モーツアルト     ベートーヴェン
 
 

2011年11月6日(日)  「第九」鑑賞のご案内

 
 以下の文章は、2004年の暮れに歌った「第九」の演奏会のプログラム冊子に、私が解説(というよりエッセイ?)を寄せたものです。会員が毎年順番に書きます。たまたまこの年に私の番が回ってきました。書きたいことがたくさんあって所定の字数に収めるのに苦労した記憶があります。今読むと妙に肩に力が入っていてギクシャクしていますが、「第九」に対する気持ちは今も同じなので、そのまま転載いたします。

 

 ベートーヴェンはなぜ第九交響曲の最後の楽章に声楽を加えたのでしょうか? それは、彼が4つの楽章からなる交響曲というものの最終楽章の役割をどう考えていたのか、ということと同義です。先立つ3つの楽章を統合し、さらに一段高いところに昇華させるために、どうしてもオーケストラだけでは足りず、人間の"声"が必要不可欠だ、と考えたのです。
 もちろんベートーヴェンは、先立つ3つの楽章にも、持てる力のすべてを注ぎこんでいます。例えば第1楽章の何かただならぬものが全貌を現し始めるかのような冒頭部分、あるいは属調(5度)や関係長調(短3度)を意識的に避けることから生まれる音楽の微妙な光と影の多彩さ。第2楽章での破天荒かつ鮮烈なティンパニの痛打。第3楽章の瞑想と安息の深さと、それを現実に引き戻すかのような斉奏の2回め、低弦が長3度降りて築く3和音の美しさなど、その素晴らしさは枚挙にいとまがありません。
 そして最終楽章。オーケストラは、これら先立つ3つの楽章のテーマを再度演奏します。しかしながら、そのたびに低弦が「このような調べではなく、もっと喜びに満ちた調べを」と否定します。その後やっと、誰もが知っているあの"歓喜の歌"のメロディが、はるか彼方から微かな希望と喜びの光がほの見えるかのように、小さな小さな音で現れます。それはやがて確信となって大きく盛りあがり、声楽とともに祝祭的な人間賛歌を高らかに歌い上げるようになります。この"歓喜の歌"のメロディこそ、ベートーヴェンの最終結論なのです。
 しかしこの"歓喜の歌"のメロディ、何と単純なメロディなのでしょう。上行し下降するというごく常識的な音形。1オクダーヴもない狭い音域。誰でも一度で歌えるようになる、それでいて一度聞いたら忘れられないメロディ。これこそベートーヴェンが生涯最後の交響曲の最終楽章のテーマとして選んだものです。つまり「これは誰でも歌うことのできる歌だ。さあすべての人々よ、この人間賛歌の輪に加わりなさい! 」とベートーヴェンは言っているのです。
 従って、第二次世界大戦後、閉ざされていたバイロイト音楽祭が再開され、国と民族のアイデンティティーに光が灯ったとき、あるいは東西ベルリンの壁が崩れ、長くイデオロギーによって分断されていた民族や家族が解放されたときなど、人々が心の底から、生きる喜びや人間に対する肯定の気持ちを感じられるようなとき、決まってこの曲が演奏されるのも当然のことと思います。そしてそのことは、人間にとって音楽の存在意義とは何なのか、ということの回答でもあるのです。
 ベートーヴェンの時代よりはるかに豊かになった現在ですが、悲しみやつらさから逃れることはできません。むしろ物質的に豊かになり、技術が進んだ現代だからこそ、持たざるを得ない苦しみや不安もあることでしょう。皆様が本日の第九交響曲を通じて、生きる力、未来への希望を少しでも感じていただけることを願っております。

 

 今年の本番は12月25日です。大震災で被災された方々のことを思いつつ、歌いたいと思っています。

 

2011年11月12日(土) 「響きの削り過ぎ」のその後〜〜混迷編〜〜

 
 先月書いた「響きの削り過ぎ」のオハナシの顛末です。まず簡単に事の起こりから振り返ります。
 10月14日にお邪魔した大橋さんのご自宅のオートグラフの音が、中低域に響きがたっぷり付加されているのに驚き、逆に自分の音はあまりに響きをそぎ落とし過ぎなのではないかと思い始めました。ヴァイオリン特に弦楽四重奏でその傾向があることを発見し、どういう手を打とうか思案している、というオハナシでした。

