もSTを追加した時にセッティングの微調整で、そのセッティングによっては(これは部屋の環境に左右されている部分も大きいかもしれませんが)、和音がホールの残響の音程が下がったりしたことがあります。適切にセッティングをするとそれは解消されましたが、ほんの微妙な変化(本当に微妙でSTの設置位置や角度の違い)でそんなところにも大きく影響することを体験しました。
 残響の音程(音高)が変化するなんてとても気持ち悪いものです。伸ばしている音程が高低するなんていうのも気持ち悪いです(これは奏者によっても0ではー残念ながらーないですが)、レコードとして発売されているものであれば傷になりますからそれは修正して発売しますのでそんなことは殆どありえません。機械でも大昔のレコードプレーヤーできっちり整備していないものでもないかぎり機械が原因というよりアコースティック環境とセッティングの相対的な具合で「いたずら」しているもののほうが圧倒的に多いのではないかと感じています。

気に入って買った機器なのだからとことん使いこなす
 一度は気に入って購入されたシステムだと思いますので、きっちり使って気持ちよく鳴らす為の努力をすることが重要だと思います。思ったようなを引き出せない場合に短絡的に機器のせいにして何度機器を取り替えても、いつもどこかで問題や気に入らないところが出てきて一生音楽を楽しむことなく、オーディオのソースとして聞くだけの本末転倒な無限ループに引っかからないようにしたほうが四弦亭は良いと思います。

 何百万もする機器が上手くならなかったらそれは自分の腕が悪いのです。楽器でも同じこと、豚に真珠、猫に小判にならないように音楽を楽しめるセッティングを是非見つけてください。きっと見つかると思います。基本に忠実にセッティングを地道に続けること、そしてその時には自分が求める音のイメージをきっちりと持ち続けることができればきっと皆さんの努力にシステムは応えてくれると思います。是非「御自身で選んだ機器を信じてあげて頂きたい」と思います。

 とにかく思ったように鳴らないのは大体において自分のせいであって機器のせいではないということだと四弦亭は思います。それが証拠にどんな機器を使っても経験を積んだ方(その方の音楽のイメージ)のセッティングからは以前と同じような再現になるということが良い例です。

 逆説的な言い方ですが「機器を買い換えるのは自身のシステムが思うように鳴ってから」ではないかなと四弦亭は思います。奏者に取っての楽器も同様です。格が上の楽器、さらに良い楽器、大体においてそれは高価な楽器になる場合が殆どですが、使いこなすテクニックそしてその音楽イメージが豊かでなければ豚に真珠、猫に小判になってしまうというのは、どの世界でも同じだと思います。当然、楽器ならそれ以前にきっちりと専門家に調整されていることが前提になります。機器も同様ですよね。


早計な判断は損をする
 これは以前のコラムでも書きましたが、ケーブルにせよ、インシュレーターにせよアクセサリー関係は取り付けてから数日かけて冷静に判断されたほうが良いと感じます。馴染むのに時間がかかるものもありますし、その効果を即断するのは余程のアクセサリー交換やテストの経験がないと判断を誤る場合もあると思います。
 確かに数をこなしていると直後でもその後の音の傾向は分かることは楽器の経験からも分かりますが、それでも馴染むというのは結構大切ではないでしょうか。
 その一部は良く言われるように機械のエージングではなくて自分自身の慣れによるエージングなのかもしれませんが、決してそれだけではないと思います。

 重要なことは、「目的を持ってセッティングを行う」ということです。
 具体的な目的をもって取り組んだ場合は様々なアイデアや対策が出来ますが、具体的な目的なしに闇雲に足したり引いたりしてもなかなか思うような方向へは近づかないと思います。

 耳がその音に馴染んでしまって(=耳がエージングされて)判断にならないということも0とは言いませんが、だからこそ大切なのは自分の頭で音や響きのイメージを明確に持っていることがとても大切だと思うのです。
 「基準もなく変化したものから変化したものと連鎖して自分の軸を持たない」で評価すれば最後は訳が分からなくなってしまうからです。

自己完結のオーディオ、されど。
 音に関しては分からなければ分からないで恥じることもありません。
 自分に取って最高の音や幸せな音であればそれで良いのだと思います。
 オーディオは自己完結した自分の世界のものだと四弦亭は思うからです。
 まさにその姿勢は趣味の王道ではないかと思う次第です。

 本質的には上記だと思うのですが、もう一つの楽しみというのも理解できます。それは他人様が自分のシステムを聴いてどのように感じるかを知りたい。また評価を得たい。
 他人様のシステムを聴いて、自分の音と自分なりに比較してみたい、客観化してみたい。今よりもっと良い音や再現があるのではないか。そんな所もあると思います。

 つまり、自分が精魂込めて創り出したシステムからの再生音を他人に聴いてもらいたい。また他人様のものを聴いてみたい(=自分の音と比較したい)ということはオーディオというフィールドでの一つの楽しみ、いや趣味の世界というのは目的を同じくする仲間と交流して語り、お互いに刺激をもらって、自分の今後の糧にしてゆく。
 これはこれで楽しいことだと思いますし、まさに趣味の世界。

 はたまた自己完結なオーディオであるが為に他人様にはどのように聴こえるのかを知ることで、ある面客観値を持ちたいということもあるのではないだろうかと思います。
 自己完結のオーディオだからこそ迷う、そこに雑誌や様々なメディアの言葉や文字の魔力にも騙されやすい。迷える子羊状態を生み出す危険性を常に内包している。

 四弦亭も同じ音楽を演奏する仲間に聴いてもらってその反応や感想を聞いてみたい。なんてこともないわけではありません。四弦亭がセッティングしているということは四弦亭の音楽の聴き方、感じ方の「自分の音楽の中身をさらしている」ような部分もありますのでちょっとドキドキします。
 私のシステムを聴いた仲間は、四弦亭さんの演奏と同じ系統の音がすると言う事があります。
 大橋店主様も初めて拙宅にいらっしゃったときに楽器も少し聴いていただいたのですが、「同じような音=四弦亭の音」に聴こえるという感想をおっしゃられました。私が聴きたい音のバランスや響き、音質というのでしょうか、それが当然のことがら私の頭の中の音や響きのイメージと照らし合わせてセッティングしているのだから当たり前といえば当たり前なのですが。(全てがイメージ通りに実現している訳ではありませんが一定の似たような方向の音にはなっているのだと思います)

