ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
ぼくの農ライフ研修の実践畑(2009.5.15)

 3月中旬から農ライフ研修の2年目に入り、各自10m×20mの広さの畑を担当しての実践研修が始まりました。その計画については4月6日の雑記帳で紹介しましたが、今日現在どのような状況になっているかについて、写真で紹介します。



 上段の写真は4月3日に撮ったもので、手前に下仁田ネギが2列植わっているだけで、あとは土を耕しただけです。
 中段の写真は5月9日に撮ったもので、畑も随分とにぎやかになっています。ネギも1ヶ月で随分と大きくなりました。その上の黒いマルチがかかっているところに植わっているのはゴールドラッシュというスイートコーンです。その次の列がジャガイモです。品種は男爵です。その次の白い四角い行灯の中には筑陽という品種のナスが植えてあります。その次の雨よけビニールハウスの中にはトマトが2列植えてあります。1列は桃太郎、もう1列はサターンという品種です。どちらも大玉トマトです。そしてその向こうにはサトイモが植えてあります。
 そんな中でぼくが今もっとも力を入れているのがトマトです。写真で分かるように、何とか1段目のトマトの実が付きました。昨年は元肥が不適切で木がメタボになってしまいましたが、今年は元肥を見直して順調に育っています。但し水分のコントロールに問題が残っているので、梅雨時を乗り切り、甘いトマトを作るには圃場の改善が必要です。それ以外に見えている問題点は、実が熟してきた時にオオタバコガの幼虫対策です。この幼虫は果実の中にもぐって食い荒らすので大変厄介です。それからカラスもトマトを狙うので要注意です。これらは防虫ネットを使う必要があるかなと思っています。今年はトマトの果実を4段まで採りたいと思っているので、カルシウム不足による尻腐れ病対策も必要です。それ以外にも追肥のタイミング、病害虫の診断と防除、雑草取りなど実践研修で習得が必要なことはいくらでもあります。
 ある人に、野菜は植えてしまえば、後は収穫を待つだけだろうと言われました。でも現実は大きく違います。まず栄養補給として追肥が必要です。ジャガイモは背丈が15~20cmに伸びた頃に1回目の追肥と土寄せを行います。スイートコーンは葉が5枚くらい出た頃に、ネギは植え付け1ヶ月をめどにします。厄介なのは病害虫の予防と駆除です。ネギではもうアザミウマが葉を傷つけています。ジャガイモ、ナス、トマトにはアブラムシが付いています。長雨が続けば、ジャガイモ、トマトの疫病予防を考えます。トマトには1段目に花が2から3個咲いたタイミングでトマトトーンという成長ホルモンが必要です。これらのことをタイミングよく行うには毎日の観察が欠かせません。これから暑くなると雑草との戦いも始まります。サトイモには水遣りが欠かせません。雨が降っても、風が吹いても対応が必要です。
 見ていると、程々にしたらと思いますが、やっていると、夢中になります。


クレオパトラの夢(2009.5.16)

 バド・パウエルの作曲した曲に「CLEOPATRA'S DREAM」という、日本ではとてもよく知られている演奏があります。The Amazing Bud PowellというブルーノートのアルバムのVol.5に収録されています。極端に言えばこの曲、1曲のためにVol.5は日本では人気盤になっていると思います。
 題名の意味は、クレオパトラの見た夢、とでも言うことでしょうか。でもバド・パウエルが、クレオパトラがどんな夢を見ていたのか、想像して作曲をしたとは思えないのですが、どんなもんでしょうか。それとも身近にクレオパトラという名の女性がいたのでしょうか。これについては記録が残っていないので詮索のしようが無いと思いますが、御存知の方がいるのでしょうか。
 では余分なことではあるが、我々が、クレオパトラがどんな夢を見たのか、想像することはできるのでしょうか。まったく私的なことまでは、分かりようもありませんが、歴史を読んで想像すると、クレオパトラはカエサルの子、カエサリオンを生みました。彼女はこの子をローマ(カエサル)に認めさせてエジプトの王にするという夢を持っていました。しかしカエサルはこれを認知しませんでした。カエサルの死後オクタヴィアヌスによってエジプトは滅亡を迎えるのであるが、カエサリオンもオクタヴィアヌスによって殺されてしまいます。クレオパトラの他の子供は殺されなかったのに。カエサルの後継者は二人も要らないということでしょうか。カエサルが子供を認知しなかったのは、このことを恐れての親心ではないかと推測する人もいます。すべての夢が破れたクレオパトラは、毒蛇に自分を咬ませて自殺してしまいます。
 バド・パウエルの演奏するクレオパトラの夢を聞いていると、切ないというか、物悲しいというか、哀愁を感じます。そういった曲調は、クレオパトラの、悲劇的な夢物語に良く合うと思います。やはりバド・パウエルもクレオパトラの悲劇に共感したのでしょうか。
 それでは、このクレオパトラの夢が聞けるアルバムを、思いつくままに紹介します。最初はオリジナルのバド・パウエルからです。The Amazing Bud Powell Vol.5これは代表的なブルーノートのヴァンゲルダー・サウンドを楽しむことも出来ます。しかし5枚のブルーノート盤の中では、最盛期を過ぎたパウエルの演奏です。