 仕事中にいいアイデアを思いつきました! というところまで書いたと思うのですが、実際にそのアイデアを試す前に、弦楽四重奏のCDを片っ端からかけてみました。ハード(オーディオ)側の問題なのか、ソフト(CD)側の問題なのかを切り分けたかったからです。
 結果、響きの量が適正と思うCDもあれば(ハイドン、モーツアルト、ヤナーチェクなど)、やや少ないものもあり(ブラームス、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ドヴォルザーク)、少なくて細身になり過ぎ、音もきつく感じられたもの(ベートーヴェン、シューベルト、ドビュッシー&ラヴェル)もありました。このうちベートーヴェンとシューベルトはタカーチュSQのもの。これらのCDがレーベルは異なるのに、レコーディングエンジニアが同一人物であることを発見し、「これが原因か!」と思った瞬間もあったのですが・・・結局弦楽四重奏のCD全体の傾向としてやや響きが少なめで、ソフトの問題ではなくハードの問題であると判断しました。

 そこで、前述の「仕事中に思いついた手」を試してみました。試したのはふたつ。ひとつはSV−192Sの可変ボリュームを使って簡易プリ仕様(?)で鳴らしていたのを止めて、単純にVP3000をプリメインとして使ってみました。もうひとつの手は、フローリングの床と木製SPスタンドの間に敷いていたコーリアンボード(厚さ1.1mm)を取り除いてみるというものでした。
 最初は前者のみ実施・・300Bプッシュプルの"とうとうと流れる大河のような"厚みのある響きとは遠くかけ離れた、か細く神経質な音しかしませんでした。即却下。
 続いて簡易プリ仕様に戻した上で、コーリアンボードを取り去りました。確かに微妙に響きは増えますがまだ不十分。もっとふっくらした感じがほしいところです。この手はkennoy-mini様からもサジェスチョンをいただいていたので、とても期待していたのですが、どうもうまくいきませんでした。
 この時点で、どうしたものか打つ手が思いつかず、袋小路に入ってしまった気がしておりました。

 そんな折、モーツァルトのレクイエムの本番があり、前日と当日オーケストラの音を近くでじっくり聴く機会がありました。「うちの再生音は確かに弦楽器が細身だな」と感じると同時に、良いと思っていた木管楽器(クラリネットとファゴット)もやや細身だとわかりました。要するに特定の楽器だけでなく、全体的に響きの付加が不足しているのだと、やっとわかったのでした、オソマツナガラ。

 

2011年11月19日(土) 「響きの削り過ぎ」のその後〜〜解決編〜〜

 
 オーディオの音が思ったような納得できる音でならないと、ワタシの場合機嫌が悪くなるようです(苦笑)。楽しくない数日を過ごした後、「VP3000を単独で使用したとき、なぜあのようなか細い神経質な音がしたのだろう? 本来太めの響きが特徴のアンプのはずなのに」との疑問が湧きました。色々考え、原因を@RCAケーブル、A前述のコーリアンボード、の2つのうちどちらかと考えてみました。(電源ケーブルの極性も疑ったのですが、こちらはきちんと合わせてあるはずなので、削除しました。)

 仕事帰りに近所の家電量販店で1m1000円ほどのRCAケーブルを買い、さっそく取り替えてみましたが、変化なし。それならば次は「音を吸う」コーリアンボードをもう一度取り去り、「コーリアンなし&簡易プリなし」のシンプル仕様でどうかと思いやってみたところ・・・今まで聴いたこともないような素晴らしい再生音がするではありませんか!! 弦楽四重奏だけでなく色々な編成の曲をかけてみました。弦も木管も適切なボディ感を伴っています。オーケストラもまるで眼前に展開しているようなスケール感です。一方で、声楽曲では細やかなニュアンスやほんの些細な技術的キズもきちんと聴こえており、響きの足しすぎでないことも確認できました。
 またこれまでより多くのCDが良い録音と感じられ、いわゆるストライクゾーンが広がりました。それからこれまでは音像にウエイトのかかった再生音でしたが、音像と音場のバランスがとれるようになったとも感じています。そしてなにより自然で、演奏者の感興がストレートに伝わってきます!
 数日聴き込みましたが、やはりこれまでで最高の音が出ていると感じています。聴くたびに音に惚れています、ホントに(笑)。VP3000ってこんなにいいアンプだったのか! ハーベスってこんなにいいスピーカーだったのか!

