ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
10月1日 似て非なるJBLとALTEC(店主日記:2005/08/24)

 ところで夕方「4344MkIIのSさん」改め「6041のSさん」が遊びに来て下さいました。
先日6041を納入させて頂いてからJBLとALTECの出音の違いを満喫されているとのこと。
確かに4344と6041では見てくれは似てますが表現は全く違います。意外とALTECは粗いんじゃないか・・・そう思っている方がおられるかと思うんですが6041は正反対。こんなに繊細でエアーが出るシステムがそうはありません。おまけに今様の音場型SPシステムのように音が死んでいない。604デュプレックスというユニットはALTECを代表する同軸2ウェイ(現行は604-8Lです、ご存知ですね)は定位もしっかりしているし感度も初動感度(能率ではありません)が極めて高い本当に優れたユニットなのです。今まで4344を比較的大音量で鳴らしてきたSさんでありますが、6041では小音量でフワッと鳴らすと良いとのこと。まさにその通りで大体においてJBLのシステムは高域が遠鳴りするのである程度音を上げていかないと帯域間のスピードが揃わないのに対し、ALTECは小出力アンプで鳴らす方が向いています。
シングルアンプの独壇場でしょう。そもそもユニットの耐入力自体ALTECが数十Wであるのに対してJBLは数百W。文化が違うんですね、基本的に。TANNOYも小出力タイプです。
現行プレスティッジシリーズを大音量でガンガン鳴らしても崩れた音像が現れるだけで音楽は聴こえてきません(Kingdomだけは少々傾向が違いますが)。要はスピーカーには全て適正音量があるのです。この辺りの使いこなしのコツみたいな事も追々一緒に勉強してきましょう。


名古屋のおじさん (10月2日)

 今日の午後2時過ぎに、知立のグット・ベイトに顔を出したら、名古屋のおじさんが見えていて、中古のレコードを眺めていた。そして1枚のレコードを持ち出してマスターに話し出した。SERGE CHALOFFのBOSTON BLOW-UPというこのレコード、これは国内版だけどオリジナル盤と同じくらい良い音がするよ。これは東芝が音楽工業を設立する前の東芝電気の時に製作したもので、当時はJAZZなんか千枚くらいしか売れなかったので、アメリカのCAPITOLからスタンパーを輸入して製作したので、アメリカのオリジナル盤とほとんど同じ良い音がするんだ。ほらこの盤面を見てみろよ。家の形のマークが刻印されているだろ。これがCAPITOLの刻印マークなんだ。日本製作ならJISマークがあると思うがこれには無いだろ。これは間違いないよ。


 ざっとこんなやり取りをしていた。かといってこのレコードを買っていく様子も無いので、思わず私が、このレコード私が買っても良いですかと確認してしまった。音が良いということに加えて、これだけの薀蓄が付加価値として付くのであればこれは買わなければと思ってしまったのである。名古屋のおじさんが、どうぞ、どうぞと言ってくれたので、私が買ってしまった。そして次に、THE DUKES OF DIXIELAND ON PARADEというLPを見せてくれて、これはディキシー・ジャズだけど、このAUDIO FIDELITY RECORDSは音の良い録音が売りの会社であり、しかもオリジナル盤だから買いだよといってくれた。私は良いアドバイザーにめぐり合って、得をした気分になった。

 名古屋のおじさんが帰られた後で、マスターに、名古屋のおじさんがどういう人か聞いてみた。彼は、音楽会社に以前勤めていたが、今はリタイヤしてジャズのレコード収集が趣味とのこと。収集したレコードの数はマスターより多いし、マスターは仕事でジャズ喫茶をやっているので、休みには別の趣味である釣りにも行くが、名古屋のおじさんはジャズの勉強ばかりしているので、ジャズのレコードに関する知識は半端ではなく、マスターでもたじたじとのこと。
 そして、名古屋のおじさんのおかげで2~3軒のジャズ喫茶が店を閉めたそうである。あちこちのジャズ喫茶に行っては、なんだお前は、ジャズをプロとしてやっていてそんなことも知らないのか。これを連発したそうである。


 と言うことで、名古屋のおじさんは、怖いおじさんである。


アルテックA7がやってきた(10月3日)