 以下順番に、クロード・ウイリアムソン、エリック・リード、ケニー・ドリュー、デヴィッド・ヘイゼルタイン、山本剛の順です。こうしてみるとこの曲をタイトルにしたアルバムはほとんど日本の企画によるものが多いです。この中では、クロード・ウイリアムソンがフレーズの作り方などバド・パウエルの雰囲気に近いと思います。


バードランドの夜(2009.5.17)

 2009年3月の雑記帳に、不滅のジャズライブについて書いたが、何か抜けているような気がしていた。そう、ニューヨークにある名門ジャズクラブ、バードランドが入っていないのである。バードランドという名はチャーリー・パーカーのあだ名バードに由来するもので、ここの名物司会者ピーウィー・マーケットの甲高い声もお馴染みであり、ジョージ・シアリングが作曲した「ララバイ・オブ・バードランド」で有名になった。この曲には名唱が多くジョージ・シアリングとの共演ではメル・トーメ、クリフォード・ブラウンとの共演ではサラ・ボーン、ぼくの好きなクリス・コナーなどが代表であろうか。ぼくはジョージ・シアリングのアルバムはほとんど持っていないが、カナダのバンクーバーに旅行した折に、立ち寄ったレコード店のバックグラウンド・ミュージックに彼の演奏するバードランドの子守唄がかかっており、思わずそのCDを買ってしまった。(The Best Of George Shearing Vol.2)


 話がずいぶんと横道にそれてしまったが、バードランドのライブ盤として有名なのはジョン・コルトレーンであるが、ぼくの思い出深いのはアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズの「バードランドの夜」第1集、第2集、第3集というアルバムである。
 上のジャケットはキングより発売された国内盤のデザインで、下の絵は東芝より発売された国内ジャケットのデザインで、いずれもVol1、2、3集は色違いである。ぼくの持っているのはVol1と2がキング盤、Vol3が東芝盤である。したがってデザインが不ぞろいである。
 ぼくがブルーノートのジャズのLPを買うようになったのは、1970年代の後半に、国内の版権がキングに移り、キングが張り切って、オリジナルジャケット、オリジナルレーベルの完全復刻、ヴァンゲルダーのオリジナルサウンドを再現、を売りにして、1800円の限定盤を発売した時からである。そして最初に買ったのが「バードランドの夜」第1集と第2集である。これはブルーノートが本格的にライブ録音をヴァンゲルダーに依頼して製作した記念すべきアルバムである。ライブにもかかわらず、世に言うブルーノートのヴァンゲルダー・サウンドを楽しむことが出来る。演奏も、ルー・ドナルドソン、クリフォード・ブラウンといったフロントラインも素晴らしく、バードランドでのライブ感覚を味わうことが出来る。
 このLPを聞くときは、1曲聞いて辞めてしまうのは大変もったいない。例えば第1集では、針を落とすと最初にピーウィー・マーケットの司会で、今日はライブ録音がされるよ、といってメンバーの紹介があり、1曲目のスプリット・キックの演奏が始まる。ここでのルー・ドナルドソン、クリフォード・ブラウンのホットな演奏酔いしれる。次に2曲目のワンス・イン・ア・ホワイルでは一変してクリフォード・ブラウンのブリリアントはバラードプレイが始まり、3曲目のクイックシルヴァーでは超アップテンポの演奏になる。気が付くと、あっという間に20分間が過ぎ、もう一度聞きたくなってくるのである。この演奏を聴いて感動しないようでは、ジャズを聞いても仕方がない、というような演奏である。
 ぼくも、もう一度「バードランドの夜」を楽しもう。


エラ・フィッツジェラルドとアニタ・オディ(2009.5.18)

 ぼくがジャズを聞きだしたのは、中学生の時のアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズの名古屋公演を聞いたときからである。場所は中電ホールだったと記憶している。ぼくの家の近所にK藤さんという、当時ぼくが兄のように慕っていた人が誘ってくれたからである。この人とのつながりで、エラ・フィッツジェラルドとアニタ・オディのヴォーカルも聞くようになったのである。