オーディオが実際の演奏に影響を与えることも
 ある奏者仲間が拙宅に遊びに来たときに、あるCDを聴いてもらいました。
 その曲は近々の演奏会プログラムの1曲だったのですが、私が「ここの箇所、こんなに響きが変化しているのだけど」と指摘すると、リハーサルの時に見事にその変化に近いことを演奏してくれました。(私としては、してやったり、私のメッセージはその仲間にオーディオの再現を通して伝わったということです)
 実はその仲間も同じ演奏のCDを持っていることは知っていたのですが、彼のシステムではまったくその演奏の響きの変化がそこまで明確に音楽的な意味として再現していなかったようです。怖いなあ、と思いました。これは彼の音楽性を上げたということではなくオーディオを聴くことでその響きのイメージが明確になったということだと思います。その友人にはご自身が愛聴している複数のCDを持ってきてもらっていたのですが、「えええ」と、あまりの自分の普段聴いているシステムとの表現の違いにびっくりしていました。(これは自慢話になってしまいますね)。

 逆に、聴いてもらっても同じように感じない方もいるということもあると思います。
 例えば、同じ曲を歌っても皆同じようには歌いませんよね。特にシンフォニーですと複数の声部が絡みあいますのでどの声部を中心に歌うかでも(いずれにせよ解りますが)大分感じ方が違うということが実際に良く解ります。カラオケ(あまり行くこともないのですが)でも同じ曲でも人によってそれぞれの表現があるように個性がでます。オーディオでも同じことが言えるのではないでしょうか。どんな音で聴きたいかは100人いれば100通り。音楽的に言えば、フレージングの取り方、間の使い方、全体の見通し、音程の取り方等を含めは完全に皆一緒ということはありません。

音程(音高)は適宜変化させるもの
 特に音程は最低限の基準はありますが、響きや音色の変化に影響しますのである面、奏者の解釈という部分も含まれてきます。
 ちょっと専門的な話しになってしまいますが、例えば、ある記譜上の音程(音高)が何調の和声の第3音なのか第5音なのか第7音なのか等で、記譜されている音程が一緒でも適宜、音高を変化(高め、低めと)させますし、その調性がもっている特有の響きを意識して(頭でイメージして)音色も変化させます。

 音程はピアノではどの調性でも同じです(だから平均律を使っている)が弦楽器は当然のこととして管楽器だって調性や役割によって同じ音程記譜でも同じ音高とはなりません。
 以前のコラムにも書きましたが、和声的音階と旋律的音階でも音程(音高)の取り方は変化させます(奏者の解釈も入ります)。
 これを音楽では音階のイントネーションと言います。これがそれぞれの人、ソリストであっても同じ高さではなかったり(同じ音程だったとしても響かせ方で聴き手は高めに聴こえたり低めに聴こえたりもします)音階の幅も様々ですので響きを多様にして、旋律を際立たせたりする為の、音楽を演奏するものの永遠の課題でもあります。
 アンサンブルやオケでは音程が合っているように聴こえるのはそれぞれの奏者が響きのイメージを同じ方向性でもっているということになります。それはとても大切なことなのです、奏者が一人一人が音や響きのイメージを共有すると、その実際の音程の違いは円のような響きの中に入ってゆき、お客様には音程が合っていると聴こえるのです。
 あなたの音程は音楽的ですね。とか良い音程ですね。ということは最大の賛辞とも取れるくらい各奏者の趣味やセンスや音楽観を表現してしまいます。当然、調性や音色にも大きく関係します。そのあたりがきっちり表現できるシステムやセッティングが私に取ってはとても重要です。
 オーディオ的に説明しようとすると考えてみますと、奏者は音色変化の為にあらゆるテクニックやアンサンブルを使って「基音と倍音の構成やバランスや発音を」を変化させて音色を作っているからなのかなと感じます。楽器の構造上の都合を作曲家が上手に使って調性による響きの差を表現に使っています。当然それだけで表現や響きが出る訳ではないのですが、オーディオ的には
 ・帯域バランス
 ・発音と減衰
 ・下方リニア

なんていう重要な要素はまさにそれがシステム側の都合で勝手に変化しないということが正しく音楽を表現するのには必用ということになるのかなと感じています。
 音楽の構成要素であるテンポ、リズム、ハーモニーを有機的に連動させて音楽は成立していますが、それを表現するためには上記要素は大きく関係しているようです。

 先に書いたように、ある音程が相応のチューナーを使ってほぼ同じ値をメーターが示していても、音高が高めに聴こえたり低めに聴こえたりさせること可能なのですが、まさにその基音と倍音のバランス部分で表現の幅を持たせていることがあるので、再生においてそれが表現されないというのはまったくもって困ったことになると四弦亭の場合は感じます。

 演奏者がせっかく調性の響きの変化による音楽が変化する面白さを表現しているのにそれが適切に再現できないシステムははっきり言って×です。どんなにスペックが良かろうとも音楽表現が出来ないのでは本末転倒です。

 「鋭敏かつ愚鈍」な人間の耳はそのように感じるので、機械ではなかなか(数値は一緒ですので)説明つきにくい部分もあるからこそ、最終的にはオーディオでもヴォイシングという音決めが重要になって、そのヴォイシング次第で機器における音楽の表現も変化してしまうということにつながるのかなと思います。
 バランスや音のまとめ方は人の感性や経験、また教養にもよる部分が出てきてしまう訳です。だからオーディオは多様な再現がある訳で何が絶対ではなく、それぞれの理想とする音や音楽再現はあって当然ですし、面白いのだと思います。