 ちょっと前に、我が家にアルテックA7が、まさにヒョコットやってきました。1978年から80年にかけて作られたA7-Xというタイプのものです。ウーファーは416-8B、ドライバーは802-8G、ホーンは511B,ネットワークはN1201-8A、エンクロージャーは828Cです。この構成の特徴は、1つは、クロスオーバー周波数が、従来の500ヘルツから1200ヘルツに変更になり、音がワイド化したことです。もっともこれにより、映画館で高倉健の声が変わったという苦情もあったそうです。2つ目はドライバーが最後のアルニコであり、タンジェリン構造が採用されました。
 なぜヒョコットやってきたかと言うと、私が衝動買いをしたからです。(もちろん前からアルテックのA7やA5には強い関心がありました)
私はハードオフのようなリサイクルショップを定期的にチェックしています。ねらいの中心はLPレコードの収集ですが、時々電気製品も覗きます。そんな中で出会ったのがこのアルテックのA7なのです。それも市場の平均的な価格の半額くらいの値段だ。これには悩みました。こんな価格には二度と出会えないぞという声と、衝動買いをしてどうするんだと言う声です。それからこれはまともなアルテックなのかという疑問です。これについては私では良くわからないので、親しくしていただいているジャズ喫茶「グット・ベイト」のマスターに情報を流し、彼の意見を聞いてみました。なかなか良いよ、これはお買い得だよ、これは誰かわれわれの知り合いで買うべきではないかと言うことに成りました。私は1週間待つことにしました。それで売れてしまえば縁が無かったのだし、まだあれば私を待っていたのだと思うことにしたのです。そしてA7が我が家にやってきたのです。

そんな行きがかりもあって、マスターがセッティングを手伝ってくれました。そしてドライバーのダイアフラムをチェックしておいた方が良いといって、802-8Gを分解してみると、やはりダイアフラムが折れていて、危ない修理がしてありました。このことを買った店に話し、アルテックの互換のダイアフラム(ラジアン社製)の部品代を負担してもらうことで話し合いをして、ダイアフラムを交換しました。オリジナルの音が少しノイジーで元気なのに対して、ラジアンのものはSN比が向上して高音が伸びているように感じますが、少し上品になりました。ジャズを聴くにはオリジナルのほうが良いような気もしますが、クラッシクと両方を聞くには当分このままにしようと思っています。それにしてもマスターのつぼを押さえたチェックに感謝です。
アルテックA7の音は、期待通りで、とてもよくダンピングの利いた軽やかな低音と伸びの良い明るい中高音の音で、まさにジャズを聴くにはとても聞きやすいスピーカーです。高能率で、小音量での反応も早く、真空管のアンプのためのようなスピーカーです。私はSUNVALLEY AUDIOの真空管アンプ、JB2A3,SV-501SE、超8Bなどをとっかえ、ひっかえ聞いた中で、今は、プリにSV-722(マッキンタイプ)、パワーに超8Bをつないでジャズを中心に楽しんでいます。まだまだ色々新しい発見がありそうです。


SUNVALLEY AUDIOの音(10月4日)

私は(株)サンバレーの通信販売専門店「SUNVALLEY AUDIO」のアンプをたくさん使っています。ここの店主、大橋さんの音楽再生に対する腕を全面的に信用しているからです。刈谷市にあるSUNVALLEY AUDIOのショールームには自社のすべての真空管アンプが置いてあり、予約して訪問すると音を聞かせてくれます。メインのスピーカーはタンノイのスターリングです。それ以外にアルテックの620系のモニター・スピーカーや自社開発した色々なスピーカーが置いてあります。
私が最初にここを訪れた時に聞いた音は、私にとっては衝撃的なものでした。300Bという真空管を使ったSV-91Bというシングル・パワーアンプで、(これはウエスタンの91Bタイプのアンプだ)スターリングをドライブして、たしかシベリウスのバイオリンコンチェルトを聞いたと思うが、冒頭でイダ・ヘンデルの繊細で少し硬質な独奏バイオリンがまるでステージの中央に浮かび上がってきたのである。そしてベルグンド指揮するボーンマス・シンフォニー・オーケストラがその後ろにステージいっぱいの広がりを持って聞こえてきたのである。そう、コンサート・ホールのS席で聞いているようであった。こんなに見通しの良い音楽を聴いたのは久しぶりであった。こんな音を聞くと、スピーカーの存在を忘れてしまう。それからバイオリンの音色の繊細で、響きの豊かなこと。これは真空管アンプの良いところであった。このときの感動を今でもはっきりと覚えている。その後パワーアンプをSV-91BからSV-501SEに変更して聞いてみた。こちらのアンプでは響きが少し付加されて、よりリラックスして音楽が聴ける。
私も長いことオーディオを趣味としているが、ジャズが大好きで、オーディオ的には、一つ一つの楽器があたかも目の前で鳴っているようなそんな音作りをしてきた。スピーカーもJBLの4344MkⅡというモニター・スピーカーで、実演に如何に近づけるかと思って、比較的大音量で鳴らしてきた。そういうことからするとこの大橋サウンドのワールドはマジックを見ているようでもあった。
このときに、私は大橋さんに付いて、この大橋サウンドの世界を是非自分のものにしてみたいと思ったのである。2004年10月9日の出来事でした。

(写真は私の持っている主なSUNVALLEY AUDIOアンプ)



人生いろいろ(10月5日)

