Appendix F高
現在の雑記帳
「ウイリアム・テル」「ギョーム・テル」を観聴きして


モノローグ(298) Jan. 18.2019
ギョーム・テル     ジェラルド・フィンリー
マティルデ       マリン・ビストレム
アーノルド・メルクール ジョン・オズボーン
ジェミ         ソフィア・フォミア
ジェスレル       ニコラ・クルジャル

指揮者アントニオ・パンパーノ指揮、コヴェントガーデン管 2015年録画
演出ダミアーノ・ミキエレット

ギョーム・テル  ジェラルド・フィンリー
マティルデ    マリン・ビストレム
アーノルド・メルクール ジョン・オズボーン
ジェミ      ソフィア・フォミア
ジェスレル    ニコラ・クルジャル

指揮者アントニオ・パンパーノ指揮、
コヴェントガーデン管 2015年録画
演出ダミアーノ・ミキエレット

これは色々な演出も出来るだろうと思いますが、この「ウイリアム・テル」を見る限りは余り余地が広くはないようです。全体を一言で言えば戦争ものオペラであり、余り工夫のしようがない。日頃日本のテレビを見て感じるのは、どうして皆ああいう戦記ものを見たがるのか、という点です。大人気の関ヶ原もの、仇討ちに係る江戸騒動もの、そして幕末物の三つがありますね。ああ、またやっているよ、と言う所ですが、実際多いのです。この件は昔この欄に記した事がありますが、本当に呆れるくらい多いのです。しかし実際それを除くと営業が成り立たないのです。これは大方の日本人のDNAに深く刻み込まれたのかも知れません。

私だったら、もっと古い時代を取り上げ、例えば藤原兄弟(道隆、道兼、道長の三兄弟)の争い、藤原定子と藤原影子の件など、じつに興味深いと思うのですが、なお関ヶ原や江戸の騒ぎの方が人気が高い。私自身はその古代物が出来るまで、余り見る気がしません。洋物でも、お決まりの古い武談があります。たとえば英国のヘンリー6世の妃達、フランスのメディチ家の姫君の出てくる中世フランスの宮廷のことなど、世界中で見つかっています。そしてコレ。

この曲は昨年末に入手したものですが、実際には一昨年から追い求めていたもの。昨年末にこの広告を見て、すかさず買い求めました。何せ、オペラの記録は回転が速いので、あっと言う間に消えてしまうから急いだのです。この話は、13世紀ドイツの「ウイリアム・テル」の伝説をオペラ化したもので、部分的には大層有名ですが、そのオペラ版は昨年末まで入手できなかったのです。オマケに私が最初に伝票を切った時は、まだ入手できません、と戻されて来たのです。そもそもこの脚本は、フランス語で書かれていて、イタリア語ではなかったのです。それは脚本家の意図に沿ったものでしたが、実際に聴いて見ると、この曲では言葉は余り問題では無かったのです。昔シェリル・スチューダーを主役としたオペラ版LDがでていましたし、CD版の「ウイリアム・テル」もフレー二等で発売されていましたが、当時はまだ「ウイリアム・テル」まで手をのばすとは予想できず、看過しました。従って数年間は「ウイリアム・テル」は不在でした。ようやく新録音というコヴェントガーデンのチラシを見て、これを注文。指揮者以外は誰が誰だか不明な人々が歌っていました。フランス語も心配する様なものではありませんでした。全く問題なし。語は重要ではありますが、私のオロオロ・レベルではどうということ無し。

テルを受け持つジェラルド・フィンリーのバリトンも、何か歌っている、と判別できます。その子のジェミはずっと後の方で、ようやく分かる程度でした。アーノルド・メルクールの長大なバリトンはジョン・オズボーンが引き受けます。女声では、ハプスブルク家の皇女マティルデをマリン・ビストレムが引き受けています。エドヴィージェ役は、引きつった男の声でした。

土地を支配するジェスレルは、そこらアチコチで悪事を行っています。悪党達の館でも悪さが繰り返される。そしてハプスブルクの黒幕ジェスレルは迫害の一方法として、子供(ジェミ)の頭上にリンゴを置き、それを射抜くことができるなら助けてやろう、と言います。うろたえるジェミの父親テル。それを問題なく射抜き、それならと解放されようになりますが、ジェスレルは弓矢の中にもう一本の弓矢があることを見つけ、これは何だ、と詰問します。そこにマティルデが飛び込み、子供だけは解放されます。テルの方は逮捕され、船で嵐の湖を渡りますが、岩に飛び移ってしまい、ジェスレルを弓で射抜いてしまう。このジェスレル(ゲスラー)というのは子供時代に親しんだ悪代官の名前でした。この騒動にはハプスブルクのマティルデも民衆側に加わります。かくしてテルの周辺にある土地は解放されました。

最後に壮大な合唱があります。この気配は曲の半ばにあちこち散在していますが、最後の所に置かれたこれは壮大なもの。どこかヴェルディの「アイーダ」の一節を思わせます。そして最初に出てくる「ウイリアム・テル」序曲の華々しさは、後が続きません。この管弦楽曲の旋律は多くの場所で繰り返した方が印象的になると思います。合唱曲が余りに立派だったので、ツイそういうグチをこぼしてしまいます。全曲を聴くのに5時間も掛かるため,時間を縮める工夫が欲しいところ。おなじ5時間でも、もっと別の曲だったらあるだろうと思いますが。

これは最後のロッシーニ・オペラですが、まずまずと言うのがやっと。ロッシーニは結局「アルジェのイタリア女」、「セヴィリアの理髪師」、「シンデレラ」の3つの曲で、行くべき所に行ったと言うべきでしょうか。そのスタイルの限りで、ロッシーニは天才でした。




 

千葉のF高

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