西洋音楽における調性を感じること
 日本の今までの音楽教育の問題もあるかとは思いますし、それが歴史の違いだということも言えるかもしれませんが、多くの日本人の演奏は西洋人の方と比べると調性感のイメージや変化が乏しいように感じます。当然、プロでも同じことがないとは言い切れません。
 つまり調性における響きの違いや色合い、温度感というのでしょうか。
 詳しくは書きませんが、例えば、オペラ等で出てくる王様や偉い人を表現する場合にEs-durという調性を用いることが多いです。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」はEs−durで書かれていますね。偉ぶるのではなく本当に偉い人の表現というのでしょうか。
 ワーグナーのローエングリーンのローエングリーンはEs-dur(変ホ長調)で表現されていますね。旋律だけでなく調性でもキャラクターを表現している訳です。
 それに対応して例えばもう少し優しい感じの芳醇さというか女性のふっくらした魅力的な感じはB-dur(変ロ長調)という調性が使われたりします、ベートーヴェンでは交響曲4番がそれにあたります。c-mollなんていうのはベートーヴェンの交響曲5番「運命」に使われています。なんというか深刻な調性ですよね。意味深い調性。
 交響曲の6番と8番は同じ主調で書かれていますが何調かご存知でしょうか。クラシック音楽を愛好されてる方でしたら、是非そんな同じ主調で書かれた様々な作曲家の曲を並べて聴いてみるとなんとなくその調性による響きや音色の違いを西洋クラシックにおける表現の違いとして感じて頂けるかもしれないと思います。

 ご興味があれば、そんな視点でセッティングをしてみても面白いと思います。はたまた、スコア等をお持ちでしたら一曲の中にも様々な調性の変化(転調)を使ってテンポやリズムと連携しながら曲の推進や表現の変化を与えていることを聴いてみていただくのも一興かもしれません。それが西洋音楽の根底に流れており、それが西洋音楽の本質を理解する上ではとてもコアな要素なのですから。
 作曲家のメッセージ性が調性にはとても含められているということなのです。
 なぜその調性を主調としたのか。どんな解釈や表現を求めているのかを解く重要な鍵です。

 本題に入ります。当然本コラムは音楽とオーディオの交差点ですので、上記を書かせていただいたなりの理由があります。残念ながら、国産の製品よりヨーロッパ製品はそのあたりの表現が適切な場合が多いということを感じる時があるからです。別に舶来趣味ということではないのですが。結局製品開発時のヴォイシングをされる方の感性次第なんだろうなと。

 また一概に言うと危険ではありますが、国民性というのは出るようです。楽器でも大雑把に言えば、例外もありますし国ではなく作者の個性の違いのほうが大きいと言える場合も多いですが、各国なんとなくその歴史的、また理想にしてきた響きの表現の違いが音に出たりします。はたまた楽器ですと師弟関係や流派なんていう区別も場合もあります。
 以前のコラムに書いたことがありますが、弦楽器ですと楽器はイタリア、弓はフランスなんてことになる場合が多いのですが、それは本当に良い楽器の場合であって、楽器がイタリア製だから良いなんてことは言えない場合も当然あります。費用対効果で考えれば、きっちり選べば他国の楽器や弓のほうが良いと言える場合も多くあります。上記2国の作品は味噌糞一緒で価格が底上げされてしまっているからです。他の国々でも遜色ないものを見つけ出せることは可能です。
 但し、ごく一部の最高ランクとなると良い確率が上記2国に集約されるのは事実ではありますが、流石にオールドの世界は健康状態等、なにせ200年300年400年ものでありますので、一概には言えません。

 また例え、どんな国のどんな楽器を使っても使いこなす技術がなければ意味がありません。
宝の持ち腐れです。
 以前にもコラムで書いたと思いますが、あるドイツの大変優秀なソリストがドイツ人製作家の新作、そして弓はカーボンボウで来日時に演奏していました。現在そのカーボンボウを愛用しているかどうかは知りませんが、楽器はそのドイツ人の新作を使っているハズです。
 これは私が本人に合った時に直接確かめたので本当のことです。
 カーボンボウは来日前にそのメーカー(オーストリアのメーカーですが)から一度使ってほしいと直前に送られてきて、結果が良かったのでこれを本番に使ったと言ってました。その前までは彼はストラド(銀行からの貸与楽器)を使っていたのですが、貸与期間が終了して返して、新作を使うことになったようです。でもストラドという名器を使っていた期間に学んだ音や響きは彼の頭にイメージとして残っていますので、新作でもそれと遜色無い響きをテクニックで創れたとも言えます。その楽器は新作ですがオールドフィニッシュをしてありましたので客席から見ただけでは一般には見分けはつきにくかったと思います。
 名器のもつプラシーヴォ効果は聴き手だけでなく弾き手にもかなり安心を提供することがあり、それは演奏に確実に反映されます。でも彼のようなクラスになれば使いこなしによって遜色ない演奏は十分可能なのです。

 オーディオだって如何に使いこなしと頭にあるイメージが大切であるか、どんな機器をつかっていてもある程度は自分のセッティングや使いこなしテクニックによって自分の音は創って行けますし、また最低限のテクニックがなければどんな機器を使っても宝のもちぐされということになることの証明ではないかと思います。


システムの調子、自分の体調?
 あたりまえのこととも言えるかもしれませんが、日々オーディオを聴いていますと毎日調子が一緒ではないということは皆様も経験されていると思います。実はご自身の体調や心の変化によっても聴こえ方は相当変化するということも忘れないでいただきたいと思います。
 機器の変化ばかりではないのですから。人間の体調や心のほうが機器よりも日々変化が大きいのではないのかなと思うことがあります。聴くのは機械ではなくて人間なのですから。
 人間サイド=聴き手の感性によっても同時に聴いても感想が異なるのは当たり前と思います。機器のせいにするだけでなく、良い音楽、良い演奏、それも録音だけでなく生の演奏も是非、少しでも多く楽しみ、イメージの引き出しを多く持って頂けると音楽をより楽しく聴くことが出来ると思いますし、オーディオも楽しめるのではないでしょうか。その為には良い音楽、良い演奏、を数多く聴くこと、また演奏会に行って生の演奏を聴いてみることだと思います。