先日A・I・というSF映画を見た。主人公はデイビットという人工知能(AI)を持った少年のロボットである。不治の病に冒された子供の変わりに「愛」という感情をインプットされたロボットを養子に迎えた夫婦。母親モニカとロボット・デイビットの愛情溢れるシーンを見ていてぼくは奇妙な感情を抱いた。時間が止まったように、年をとらない少年と生活するという事はなんと恐ろしくて退屈な事か。時間とともに確実に老いて行き、その先には確実に死が待っている。そんな人生だからこそぼくたちはどう生きるかを真剣に考えるのではないか。永遠の生があるならば、生きる事にどんな意味があるのか。そんなことは考えることもしないであろう。

日常的に仕事をするときには、重点思考ということを口にする。限られた時間、お金などをどう使うか、どんな課題に取り組めばよいのかなどを選択するときに、それを実行することによって得られる結果が、望んでいることに最も大きな効果が出るように選択するのである。ところが人生においては無限の可能性があるように錯覚し、重点思考という発想が希薄になってしまう。それは生きることにどんな意味を持たせようとするか明確に考えないためかもしれない。目的がはっきりしないと重点思考はできない。ところが癌のような不治の病に罹り、自分が余命いくばくも無いとわかると、自分の生きる意味について真剣に考えるようになる。

その一人に柳澤桂子さんがいる。柳澤桂子さんは生命科学を専門とする科学者であるが、31歳のときに原因不明の「慢性疼痛」を発症し、それから30年間苦しみ1999年には死を覚悟する所まで行く。それが奇跡的に治療法が見つかり回復を始める。その間の顛末を書き記したのが「ふたたびの生」草思社として出版されている。彼女は闘病の中で「命とは何か」について徹底的に思索すると同時に、自然の変化に大変敏感になっている。そしてそれを基に感動的な本を多く出版している。そのことが彼女の生きる力となっているのである。

このような例を見ると、人間というものは自分の生きた証として、何か自己主張を残しておきたいと願うようである。大抵の人は子育てと、生活するために仕事に関わることによって足跡を残すのであるが、中には、さらに一歩進めて記録という形で文字なり、何かの媒体にそれを写し取っておきたいと思う人が出てくるのである。自分史などが書かれるのもその延長であろう。しかしある人間がそのようなものを書いたとして、それを他人が読むに値するには、何かきらっと光るものが必要であろう。

話が思わぬ方向に展開してしまったが、A・I・という現代のピノキオ童話の映画に刺激されて、自分は何のために生きているのかと、改めて考えさせられたのである。会社生活を卒業した今、限られた時間を意識して、何かきらっと光るものを得るためにも、さらに自分を磨きたいと思うのである。


夕べには白骨となる(10月6日)

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身を受けたりということをきかず、一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちに閉じ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそおいを失いぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというもなかなかおろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」
『御文章』五帖16 白骨章
これは、本願寺第八代蓮如上人が、布教のために、庶民にもわかりやすく書いた「御文章」といわれる手紙のひとつ。この「御文章」は人が亡くなった後の、本願寺の法事でよく読まれる。

今日は親戚の忌明け法要に参列した。読経が終わった後で、住職が説教を始めた。
「御文章の白骨章に、「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」、すなわち、「朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕には白骨と化してしまう身です」と説かれているように、人は生まれると同時に死ぬ運命にあるのです。また、「ただ白骨のみぞのこれり」といって、死んでしまえば骨だけになってしまうのです。
先日ある大学の先生と話しをしていたら、遺伝子の研究をしている学者の中で、死をセットしている遺伝子を研究して、不老長寿を目指している者がいる。そんなことをしたら、1日というものが意味を失ってしまい、人間が一生懸命生きる意欲をなくしてしまう。と言って嘆いておられた。誠にその通りだと思う。
人間は、いつかは死ぬと思うからこそ、今を一生懸命に生きるのであり、死んだ後で姿は骨となってしまっても、こうして皆さんが集まって、個人の遺徳を偲んでいるのです。」

と言うような話であった。昨日、私自身が「人生いろいろ」と、書いていたら、今日また似たような話を聞かされた。
食事が終わって寛いでいたら、弟が話しにやって来た。兄貴は会社を辞めて、今はどうなんだ。と言う質問であった。人は、人と人とのかかわりの中で、喜怒哀楽を分かち合って生きていると思う。会社を辞めてしまうと、大部分の会社関係の人とは縁が切れてしまう。そんな中で、どれだけの人が周りにいてくれるかが大切ではないか。一番大切なのは家族であるが、私の場合は、地域とか、趣味とかの世界で付き合いの輪があり、退屈はしていない。と答えておいた。

ひとの法要に行って、自分のこれからの生き方について、もう一度真剣に考えよ、と言われたようであった。故人に感謝!