 というわけで、うまく好みの修正ができたかなと喜んでいます。ご心配いただきました皆様、おかげさまで変なところに入り込まずに無事修正できたと思います。ありがとうございました。これから数ヶ月この状態で聴き込もうと思っています。

 

2011年11月27日(日)  三つの弦楽四重奏団と2人の若手ヴァイオリニスト

 
 今月は特に聴きものの演奏会が多く、絞ったつもりなのですが5枚もチケットを買っていました。弦楽四重奏が3団体、若手ヴァイオリニストが2人です。

 まず11月5日(土)は、フランスの若手随一の弦楽四重奏団、エベーヌSQの演奏会(名古屋・栄・宗次ホール)。会場ではsoundbox様ともお会いできる予定でしたが、当日になって私に生憎の急用ができ、やむなく断念。エベーヌSQの代表盤はこの日記でもご紹介したドビュッシー&ラヴェル盤最新作のモーツァルトもドイツ・シャルプラッテン・クリティークの賞を受賞するなどヨーロッパ各国で高評価。再度の来日を待っています。
 続いて11月12日(土)は、「現在最もエキサイティングなSQ」(イギリス・グラモフォン誌)、チェコのパヴェル・ハースSQ(伏見・しらかわホール)。曲目はハース1番、ドヴォルザーク「アメリカ」、シューベルト「死と乙女」。アンコールはベートーヴェンの13番からカヴァティーナ。演奏は感服!! CDでは女性第一ヴァイオリン奏者の素晴らしさが目立つのですが、実演を見ていると、この団を仕切っているのはチェリストですね。凄い音楽性の持ち主! 代表盤は3作目のプロコフィエフ(←録音よし)と4作目(最新作)のドヴォルザーク。どちらもこの日記でご紹介済み。後者はグラモフォン誌の2011年ディスク・オヴ・ザ・イヤーに輝いたばかり。
 その2日後の14日(月)は、宗次ホールでカルミナSQ。曲目はハイドンの「ラルゴ」、ドビュッシーそしてドヴォルザークの「アメリカ」。ベテランSQの安定した演奏で、大好きな3曲を楽しみました。アンコールはハイドンの「騎士」の4楽章とラヴェルの2楽章でした。

 11月21日(月)は、ロシア出身でイギリスでめきめき頭角を現している女性ヴァイオリニスト、イブラギモヴァのソロ・リサイタル(宗次ホール)。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ全3曲という充実のプログラム。現代ヴァイオリンを使いながら、音楽づくりは古楽の文法で・・というのが彼女の流儀のようです。完全ノン・ヴィブラートでの切れ味鋭く集中力のある演奏でした。またひとり凄い若手女性ヴァイオリニストが出現した、といったところでしょうか。彼女の弾くバッハの無伴奏Vnのためのソナタとパルティータ全曲はすでにCDも出ていて、イギリスではとても高い評価を受けています。会場ではいつものオフ会のメンバー・タケさんとお会いし、楽しいおしゃべりの時間も持てました。
 最後は今日(27日)、日本期待の若手実力派・佐藤俊介のヴァイオリン・リサイタルを、地元岡崎市のコロネットホールで。シューマン1番&グリーグ3番がメインというワタシ好みのプログラム。家から車で5分のところにある、永田音響設計事務所の手になる、定員425名のとても響きのよいホールで、2007年パリ製シュテファン・フォン・ベアというニック・ネームのついた現代楽器での演奏を楽しんできたところ。伴奏は今西泰彦。彼の代表CDは、パガニーニのカプリースあたりでしょうか?

 というわけで、1つはパスしてしまいましたが、残り4つの演奏会を楽しんだ充実の11月でした。
 来月(12月)のこの日記は、スペシャル・バージョンの予定です。






 
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