ある演奏会へ行くシュミレーション
 想像してみてください。
 演奏会に行くということは音楽を聴きにゆくことから始まります。チケットを買う、その演奏会の期日が迫ってくる、仕事をなんとか定時で終わるように頑張る、でも突如とした用件で行けなくなるかもしれない不安があったりするかもしれない。
 そして当日。電車や車、はたまた歩きでホールまで向かう、ゆったり時間の余裕があるときもあるだろうし、汗をかいてホールに駆け込むかもしれない。ホールに入る。プログラムをもらったり買ったりして席につく、ホールの独特の空間の感覚や匂い、そして多くの人、服装、バーカウンターの音、そして開始前の予ベルやアナウンス。客席の隣の人の動き、はたまたその日の天気や気温、朝家族と喧嘩してきたり、様々な脳へのインプットがあって、その席についている。
 そして楽員が舞台に上がってくる、全て着席、隣の人が何かゴソゴソやっていて気になるかもしれない。自分の前の席の客が座高が高いとか動きが目障りなんて。客席の照明が落ちて舞台の照明が明るくなる。そして楽員がぞろぞろステージに上がる、コンサートマスターが出てきてチューニング。しばしの静寂の後、指揮者が入ってくる、拍手が上手から起こる。指揮者が指揮台に立つ、そして。。。。演奏開始。
 自分の好きなフレーズや楽章が出てくる直前にフッと意識をさらに集中させる。途中で眠くなるかもしれない。うとうと。。

 そんな様々な外的要因や内的要因を含めてその演奏会を聴いているのではないでしょうか。
 好きな箇所であああ音が外れた、なんてことだけでがっかり聴くテンションが落ちてしまうかもしれない。。

 様々の要因が聴くという行為には影響しますね。


♪パウゼ♪
楽器のチューニングってどうやって合わせるの?
 頭のイメージが大切だという証拠にオケのチューニングの話をしてみたいと思います。
 まずオーボエからコンサートマスターが基準音であるA(ラ)を取って儀式のようにオーケストラがチューニングを演奏前にステージ行うことはご存知と思います。これから演奏会が始まるぞという瞬間ではないでしょうか。
 この時に重要なことは各奏者がコンサートマスターなりオーボエのAを耳で取って頭で鳴らしてからその頭のAと自分の楽器の音を合わせてゆくのです。これをコンマスが出しているAと自分楽器の音を出してその音自体を耳で比較して合わせているといつまでたっても合わないということが起こります。
 結局は皆、一度自分の頭で取ってそれから頭の中で鳴らしてから自分の頭の中で鳴らしている音に自分の楽器の合わせる。
 演奏で次に弾くその箇所のあるべき音程、フレーズ、や響きを事前に頭の中で鳴らしてないでただ単に指で取ったりしますと大抵は良い音程や響きは出てきません。
 事前にあるべき音を自分の頭で鳴らすこと(イメージすること)、これがとても大切なのです。
 因みに以前のコラムでも触れましたが上記は「絶対音感」とはまったく関係のない音楽上のことですので誤解しないで頂きたいと思います。
 古楽では一般に415Hzを基準ピッチにしていることが多いのですが、これは440や442Hz等の近代の基準のAからすると半音低いピッチに近くなります。
 もし絶対音感で音を取ったら頭の中で譜面から半音移調して弾かなければいけません。それをしなければ記譜から聴こえる音と出てくる音が半音ずれている音を聴くことになります。すると折角のクラシックにおける作曲家の意図している調性や調性音楽の意味はぶち壊しになってしまいます。
 この位にしておきます。

 因みに基本的にピアノでは音程は変えられない訳ですが優秀な奏者はタッチ等でその音程の高低を響きのバランスで見事に聴感上変化させているように思います。
 また高名な英国在住の日本の女流ピアニスト(現代ピアノでも)はモーツアルト等の古典を演奏するときには平均律ではないその時代に使われていたとされる中全音律(ミーントーン)等にあえて調律して素晴らしい響きを出したりもしていることも加えてお伝えしておきます。なのでピアニストは調律師というのは一体で響きを作る作業する訳でして、多くの巨匠は常に自分専任の調律師という方を連れてツアーされることがあるくらいです。
 またチェンバロ奏者は御自身で好みの音律や調律をされる場合(様々理由はありますが)も多いようです。
♪♪♪

音楽が生き生きと再生されること
 雑誌等で紹介されているお店(その音が絶賛されていたりすると)聴きに行ってみた時期があります。
 環境もそれなりに整えてあって、ある面そのお店が機器をベターな状態でプレゼンテーションするようになっているお店です。
 残念ながら私に取ってそれらの音はあまり魅力的なものではない場合が多かったです。
 私はハイエンドは音楽的でなく真空管でしか、なんて言う気はありません。それなりに高いものはそれなりの理由があります(適正価格かどうかは別にして)。
 それは、なんでだろう?と今考えますと、私に取っては音楽ががんじがらめに規定されているような窮屈さと各声部の細さだったような感じがします。
 細い、とにかくオケ聴いても響きが乗ってないというか、3D的な音場は感じても演奏者が精魂込めて演奏している熱や温度感が伝わってこないというか、逆に温度感を作っているとするとリズム感を感じなかったり、なんていうか音楽のまとめ方(再現のしかた)が悪いというか、関心しない場合が多かったように思います。アコースティック楽器の響きや温度感が特に再現されていないような感じと言えるかもしれません。
 それは「機械が悪いのではなくて、やはりお店のセッティングされている方の音楽の感じ方というか音の感じ方」なのかなと思います。
 オーディオ的な表現の中で「音楽的である」という言葉は大変ファージーな概念です。
 ともするとその言葉は、「まったりとしていて聴きやすい」ということにつながっているようで、細部が聴こえないという場合もあるし、あまりに分解されるような音だったり、音楽が音楽として成立しないような再現になっているような気がします。
 どんな演奏でも同じように聴こえてしまう(それはそれで良いとは思いますが)とか、美しすぎる場合なんていうのもあります。
 このあたりは大変難しい所でもあり、オーディオの使い手が、どのような音楽再生のイメージや理想を持っているのかで様々と思います。

 ある面、二律背反の要素や要求の調和をどのバランスで再現してゆくかは使いこなしの観点では重要だなあと思います。

 1部屋に2セットも3セットもシステムを組まれて適宜気分やソースに応じて使い分けるというのも楽しいことだと思いますが、なかなかその環境を持っている方は多くはいらっしゃらないと思います。
 二律背反的要素は調和させられるかということについては、私はまったく不可能ではないと思っています。
 但し、どのような再現にさせたいのかを明確にイメージしている必要があると感じます。
 私はオーディオを新調し復活させて高々2年少しですので、偉そうに書くような立場ではないですが、スターリングを中心としたシステムと付き合ってきまして幾つかの前提さえクリアしていれば可能になる可能性は高いと思っています。
1、 自分で各種聴いてみて、惚れた機器であること
2、 明確なイメージを持ってセッティングやチューニングを行うこと
3、 すぐに機器の能力の限界だと次々に機器を変える癖がついていないこと