木曜のテーマ(10月7日)

古いレコードを整理していたら、BENNY GOLSON AND THE PHILADELPHIANS(NUITED ARTISTS)という懐かしいレコードが出てきた。メンバーはベニー・ゴルソン(ts)、リー・モーガン(tp)、パーシー・ヒース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、レイ・ブライアント(p)というフィラデルフィア出身のプレーヤーを集めて製作されたLPである。曲はA面:ユー・アー・ノット・ザ・カインド、ブルース・オン・マイ・マインド、ステープル・メイツ、B面:木曜のテーマ、パリの午後、カルガリーである。日本コロンビア発売のペラジャケであった。

僕はこれを40年前の学生時代に生協で、半額くらいで買ったのである。ジャケットの左上に丸いパンチ穴が開いている。お金の無い時で、半額のジャズのLP、それだけで買ったのだと思う。僕はこのとき、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズのことは知っていたので、ベニー・ゴルソンおよびブルース・オン・マイ・マインドくらいはわかっていた。

これをかけると、僕は学生時代の友人SY君のことを思い出す。SY君は理想主義的な考え方を持っていて、自分にも、他人にも厳しいところがあったが、彼から見ると関西風の雰囲気を持っていた僕には寛大なところがあった。彼は僕に、自分が社会運動を如何にやっているかを語り、僕は、彼が授業の単位を落とさないようにテストの山などを教えていた。そんな二人が一通り話を終えて、ふっと間が空くと、いつもSY君がいつものテーマを聞かせてよと言い出すのである。それがこのレコードのB面の1曲目、木曜のテーマである。

この曲は、アイ・リメンバー・クリフォードというバラードの名曲を作曲した、ベニー・ゴルソンが作曲したスローバラードで、イントロの後のゴルソンのテナーとモーガンのトランペットのハーモニーで奏する合奏部は夢のように美しい。その後テナー、ミュート・トランペット、ピアノとソロが続くが、いずれもが、静かで、しかもきらきらと輝いており、そしてせつない。これを二人で聞いていると、気持ちが和み、もう一回ということになってしまう。二人で何回これを聞いただろうか。

SY君とはもう長い間会っていないが、年賀状だけのやり取りはあるので、生きていることだけはわかっている。木曜のテーマには僕の個人的な思い出がいっぱい詰まっているのである。


Toyota Jazz 2007(10月8日)

私の町内に、中垣あかねさんというジャズ・ヴォーカリストがいるよと、知立のジャズ喫茶「グット・ベイト」のマスターに教えられ、俄然興味がわいた。どこかでチャンスがないかと調べてみたら、第15回とよたまちびと講「Toyota Jazz2007 黄昏の街角」というイベントが今日、豊田市のコンサート・ホールで開かれると言うので、さっそく参加してきた。

 コンサートのキャッチ・フレーズは、「黄昏ゆく街に鳴り響くゆるやかな旋律!CUGジャズ・オーケストラと豊田市出身のミュージシャン、子どもたちによる一夜限りのコラボレーション!」というものである。出演者は、C.U.G.ジャズ・オーケストラ、中垣 あかね ヴォーカル、藤 深智 バイオリン(ここまでが、プロ・ミュージシャン)プチゴス、BRASS KIDS、トゥウィンクルオーキッズ(TOK)(アマチア・ミュージシャン)。

午後4時半の開場に対して、少し早く着いたのでコーヒー・ブレイクして、ジャストに会場にやって来た。席は自由なので僕としては早めに来たつもりなのに、もうホールは7割がた埋まっていた。それもおじさんだけでなく、家族連れから子供までいるではないか。豊田市にこんなに沢山のジャズ・ファンがいて、CUGのコンサートで、コンサート・ホールが満席となるなんて、正直言って僕は驚いた。CUGジャズ・オーケストラはサウンド的には、サド・メル・オーケストラに近いものがあるが、ピアニストの水野修平さんがオリジナルを作曲して提供したり、スタンダードでも独自に編曲して演奏するので、ジャズのオーケストラとしてオリジナル性の高いバンドであり、そんなに大衆的ではないと思っている。でも、驚いたなぞが始まってすぐに解けた。子供バンドである。皆が応援に来ているのであった

さて中垣あかねさんであるが、ギター望月たけしさんの伴奏で、Double Rainbow、Sunday Morning、Peacefulの3曲を唄った。それから、同じく豊田市出身のジャズ・バイオリニストである藤深智さんとの競演でAll of Meを唄った。子供バンドまで入ったジョイント・コンサートなので、彼女のきゃらがどの位出ていたかはわからないが、気さくな女性で、歌のムードは暗くなく、エッジの効いた良く通る明るい声で、ノラ・ジョーンズやジェーン・モンハイトのような現代的な歌い方である。もっとも声はノラのようなハスキーではない。まだ若いので豊かな情感の表現は少し物足りないものがあるが、歌はうまいと思った。将来が期待できる女性である。
藤深智さんであるが、中山静雄トリオと共に、Nice Shot、La Fiesta、それからAll of Meの3曲を演奏したが、僕はジャズ・バイオリンが好きなので、彼女にも関心を持った。CUGオーケストラは年々腕を上げていると感じた。今回の演奏も彼らのテーマ曲であるListen To My BluesやMood Indigo、チェロキーといった彼らの持ち歌を演奏していた。1曲だけSing Sing Singがはいってていたが、これは主催者よりのリクエストのようである。相変わらずこの曲は人気がある。もちろん演奏はベニー・グットマン・スタイルである。
豊田市のコンサート・ホール満席の中での演奏は、気持ちの良いものであると思うが、ジャズのライブとしては少し堅苦しかった。