 エラとの出会いは、K藤さんの家に行ったときに、おい、鳥肌の立つような素晴らしいヴォーカルを聞かせてやろうといって、Ella in Berlinというアルバムを取り出して聞かせてくれた。1面のサマータイムを聞いて上手いなーと思ったが、2面のマック・ザ・ナイフそしてハウ・ハイ・ザ・ムーンを聞いてあっけに取られてしまった。即興の歌といい、スキャットといい、ぼくが今まで聞いたことのないような、圧倒的な迫力と楽しさである。こんなライブ・コンサートにいけたらどんなに良いのだろうと思った。
 そして「オペラハウスのエラ」というライブ・アルバムもさっそく買って聞いたのだ。しかしこういうアルバムはこちらの体調が良くないと、少々聞いていて疲れる。アップテンポでスキャットを交えて歌うエラも良いが、しっとりとバラードを歌うエラの方が良いと思うようになった。そしてめぐり合ったのが「エラ・アンド・ルイ」というアルバムである。この二人にバックをオスカー・ピーターソン・トリオという素晴らしいアルバムで、ここでのヴァーモントの月とかニアネス・オブ・ユーなどというヴォーカルを愛聴している。Ella in Berlinは人にヴォーカルの楽しさを紹介する時意外は聞くこともなくなった。
 アニタ・オディとの出会いは、もう少し印象的であった。高校生の時にK藤さんに連れられて名古屋に行ったときに、彼が時々顔を出していたジャズ喫茶に立ち寄った。カウンター席だけの細長く狭い店であった。小型のスピーカーが両サイドに置かれていて、音が間じかに飛び込んでくるような気がした。その時にマスターがかけてくれたのが、アニタ・オディとスリー・サウンズというアルバムである。1曲目のホエン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤングという曲をアニタがしっとりと歌いだすと、ぼくは完全に歌に吸い寄せられてしまった。スリー・サウンズのファンキーな演奏とアニタのしっとりとした歌が交互に入っており、とてもお洒落なアルバムに思えた。これがぼくのアニタとの出会いである。アニタの歌はすべて好きであるが、中でもジス・イズ・アニタに入っているバークレイ・スクエアのナイチンゲールは特別である。しっとりと哀感を込めて歌うアニタがたまらなく良い。
 ジャズを教えてもらったK藤さんに、今は豊田市農ライフ創生センターを紹介してもらい、野菜作りを楽しんでいる。


トマト美人(2009.5.20)

 平針街道を豊田から岡崎方面に車で行くと、豊田市のはずれに「豊南」という焼肉屋がある。そこで焼肉を食べるときにサラダを注文するが、そのサラダの名前がトマト美人というのである。トマトを薄切りにして、その上に玉ねぎの薄切りを載せ、さらにカツブシをかけて、ドレッシングを振りかけてあるという、シンプルなものであるが、これがさっぱりとしていて大変美味しいのである。自分で野菜を作っているので、何も買ってまで食べなくてもと思うのであるが、トマト美人はついつい注文してしまう。
 今は我が家にも早生品種の玉ねぎがあるので、トマトを買ってきて、ほとんど毎日トマト美人を食べている。ただオリジナルと違うのは、トマトが少なくて玉ねぎの量が多いのである。中球のトマト1個に大球の玉ねぎ2個という割合である。そう、ぼくは玉ねぎが好きなのである。以前はオニオンスライスとして食べていたのだが、今はトマト美人として玉ねぎを食べているのである。カツブシ以外にゴマのすりつぶしたのをかけ、そこに三杯酢にしょうゆを垂らしたのを振りかけて食べている。おかげで玉ねぎの消費量が増えてしまった。
 今年は、研修の成果もあって、玉ねぎの生育が順調である。早生はもう収穫して消費しているが、中晩生と晩生のものはこれからである。玉ねぎの特徴を整理すると、

品種 保存性 銘柄例
早生 とても良い 出来ない アップ2号
中晩生 良い 出来る 天寿
晩生 普通 長い もみじ

 玉ねぎが旬の季節以外に出回っているのは、ほとんどが"もみじ"である。玉ねぎの好きな人は、今が旬の美味しい早生品種のサラダをお勧めします。
 一方トマトは、今では年中出回っているが、露地栽培のものは6月頃から取れると思います。今年は、ぼくも桃太郎とサターンを植えました。今ではトマトといえば桃太郎と言うくらい一般的ですが、昔は少し青臭くて酸味が強い、しかし完熟すると大変甘くなる「サターン」が一般的でした。しかしこの品種は桃太郎と較べると、熟し具合で味の変化が大きいので、今では市場にはあまり出回りません。でも苗は今でも売られているので、自分で作ることにしました。
 トマトは苗を植えつける最初がとても大切です。このスタート時に上手く行かないと、後々色々な障害が出ます。難しく言うと、生理成長と生殖成長のバランスを取るということです。昨年ぼくが失敗したのは、元肥の肥料が多すぎて、生理成長に偏ってしまったことです。今年もそういう傾向がありますが、今のところ大事には至っていないと思って様子を見ています。特に桃太郎はサターンに較べて木の生長が早く、肥料に敏感な感じがしています。
 トマトの原産地はアンデス高原の乾燥地帯であり、これとはまったく気候の異なった日本で栽培するというのは、難しく、だからやりがいがあると言えるのかもしれません。
 あれこれと心配していますが、6月になって赤く熟したトマトを収穫し、トマトの多いトマト美人が食卓に並ぶのを楽しみにしています。
 トマト美人というのは、トマトを食べると、トマトに含まれているリコピンの力で美白、美肌になる、美人になる、というところから来ていて、人のニックネームに使われたり、トマトを使った食品名に使われたりしているようです。トマト美人というサラダの名称はローカルなものです。(以上蛇足でした)




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