かなと思います。
 偉そうなことを書いて僭越ではありますが、実際にはそのセッティングやチューニングを
細かにやってゆきますと、時々、ハッとするような自分でも想定していないような表現や
再現をしてくれることがあります。
 大体において自分の想定よりも上の再現をしてくれているという体験なのですが、これを一度経験できれば、それが大小何度となく訪れたり、感じることができます。
また、まったくいじっていなくても、エージングや様々な環境変化も含めて音は変化してゆきます。
 はたまた、何年も時間と金をかけて様々なアクセサリーを駆使して音づくりをしてきたが、一度、それらを取り払って一番初めにセットした状態にしたら一番まともな音だったなんて笑い話にもならないような話も聞いたことがあります。あるえるなあ。。。と。

 音楽ホールでも響きは時間と共に変化してゆきます。特に建設したばかりのホールは5年や10年平気で響きや音が変化してゆくのですから、普通の部屋でも外的な要因も含め変化はしている訳です。また当然機器もエージングや劣化を含め変化してゆく。
 弦楽器の経年変化による音の変化は言うまでもありません。
多分、日ごろ鳴らしているソースによっても変化は同じではないと思います。
話が横にそれてしまいましたが、つまり自分でも想像しなかったような再現が起こりえるということは、使いこなしを含めて相当可能性は持っているということではないでしょうか。
 物理的な理屈や科学では説明がつかない音の変化を聴き分ける微細な変化も捉えることの出来るのが人間です。
 ケーブルやアクセサリーにしてもなかなかその変化は理論的に説明がつかないことも多いと思います。でも音に変化があることは事実です。
 機器にしてもアクセサリーにしても人間がそれに振り回され使っているのではなく使われているのでは本末転倒だと思いますが、その変化が自分のイメージや理想に一歩でも近づいているのであれば使わない手はありません。

 でも、他人の話や文字によって判断したりするのではなく、常に自分のイメージを持って判断していただくことでそれは可能なのではないかと思う次第です。
 基本的に趣味の世界ですから絶対はありませんので、その使用者が満足できることが一番大切だとは思います。

 自己満足―万歳!という部分もあるのが趣味の世界です。他人が聴いてつまらない音でも、使用者が満足しているのであれば良いことと思います。しかし、例えば他人のシステムを聴いて、自分のシステムより理想に近い音が出ているのであれば、そのイメージを参考に自分のシステムの限界だなんて思わないでセッティングやチューニングをしてゆけば必ず近づけることは確かと思います。
 意外に機器やシステムの限界を使用者側が勝手に設定してしまっている場合が多いかもしれません。敵は内にアリなんてこと往々にして起こりませんか。

 それでも限界と思ったら機器の交換をすればよいと思いますが、どこがその限界なのか見極めを経験したことがないと、結局は同じ結果になって買い替えの堂々巡りでいつまでたっても現れないメシア(救世主)を待つようなものになってしまいます。
 確かにそれでは不幸かもしれません。でもそれを選択しているのは自分自身なのです。

 なんか、説法みたいになってきてしまいました。

四弦亭からの一つのご提案
 多分、自分が満足するというのは、他者から与えられることではなく、自らが能動的に勝ち得るというスタンスを持っていないと、なかなかその満足というのは得られないのかなと思います。
 温故知新ではないですが、以前大橋様のHPでは「検事の耳」「弁護士の耳」という概念がが多く使われていました。
 もう一つのその満足の実現には「検事の耳」の意味はある面オーディオ的な聴き方でもあり、自分のシステムのあら捜しを音楽CDというツールを使って暴き出すような聴き方です。これはこれで私も面白いと思いますし否定はしません。
 アクセサリーや機器の交換での変化を気づくことを楽しむということにもなりましょう。
 でもそればかりやっているのでは折角の音楽を楽しむという素晴らしい体験を捨ててしまっているようなものですので、音楽に入り込む耳というものも頭の中で作られると良いとおもっています。

 「任意にその聴き方を変化させられたり切り替え」られたりするととても便利です。
 四弦亭も自分で演奏する時の耳と聴衆として楽しむ時の聴き方のモードは適宜選択してます。
 オーディオを聴く場合、音楽を聴くと言ってもその響きに意識をゆだねて楽しむ場合と研究や勉強の為に聴くという場合もあります。
 また同じように、セッティングやチューニングを行っているときはやはり検事の耳になっていると思います。
 でもそれは無意識に変化しているのではなく、自分で目的に応じて能動的に変化させています。
 これは私の経験ではなかなか習得は難しいと思いますが、やはり自分でそういう意識の変化を目的に応じてコントロールしようという試みをして、また意識して続けていないと、瞬間の切り替えは身につく訳ではないようです。
 これは既に皆さんが行っていることかもしれませんが、一つの四弦亭からの提案として書かせていただきます。

 音楽が解ってくると面白いこともあるでしょうし、はたまたその変化を聴き分けられたりその理屈を頭で解明している時が面白いときもあるかと思います。
 最初はその興味を持ったほうの聴き方しか出来ないかもしれませんし、逆の聴き方がどうしても持続できないで、興味あるほうのモードに戻ってしまうこともあるかもしれません。
 ポイントは「意識的に切替がスムーズに出来るようにしてゆく」ということです。

 その意識下のコントロールすべく続けていると少しずつその意識のコントロールが長く続くようになり、また意識的にモードを切り替えることも出来るようになってくると思います。
 演奏でも、難しいパッセージを練習する時には、ゆっくり弾くことから始めて頭にきっちりとイメージさせて少しずつテンポを適宜上げて、想定されるテンポで弾けるようにしてゆきます。
 当然、そのパッセージで自分が苦手だったり特殊な技巧が必要であれば、それに準じたエチュードなんかもさらっておきます。すると段々弾けるようになるか、突如として弾けるようになります。これは経験してみないと分からないかもしれませんが、これは音楽に限らず、どの分野でも頭のトレーニングや習熟というものは同じような気がします。
 結局は脳がコントロールしている訳で、トレーニングの仕方さえ間違えなければ個人差はあるにせよ、出来る可能性は高いということだと思います。
 思考経路や感情でさえもトレーニング次第で可能なことは多いわけです。
 ご説明が長くなりましたが、「目的をきっちりもって自身の聴かれるモードを選択するようにすることが大切」です。
 検事の耳なのか弁護士の耳なのかはその目的によって変わります。オーディオはとても面白い存在だと思います。最初は音楽を楽しむためにその再生装置が必要になるというものだろうと思います。
 コンサートホールに行かなくても、好きな音楽をいつでも、好きな演奏家で聴くことが出来るわけです。それも何回でも好きなだけ。そして途中で席を立ったり、食事をしながらBGMとしても、どんなカッコで寝そべっていても良いわけです。これは本当にありがたいことでもあります。