中古のLP(10月9日)

最近はLPで音楽を聴くことが多い。最大の理由は、LPがつくられた時代の音楽は、CDよりもLPで聞く方が、音が良いからだ。クラッシックのLPならば、ハードオフのような中古店で大変安く手に入る。そういうのを見かけると、もったいないと思って、ついついたくさん買ってしまう。そしてこれを聞いてみると、たいていの物は結構良い音で聞けるのだ。前の所有者が、レコードが磨り減るほど聞いていた盤に出会うことなどはまず無いのである。

今週入手したLPでこれはと思うものを取り上げると、
・「シュトラウス・ポルカ・マーチ集」ウィリー・ボスコフスキー指揮/ウィーン・フィルハーモニー(1973年発売)
演奏は定番中の定番であり期待通りであるが、録音された音がすばらしい。音の革命SX-68 SPECIALと名打ったDECCAの録音であるが、音にエッジが立って切れ味の良い僕好みの音である。シュトラウスのポルカは何を聞いても楽しいが、狩りでは鉄砲の音、観光列車では汽車の音、鍛冶屋のポルカでは槌の音、等々色々な音が入っており、オーディオ的にも面白い。この当時の日本盤には録音エンジニアなどのデータが付いていないので詳しいことは分からないが、こういうものを入手した時は本当にワクワクする。


・「ラロ・スペイン交響曲」クリスティアン・フェラス(バイオリン)ルネ・クロッフェンシュタイン指揮/モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団(コンサートホール・ソサエティSMS-2675)
フェラスのバイオリンでのスペイン交響曲というのは、このコンサートホール・ソサエティ盤しかないのではないか。なかなか珍しい盤である。録音も、フェラスのバイオリンが、オーケストラに較べて大きくクローズアップされたものとなっており、気に入っている。


・リーダーズダイジェスト特選「家庭名曲全集 全12枚」
交響詩、組曲、歌劇の前奏曲や序曲、ワルツやポルカなど管弦楽曲に分類されるクラッシクの全集である。
アレキサンダー・ギブソン指揮/ロンドン新交響楽団、アドリアン・ボールト指揮/ロンドン新交響楽団、ヴィクトル・デザルツエンス指揮/ウィーン国立歌劇場管弦楽団など、ビクター原盤によるもので、これも大変S/N比の良い録音である。リーダーズダイジェスト特選「ポピュラー音楽名曲集」というのも見かけたので、入手を予定している。

いつもが、いつも幸せであるわけではないが、今週は上記のようなクラッシクのLPが全部合わせても1000円もかからない中で入手でき、収集の喜びと・良い音で音楽が聞けると言う二つの幸せを手に入れた。(もっとも、これ以外に話す価値のないものも買った)


ブルーノートの音(10月10日)

ジャズのレコードといえば、日本で一番人気があるのが、ブルーノート・レコードだ。色々な理由が考えられるが、その一つが音作りである。ブルーノートの音作りについて「ブルーノート・レコード」リチャード・クック著、前野訳、行方監修(朝日文庫)という本を読んで理解したことをまとめてみる。
ブルーノートを創設したのは、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンだ。彼の思想がしっかりと音に反映されているのである。その当時(50年代)のジャズの録音といえば、当日にメンバーが集まり、そこで簡単な打ち合わせをして、すぐに録音するというのが一般的であった。しかし彼は、必要であれば、一日、二日とリハーサルを行い、そのギャラ代も払ったという。そしてテイク1、テイク2、等から何を選ぶかといえば、個々の演奏者のアドリブの出来よりも、全体の構成のバランスを重視したという。参加するメンバーは、当時のニューヨークで活動していた若手のミュージシャンからピックアップされ、彼の制作方針もよく理解されていたという。
録音についても、ポリシーがあった。その方針をよく理解し、具体的な音つくりをしたのが、録音エンジニアのルディ・バンゲルダーであった。今日、ブルーノートの音をバンゲルダー・サウンドと呼んでいるが、これはアルフレッド・ライオンの要求をバンゲルダーが具現化したものである。
具体的な音の特徴を言うと、当時の個人の家庭で聞いたときに、無理なく再生できるように、低域も高域も欲張らずに、中音主体の録音である。低域を欲張っては、かえって音の輪郭がぼけてしまうし、高音を伸ばすと、音がキンキンしてしまう。一つ一つの音の輪郭が明瞭であることに意を注いだのである。そして、一つの楽器が突出するのではなく、全体のアンサンブルのバランスにも配慮している。特に特徴的なのがピアノの音で、一音一音が明瞭であり、なおかつ非常にスムーズな音である。こういった音作りが、実際の演奏会場で聞こえる音と同じかと言えば、そうではなくブルーノートの独特の音となっているのであり、少し聞き込んだ人であれば、すぐにブルーノートの音とわかり、今でも実にビビッドに聞こえてくるのである。日本のジャズ喫茶で聞こえてくる音を連想すると、それはたいていブルーノートの音だ。

僕の好きなブルーノート・レコードの一枚が、「バードランドの夜」アート・ブレーキー・クインテット(54年録音)である。これは、ニューヨークの名クラブといわれたバードランドでの実況録音である。当時の実況録音は、ラジオに毛の生えたような録音が多かった中で、バンゲルダーが実にクリアーに音を捉えており、名録音といわれる一枚だ。
ここでのアート・ブレーキーはまだ後のジャズ・メッセンジャーズを結成する前であるが、トランペットに若きクリフォード・ブラウン、ピアノにはホレス・シルバーが参加しており、出だしより火の出るようなイムプロヴィゼイションが展開され、50年台の熱きジャズを聴くことが出来る一枚である。特に、クリフォード・ブラウンのブリリアントなトランペットプレイは何度聞いても胸を熱くする。


[barney] Barney Wilen 59 仏RCA(10月11日)

僕がこのCDを名古屋のタワーレコードで入手したのは98年の年末であった。この年に仕事の関係で欧州に行き、ついでにパリを訪れた。宿泊先はモンパルナス駅に近いホテルであった。このあたりはサンジェルマンにも近く、地下鉄のホームでもストリートミュージシャンがジャズを演奏していた。そんなこんなでパリを身近に感じていた時に、バルネ・ウィランが59年にクラブ・サンジェルマンで実況録音したこのCDに出会ったのである。
クラブ・サンジェルマンは「サンジェルマンのアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ」のLPで名を良く知られた、パリの名門クラブである。このLP(CD)にも当時のジャズの熱気がむんむんと香っており、こんな雰囲気の中でジャズを楽しみたいと想像しているのである。フランスRCAの好録音で音がとてもビビットにとられており、ここでのデューク・ジョーダンの弾むように良くスイングするピアノを僕は大好きである。
1曲目の「ベッサメ・ムーチョ」冒頭に、力強く・弾むようなジョーダンのイントロ・ピアノを聞いただけでうきうきとして来る。その後ドーハムの中音を生かした少しウエットなトランペットのソロ、ウィランのアグレッシブなテナーソロと続くが、なんと言っても楽しいのは後に続くジョーダンのソロである。ポール・ロベールのベースとダニエル・ユメールのドラムがたたき出す4ビートをバックにジョーダンがタタターン、タタターンとスリリングなアドリブが始まると、もうわくわくしてくる。リズム陣も良くスイングしていて大変気持ちよい。また3曲目の「ジョードゥ」4曲目の「レディ・バード」も好きである。音を一段大きくして、ベース、ドラムの音にピアノをのせて聞くと、僕は幸せになれる。

  1) BESAME MUCHO
  2) STABLEMATES
  3) JORDU
  4) LADY BIRD
   -- 以下CD追加曲 --
  5) LOTUS BLOSSOM
  6) EVERYTHING HAPPENS TO ME
  7) I'LL REMEMBER APRIL
  8) TEMON DANS LA VILLE

  バルネ・ウィラン(ts、ss) / ケニー・ドーハム(tp)
  デューク・ジョーダン(p) / ポール・ロヴェル(b) / ダニエル・ユメール(ds)
  1959年4月24日、25日パリ、クラブ・サンジェルマン実況録音


ぼくのベイシー・プライベートコンサート(10月12日)

先日CUGジャズ・オーケストラのコンサートに行ってだいぶ刺激され、ビッグ・バンドの好きなぼくとしては、いつ聞いても楽しいカウント・ベイシーのサウンドを浴びるほど聞きたくなった。ぼくの手持ちのLPとCD合わせて50枚くらいを聞きながら、自分でベイシーの紹介コンサートを開くとしたら、どんな演奏になるか考えながら聞いていた。

その中で、ベイシーのライブ録音に楽しいのが多く、その中から選りすぐりをピックアップした。

・Basie In London(1956)
スエーデンでのライブなのに、なぜロンドンなのか。同時期のロンドンでの公演の大成功を記念してつけたと言うことだが。だれでも知っている有名盤であるが、やはりこれは楽しい。オープニングは大好きな「Jumpin' At The Woodside」、次にフレディ・グリーンの刻むアップテンポに乗った「How High The Moon」を聞こう。


・Breakfast Dance and Barbecue(1959)
 マイアミのアメリカーナ・ホテルでの大変リラックスしたライブ。「In A Mellow Tone」ミディアムスローで始まるエリントンのナンバー。分厚いブラスのアンサンブルや大迫力のテュッテイでエンディングまで一気に聴かせます。