緊張と集中
 演奏する場合、これはスポーツなどでもそうですが、「本番にあがる」ということがあります。本番にまったくアガラナイいことが良いのかと言うと中々一概に言えません。
 少しはアガルというよりテンションを高くするということは良い演奏をするためには必須です、スポーツでも今までよりも良い結果を出す時に、平常心とテンションを上げるという両方が良いバランスで整えられた場合に良い結果が出てくるのだと思います。
 そしてその適度の緊張、ということは集中力を高めるということに大きく関連しているような気がします。
 アガルというよりテンションを上げる、そして集中力を高める。この集中力というのは、これまた脳におけるコントロールです。
 演奏ですと集中力を高めるということは一点に絞るということではなくアンテナを高く、そして敏感にするということも必要になります。

 オーケストラでは多くのことが並列にまたは少し時間差をもって有機的に絡み、機能してアンサンブルを創りだしています。実際にはお客様が気づかないような事故は結構オケの中では起きているものです。
 指揮者やオケがエッジを狙った演奏をしている時には大事故につながる要素を含んでいる場合もあります。
 これは指揮者やコンマスそして各奏者それぞれがそれぞれの役割において認識し全体の流れも考慮しながら演奏してゆきます。
 もうひとつ重要なのはその流れの動きを高いアンテナで一方冷静に観察して「予測」しながら、目指すべき方向や響きを生み出しながら曲を推進させる。

 この予測は経験や知識で高まることもありますが、きっちりと集中力を高めてアンテナを高くそして敏感にして冷静に正確な情報を常に収集していなければ役には立ちません。

 オーディオを聴く場合、様々ではありますが、能動的なスタンスという部分で聴く時とあくまでリラックスのような受動的なスタンスで聴く時があるかと思います。
 基本的にセッティングやチューニングを行っている場合は極めて能動的なスタンスが高まるのではないかと思います。この能動的なスタンスはあまりに一方的な能動的であっても、このケーブルを変えたから@@になるはずだ、という思い込みが客観値を失う場合もあります(所謂プラシーボ効果)。難しいですね。

 その思い込みはその音楽の中の一部を捉え過ぎて過敏になりますと、そこだけの変化が大きく感じてしまう、「木を見て森を見ず」なんてことになる要素を含んでいます。
 その変化を感じることはとてもオーディオ的には楽しいことかもしれませんが、音楽再生という原点の目的から脱してしまって歪なバランスや響きの方向に自分のシステムをもっていってしまう場合もないとは言えないと思います。

 皆さんも同様と思いますが、聴きなれた複数の様々な種類の録音や演奏を再生して各箇所をオーディオ的にチェックしてゆくことが多いのではないかと思います。
 オーディオでもこちらを立てればあちらが立たずなんてことは日常茶飯事のことですので。
 オーケストラのような管弦楽曲の場合結構どの楽器、また声部にご自身の意識が向いているかでも大きくセッティングは左右されます。

 オーケストラは簡単に言えば、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器の4セクション。
 その4種類でも各楽器は弦では楽器の担当する音域で5部(パート)になります。
 一般にはヴァイオリン1,2、ビオラ、チェロ、コントラバスと音域順になります。
 ヴァイオリンに目(耳)をやっても1stVnと2ndVnのバランスはどのように聴こえるべきなのか、位置(定位)の関係もあります。そして低弦ではチェロとコントラバス、曲によっては別々なことをやっている場合もあります。
 チェロ・バスと一概に言ってもそのバランスや出てくるタイミングは微妙に異なります。そしてそのバランスは。位置関係は。
 なんて、細かにチェックしてゆくこともあるかと思います。

 それが整ったとしても、木管のバランスや定位、そして各楽器の響きの違いや音量のバランスや響きの太さなんていうのも出てくる。
 そして、それが整っても今度は金管、ホルン、トロンボーン、ラッパ、チューバなんて出てきたら、ホルンとトロンボーンというどちらかというと2,3,4本でハーモニーを創っている場合の音色の違い、発音の違い、なんてなかなか難しいと思います。ラッパなんて気をつけないと線が細いただ刺激的な音として再生してしまうこともあるかもしれません。
 打楽器ではティンパニの音の立ち上がりや音程と響きの混ざり具合やはたまた分解なんていうのも結構低音をセッティングするには鬼門かなと思ったりします。
 もっとマニアックになれば、クラリネットが何管を吹いているのか、ラッパの管はどうなっているのか、響きは異なるのですが、そのあたりが再生できているのか等。
 実際に曲を知っていたり楽器のことを知らないと難しいとは思いますが。
 もっとその視点で書けば山ほどチェックポイントはありますが、もしそれがセッティングでうまくいったとしても、もう一つ別な難題というか音楽そのものの奏者のメッセージや
 意思、はたまたその雰囲気を伝えてくれるとは限りません。
 当たり前のことですが、録音が悪かったり古かったら悪い音楽なんてことはあるハズもありません。
 SPだって、そのデジタルリマスタをしたCDだって良い音楽や演奏には変わりはありません。
 ある面、奏者のメッセージが伝えられることがもっとも重要なことなのだろうと思います。
 メッセージが強い=中低域がやたらに濃い音、と勘違いする場合があるので注意が必要です。
 これは結局は能動的な受動行為として音楽を聴く場合にとても重要ですし、そこが伝わらないシステムはオーディオ的には面白い場合もありますが、私に取っては×のシステムセッティングかもしれません。まれに機器を開発した方がそういった音楽表現を視野にいれていないのでは?と感じてしまうものもあります。
 正確、正確といっても、結局は自分のオーディオがある部屋のアコースティック環境もありますし、またそれぞれのセッティングによってその正確さが本当に正確に音としてリスニングポジションで成立するのはなかなか難しいと思いますし、場合によっては仇になってしまう場合もゼロとは言えません。
 但し、それはセッティングによっていかようにも変化はさせられる部分も多いということはいえますので、その使用者によって様々な音を出しているということだと思います。