・Fun Time(1975)
1975年のモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ。「Whirley Bird」ベイシーがメンバーを紹介しながら、それぞれが順にソロをとるアップテンポの曲。


・On The Road(1979)
 同じくモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ。「Blues For Stephanie」フレディ・グリーンのミディアムテンポでのわくわくするようなリズムギターがたっぷりと聴ける。


ライブ以外では次の3枚をピックアップする。
・April In Paris(1955-56)
・Basie(1957)
・Straight Ahead(1968)
 スペースがなくなってしまったが、特にStraight Aheadというアルバムはコンポーザー、アレンジャーのサミー・ネスィテコの作品集であるが、録音も良く好きな1枚である。


ぼくのベイシー・プライベートコンサート続き(10月13日)

カウント・ベイシー楽団の魅力の一つは、そのスイング感である。ピアノ、ベース、ドラムだけではただのリズムであるが、そこにフレディ・グリーンのリズム・ギターが加わると、アップテンポだろうがスローだろうがどんなテンポでも、大変気持ちよくスイングする。これは他の楽団にはなかなかまねの出来ない魅力である。

ベイシーを聞くに当たって、ぼくは次のような構成のスピーカーを使用している。ウーファーはJBL2226J(38cm)をダブルで立松音工のボックスにセットしたもの。ドライバーはJBLの2450H(2in)をJBL2395ホーン(Gold Plated)にセットしたもの。ツイーターはJBL075です。ネットワークはトーン・ファクトリーの特注品。このシステムはSUNVALLEY AUDIOの大橋さんから譲ってもらったシステムで、ツイーターを変更したものです。これを駆動するパワーアンプはSV-275(KT88pp)を使用。
このスピーカーシステムを、今年の7月に譲り受けてあれこれと聞いてきたが、とにかくとてつもないパワーを秘めたスピーカーだ。ベイシー楽団の分厚いブラス・アンサンブルをいとも軽々と、部屋もゆれるくらいに再生して、しかも悠然として聞こえる。まさにビッグ・バンド・ジャズを楽しむのにうってつけである。


・April In Paris(1955-56)
50年代黄金期を代表する1枚。「April In Paris」派手なエンディングに続いて、ワン・モア・タイム、でおなじみの曲。
・Basie(1957)
ジャケットからアトミックベイシーと呼ばれている1枚。ニール・ヘフティの作編曲を採用したニュー・ベイシーである。この時期のルーレット録音はどれもすばらしい音であり、お好きな1曲をどうぞ、である。
・Straight Ahead(1968)
このドットの録音もすごい。頭の1曲「BASIE-Straight Ahead」をどうぞ。



ここまで迫力のある演奏を、このスピーカーが奏でてくれると、このスピーカーにふさわしい迫力をさらに出せないかと思い、バディ・リッチ楽団の次の2枚をピックアップした。いずれもライブ録音である。
・Swingin' New Big Band(1966)
ホレス・シルバーが作曲した「Sister Sadie」のスピード感と切れ味の良い演奏が楽しめる。
・Mercy,Mercy(1968)
「Channel 1 Suite」とにかくバディ・リッチの神業ともいえるドラムソロをたっぷりと楽しむことができる。

楽しくも、疲れた2日間であった。


ジャンクレコードのチェック(10月14日)

昨日は久しぶりに、中古レコード店に、クラシックとジャズのジャンクレコードを探しに行った。ジャンクレコードの値段のつけ方は、店によって大きく二つに分けられる。安い方の店では1枚が100円未満である。こういう店は、推定するに、あまり古いものは一律に値段をつける。高い方の店では100円、200円、300円、500円といった値段が付いている。こういう店は、売れる値段にLPを値踏みしている。同じジャンクレコードと言っても、前者は掘り出し物が見つかるし、後者はごみを買うリスクがある。
どちらが良いか。レコードが買える前提であれば、安いに越したことはない。そんなのにめぐり合うと、ジャズとクラシックのLPならば50枚、60枚と有るだけ全部買ってしまう。そんな事にめぐり合った時は思わずやったと、顔がほころぶ。しかし思うことは誰も同じようで、前にうまくいったと思ってまた行っても空振りが多い。いくら安くても手に入らなければ何にもならない。こういう幸運を強引に引き寄せるような人は、同じ店に朝と夜と1日に2回は通うという。とても太刀打ちできない。
高い方の店で買っても、あまりやったという感激はないが、空振りの確立は少ない。このところ空振りが多かったので、1枚で200円のLPを購入してきた。全部で15枚ある。これを1枚1枚検盤し、カビとか汚れの著しいものはアルコール洗浄の後、水洗いして最終的に音を出して確認する。それから袋の傷んでいるものは新品に取り替えて、やっと僕のコレクションとして箱に入れる。なかなか手間のかかる作業だ。
(独)グラモフォン、(英)デッカ、CBSソニー、RCAビクター、エンジェルといったメジャーレーベルのLPは比較的録音も良いものが多いが、当時廉価版として売り出したものの中には、恐ろしく長い曲を詰め込んだものがある。例えば、テイチクが売り出したクラシック・ベスト・セレクション・シリーズでは、A面:ドヴォルザーク/新世界交響曲、B面:チャイコフスキー/悲愴交響曲となっている。これで価格は当時1000円。こんなに音をつめては、ほとんど低音は出てこない。本来ならば、このくらいのことはLPを見た時に予想できなければならないが、冷静になって音を聞くまで気づかないのである。廉価版シリーズを手にした時には重要なチェックポイントだ。

今回入手した主なものを列記すると、
・ドビッシー「海、夜想曲」エルネスト・アンセルメ指揮/スイス・ロマンド
・リムスキー・コルサコフ「シエラザード」エルネスト・アンセルメ指揮/パリ音楽院
・ベルリオーズ「幻想交響曲」ゲオルグ・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団
・「展覧会の絵、ボレロ」レナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィル
・バッハ「管弦楽他」カール・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ
などが良かったと思っている。それにしても全体を眺めてみると、安物買いの、何とかになりそうである。


反省!反省!


ベルリオーズの幻想交響曲(10月15日)

2003年のベルリオーズ生誕200年にあたり、その企画として「断頭台への行進」15連発というCDが発売された。これは幻想交響曲の第4楽章・断頭台への行進を、ユニバーサル・ミュージックに統合されている3つのレーベル(ドイツ・グラモフォン、デッカ、フィリップス)より15種類集めたものである。改めて聞いてみると、指揮者により表現の幅が大変大きいのにびっくりする。最も短いのが、若き小沢征爾がボストン交響楽団を指揮したもので、4分05秒である。演奏にスケールは感じないが、軽やかに駆け抜けていくような演奏である。最も長いのが、アメリカの指揮者ジェームス・レバインがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したもので、実に7分10秒である。聴感上のスピード感は時間の長い短いだけではないが、それでもこの演奏は実にゆったりとしている。それにしても、指揮者により良くこれだけの解釈があるものだと、聞いていて面白いし、感心もする。
ぼくはLPレコードの時代に、3枚の幻想交響曲を持っていた。好きなのはシャルル・ミュンシュ指揮するパリ管弦楽団とピエール・モントゥ指揮する北ドイツ放送管弦楽団のものである。もう一枚は、ロリン・マゼール指揮するクリーブランド管弦楽団のものである。(これはテラークの輸入盤で、オーディオチェックに用いた。一枚4000円と高価なものであった)
ミュンシュの演奏は大変ドラマティックで、聞くものをぐいぐいと音楽にのめり込ませる迫力のあるものである。録音されている音が硬いという感じがあったが、当時はオルトフォンのMC20というカートリッジを使ってバランスをとっていた。CDになって聞き直してみるとやはり音の硬いのが気になる。モントゥの演奏はスケールが大きくて、それでいて細部の音楽も明瞭で、第2楽章のワルツなどは大変優雅である。
幻想交響曲の構成は、第一楽章:夢・情熱 、第二楽章:舞踏会 、第三楽章:田園の情景 、第四楽章:断頭台への行進 、第五楽章:魔女の祝日の夜の夢、となっており、音楽がそれぞれの内容を即物的に表現しているため、聞いていてわかり易くかつ面白い。そして演奏のダイナミックレンジが広く、優秀録音盤は、オーディオチェックCDとしてよく使われる。そんな理由もあって気が付いてみると、ぼくの手元にも9枚保CDが集まっている。ゲルギエフとウィーンフィル、ミョンフンとバスティーユ、アンセルメとスイス・ロマンド、モントゥとサンフランシスコ、コリンデイビスとアムステルダム、ミュンシュとパリ管などである。オーディオ的な遊びで言えば、第五楽章の鐘の音にも様々な違いがあり興味をひかれる。多いのは教会の鐘の音であるが、中にはアンセルメのようにお寺の梵鐘のような低い鐘を使っているのもある。それが近くで聞こえたり、遠くで鳴っていたりするのである。
そして最近また8枚のLPが集まった。アンセルメ/スイス・ロマンド、カラヤン/ベルリン・フィル64年および74年、ショルティ/シカゴ、ミュンシュ/ボストン(新、旧の2枚)、ブーレーズ/ロンドン、ヴァンデルノート/フランス国立放送管である。
ぼくは第2楽章・・舞踏会のワルツも好きである。ここをそれぞれの指揮者がどう表現するかにも興味をひかれる。自分で企画して「大舞踏会」15連発のCDを編集してみたいと思う。そのときには、ケーゲルとドレスデン、クレンペラーとフィルハーモニアの演奏を更に追加したい。

ページトップへ