 同じ楽器を弾いても、奏者によってびっくりするくらい音や響き、そして表現は変化します。これはオーディオでも同様で、結局は使いこなしだろうと思いますし、もっと言えばその使い手の頭の中にイメージしている音楽や音次第ということになってしまうのではないかと思います。

 頭にイメージがなければどんなに技術が優れていてもつまらない音の羅列になり音楽にならなくなってしまうのは音楽演奏でもオーディオでも同じだと思います。
 楽器演奏における技術はあくまで音楽表現のツールである訳ですし、オーディオも電気技術や様々な理論も、音楽を聴くという目的においてはそれはあくまでツールであって、そのツールを適切に使って目的を達成するには人間の感性やイメージというものがきっちりなければいけないのだろうと思います。

技術はあくまで人間の生活を豊かにしてゆく為のものであって、技術が人間を支配してはいけないのだろうと思います。いや、技術が人間を支配するのではなく人間が目的を忘れ技術や理屈の奴隷になってしまっては本末転倒になる。でも人間、特に日本人はその方向も嫌いではない人種の一つかもしれません。確かに最終型として人間の脳に直接に電気的な刺激を与えてすべてバーチャルで実体感を得させる、ということになっても、人間は様々な外的な環境や感情によってその受ける感覚は変化しますので、実際にはそのあたりまで踏み込んで開発が出来るかどうかはわかりません。

オーケストラもやっているセッティング
 オーケストラはいつも同じ会場で演奏しているわけではない(本拠地や定期会場はありますが)です。
 オケの舞台上のセッティングはその曲の編成等で山台の組み方は変化します。
 時代によっても、指揮者の解釈や趣味でも配置は変更される場合もあります。
 配置にしてもそのオケの伝統であるとか、指揮者の要請で変化します。
 オーケストラもステージのどのあたりにセッティングするかで聴こえる音はかなり変化します。SPの位置決めと同様です。

 また、ピアノなんかはステージの板1枚分くらいの差で(ステージを支えている構造や床の形状にもよります)かなり音が変化するので、調律師の方を見ていると足の位置を動かしてその響き具合を見ていたりすることがあります。
オーディオと同じこと実はやっているのです。
 ソリストだって立ち位置で客席での音の通りも変わりますし、女性のソリストはロングスカートですから、ハイヒールより素足の方が良いなんて方もいらっしゃいます。現実には演奏会ではさすがに足元は見えますのでそうも行きませんが、レコーディングなんかですと靴を脱ぎ捨ててレコーディングに望まれる女流ソリストもいるくらいです。
 ステージの床はもっとも奏者に近い反響板であると以前コラムに書きましたが「本当に重要」です。
 管楽器や打楽器ですと、ステージの後ろや脇の反響板との位置関係で反射も利用していますので、かなり聴こえるバランスも変化します。
 オーディオではちゃんとSPやラックの足元をきっちりしないと、舞台ない状態で聴いているようなものになるのかもしれません。
 きっちり機器にもちゃんとステージ=床を用意してあげましょう。

 現実には、出来て数年なんていう新しいホールですとどんどん時間によって音が変化しますし、反響板の位置もそれに合わせて変化させて微調整をしていますので、どの位置がベストであるかは時間の経過で変化している場合もあります。
 昔の市民会館系のホールですと緞帳が入っているスリットが上にあり、特に1stVnの位置によっては、そのデッドスポットに音が吸われてしまって、ええ、ってくらい音が客席に飛ばない(客席でバランスが悪い)とか、音量調整が分かりにくいなんてこともあります。

 リハーサルでそれらバランスをチェックして、当然演奏に反映させます。
 特にソリストがいるコンチェルト等はオケとソリストのバランスをチェックしておかないといけません。まあ実際は演奏中でも適宜自分の耳でモニタリングはしてますから大体は問題は起こりませんが、ソリストの立ち位置によって驚く程、客席への音の通りが変わってしまう場合もあります。逆にオケ奏者や指揮者の聴こえ方も変化します。
 例えば、チェロ協奏曲は音域が中低域の為に結構、オケの音量や音にかぶりやすいので、オケはかなり音量調整に気をつかいます。
 最近はソロチェロ用の専用台なんかもありますがそれでも音はかなり変化します。
 何かオーディオのSP台やボードと同じような気がしませんか。
 空間で音を出すということはそういうことなんだろうと思います。
 何も違いはないのです、空間の容積や残響は大分異なりますが。

 オーディオ的な話では楽器に取り付ける、顎当や肩当、ペグやテールピースの素材で音が変化します。Vnでは一番上のE線には微調整用のアジャスターをテールピースに取り付けますが(古楽器は裸ガットを使うので取り付けません)その品質によっても音は変化します。(固有の弦楽器の名称等については過去のコラムを参照してください)

 楽器のセットアップではそんなところまでも使い分けながら自分の求める弾心地(これも奏者に取っては重要です)や音に近づけます、そして最終的には魂柱や駒の調整で仕上げ。
 逆の場合もありますが、特に付属部品の木の種類や材質によって音も弾心地も相当変化するので、それを決定してから調整するほうが現実的であると思います。

 発音時の反応、弓の入力に対しての楽器のテンション(反発力といいましょうか)、各ポジションでの音の反応や伸び、重音のブリリアントさ、各弦の移動に伴うつながりやバランス。各音程や調性での音や響きの変化の柔軟性。
 なにかオーディオのことを話しているように読めませんか。

 現実には奏者でもまったく楽器に頓着しない方いらっしゃいますし、神経質にマニアックに拘る方もいらっしゃる。
 SP時代から有名なVn奏者でエルマン(エルマントーン)という方がいらっしゃいましたが、彼は病的というくらい楽器の調子に神経質でなにかあるとすぐに楽器屋さんに行って調整していたそうです。
 どんな楽器でも(ちゃんと作られているものであれば)、そのメンテや調整無しに本当の意味でその楽器の能力を引き出すことは難しいと思います。していなくても名器はそれなりの音は出しますが、でも調整してある楽器はさらに上を行きます。
 それを感じない奏者であればそれはそれで満足されているので良いと思いますが、適切にメンテし調整をしてある楽器はもっと素晴らしい音を出せるのも事実です。
 楽器は気温や湿度でも天然素材ですから常に変化しています。
 湿度が高すぎれば楽器は鳴らなくなります。夏は鬼門です。
 調子も崩しがちになります。
 先日、ドルフィンと名のつくストラドの中でもトップクラスの楽器を使用している海外に在住している日本人の女流ヴァイオリニストは空調の入った部屋以外ではケースを開けません、なんて言ってました。
 それくらいデリケートな楽器でもあります。とはいえ300年近く経って現役でいられる楽器はある面想像以上に力学的にも無駄の少ない強固な構造物ではあるのですが。。。高度な工作技術と木材という修理可能な天然素材のなせることかもしれません。

 私はご存知のようにタンノイを使っているのですが、エンクロージャーもコーン紙も天然素材ですから特に湿度の影響は日々受けています。楽器と同様にまったく同じ状態がつづくことはありません。絶好調の時もあるし調子が悪い時もある。
 楽器と同じで、しばらく電源入れないで聴いていなかったときには調子良くなるまでに少し時間もかかります。
 聴き手である人間だってその日々の調子や気持ちでも聴こえる音は同じではないのですから、それで良いと思っています。
 もう一つ楽しみなのは、楽器と同じように、年月で音が変化(エージング、劣化とも言えなくはないですが)してゆくことも楽しみです。
 楽器も常に演奏されている楽器のほうが調子は良いように、ステレオも同じですよね。
 真空管でも石でも暖まるまで音が鳴りきらないことも、楽器と同じ。
 楽器は温まるというよりは、振動に慣れてくるという感じになりますが。

 古い楽器は特にいきなり強烈な入力をして弾くと長い間には寿命に影響しますし弾き終わった後には、もう一度5度の開放弦をほんの少し鳴らしてあげるほうが良いと言う人もいるくらいです。
 これまたヴィンテージオーディオ(私は所有してませんが)の取り扱いと同じではありませんか。

 調整はその専門家との共同作業で、これは以前にも書きましたが本当に真剣勝負。
 奏者の好みや弾き方で、その調整は微妙に変化します。
 その差は弾き手にとっては非常に重要です。
 弾きやすい(人によってそれぞれ好みがあります)ということは音も結果的には良い音につながるので、奏者にとってはとても重要です。

 良い楽器や名器を使うことも大切な部分ですが、とにかく定期的にきっちり調整してその状態を保った楽器で演奏することはもっと大切です。
 弦だって古いまま使っていたら発音は悪くなるし、倍音も適切に出にくくなる、ツボが変化して重音が弾きにくくなったり、もっと最低なのは、同じ指で2本の弦を押さえても弦の劣化でツボが狂い、5度がはまらないなんて状態だと美しい響きを瞬間に出すことは難しくなります。
 現実には、ずれていた場合は耳でその音を捉えた瞬間に指を微調整してしまいますが本来の姿ではありません。ヴィブラートで分からないようにごまかしながら音程調整をされたら殆どのお客様には気づかれません。実際には結構必要な技術だったりして。。。
 余計なことを書いてしまいました。

 でもそれを気づくのは結局は奏者次第で奏者の耳や頭の音程や響きのイメージなのですから、テクニックはその頭や耳の指示において変化させているだけのことです。当然その出す瞬間の音もモニターしながら演奏しています。

まとめ
 大変、長々とした拙文を最後までお読みいただいて有難うございました。
 いつものことながら、書いている時期がばらばらで起承転結したような章立てになっていないものですから、内容が重複している場合もあったかと思いますがご容赦くださいませ。

 本、第9回のコラムで皆様にお伝えしたかったことは、そのオーディオの使いこなしの大切さもありますが、それ以上に全てはシステムを使用している人間の頭のイメージを持ってそれを基準とし、軸をきっちりと、そして音を変化させるならその目的を明確にして音楽が楽しめるシステムにして頂きたいと言うことです。
 自分で気に入って購入した機器やシステムであれば必ず素晴らしい再生をしてくれると信じて使いこなして行くことが、結果的にはその後のアクセサリーの追加、はたまた球の変更等による、音の変化も楽しむことが出来ると思っています。
 私はオーディオ的な音の変化を楽しむのも嫌いではありませんし、その時には検事の耳モードで集中してセッティングやチューニングをやったりしています。夜中にやることが多いものですから家人からは顰蹙をかったりもしたりしています。
 目的はその検事の耳で整合性を取ったシステムの音で、今度は弁護士の耳で聞いたり、受動的に聴いたり、また能動的に聴いたりして、その検事の耳としての結果がどうだったのか、一晩寝て朝確認したりします。その時の音が決まっていた時には本当に幸せな気持ちと純粋に音楽だけを楽しむことが出来ます。逆だった場合は、、ご想像にお任せします。。。
 演奏側にいるから、オーディオに対してもより分かっているということはありません。
 今回は少し、セッティングにからめ音楽の要素や情報も具体的に加え、音楽的な視点でのセッティングや音楽の楽しみ方のご提案も含め、出来るだけ分かりやすく、ほんの少しですが書かせて頂いてみました。なかなか文章にするのは難しいのですが、むりやり抽出して文章にしてみました。
 私のこのコラムはあくまで、皆様に私が感じた音楽とオーディオの交差点をお伝えするだけのことであって、拙文から皆様がどのように感じられるかは分かりませんが、なんらかのご参考になったり、音楽の楽しみやオーディオで音楽を聴く楽しみの一助となれば幸いです。
 しつこく一言、迷ったら「演奏会」へ行ってみてください!
 そして良い音楽や演奏を音源を通して沢山お聴きになって、音楽や人生を楽しんで頂ければと存じます。
 絶対はありません。すべては一人一人の中に理想の音や音楽はあるのですから。

つづく。
オーディオと音楽の交差点 第9回
四弦亭酔響
2004/10/15
  (無断転用転載禁止)
キット屋倶楽部に戻る