ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
アート・ペッパー・ライブイン東京1979(2008.2.1)

ジャズの好きな日本人の多くは、アート・ペッパーの演奏に共感をおぼえるのではないか。彼のアルトサックスは、フルトーンでも滑らかで、メロディアスで、しかも哀愁を帯びており、大変共感しやすいと思う。

ぼくも好きなアーティストである。彼が1979年の7月に来日して東京の郵便貯金ホールで16日と23日にライブ演奏した時のアルバムが、「Landscape」である。日本で発売されたジャケットの表紙には、内藤忠行さんが撮影したペッパーのアップの顔である。だが米国での発売時にはこれが採用されずに緑のパームツリーの表紙に変更されている。これが日本で発売されて大変好評であったので続編として出されたのが「Besame Mucho」である。このジャケットの表紙にも内藤忠行さんが撮影した東京の夜景が使われている。これは日本のみの発売で終わっているようだ。

ところがこれに、第3の続編があったのである。ART PRPPER「虹を求めて」とタイトルされた、内藤遊人さん編集の本にセットされたCDで「LIVE IN TOKYO 1979収録曲」というものである。右の表でA:Landscape、B:Besame Mucho C: LIVE IN TOKYO 1979収録曲というふうに分類される。
アート・ペッパーはピアニストのジョージ・ケイブルスとは息が合うようで、ペッパーは彼のことをミスタービューテフルと紹介している。彼のピアノをバックに演奏するときは、大変快調である。中でもぼくが好きなのが、彼が十八番にしているBesame Muchoとこの本の「虹を求めて」のタイトルとなったOver The Rainbowの2曲である。

ペッパーは77年の初来日から81年まで毎年来日し、死ぬ年となった82年は切符は売られたが中止となっている。その使われなくなった82年のチケットをグット・ベイトのマスターは持っているのである。それ程に彼は日本を気に入っているので、23日のコンサートの最後のアンコール曲として演奏されたBesame Muchはペッパーが、日本人のためにまさに入魂の1曲となっているのである。
「ぼくはのろのろとマイクに向かって歩き始めた。ぼくの姿が見えるや、観客席から拍手と歓声がわき上がった。マイクに行き着くまでの間に、拍手は一段と高まっていった。ぼくはマイクの前に立ちつくした。おじぎをし拍手のおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。なんともいえない素晴らしい思いに浸っていた。あんなことは初めてであった。・・・・日本は僕を裏切らなかった。本当に僕は受け入れられたのだ。」

自伝、ストレートライフに書かれた初来日の様子。


アート・ペッパーのディスコグラフィー(2008.2.2)

僕の好きなアート・ペッパーのディスコ・グラフィーを持ちたくて、先輩たちが作成されたものを色々調べていたが、わかりやすいと思ったのが、スイングジャーナル社が発表したものである。年代的には少し古く、完全ディスコ・グラフィーというには抜けがあって補足が必要であるが、すべてのジャケットの写真入で一目で理解できる。ただジャケットの写真がモノクロなので、これをパソコン画像に取り込み、カラー写真に張り替えることで、いっそうわかりやすくしようと思った。

単純にジャケットのカラー写真を探してきて、モノクロと置き換えるだけの作業であり、手間はかかっても簡単にいくと思っていたが、やってみると色々と迷うことが出てくる。

・初期のXanaduへの録音「The Early Show」などは国内版専用のジャケットがあり、米国版と異なる。
・「DISCOVERY SESSIONS」 というのがオリジナル盤であるが、SURF RIDE で出ている盤の方が、ジャケットが有名になっている。
・「SOMETHING COOL」にはモノクロ写真のモノーラル盤とカラー写真のステレオ盤があり、アート・ペッパーが参加しているのはステレオ版のみである。

このジューン・クリスティのアルバムは最初10インチのLPが発売され、それに2曲を追加して12インチのモノーラル盤が発売され、しばらくして、同じ構成でステレオ盤が録音しなおされ、その時にのみ、アート・ペッパーが参加しているという、しかもレコード番号も同じで発売されたという、ややこしいことになっているようである。

このように、色々と判断に迷うことが出てくるのであるが、一体どのように考えれば良いものか。世間に通用させるためには、どうもオリジナル盤のジャケットを採用すべきようである。

そしてそれ以降こんなジャケットが使われていると、整理するようだ。その場合もモノーラル盤とステレオ盤が同時に発売されていれば二つオリジナル盤があるということになる。有名な「Art Pepper Meets The Rhythm Section」がこれに当てはまる。そしてこのオリジナルのステレオ盤は、国内版が、音が左右に分離されすぎて、中抜け気味なのに対して、大変充実しているという良さがあるのだ。
では僕の場合はどうするのか。もともとこういったものを作るのは、これを基にアルバムを個人的に収集するためであるので、自分が好きだと思ったジャケットを使おうと思っている。もちろん判っている物は、ジャケットを併行して整理するが、オリジナルのLPだけに使われていて入手の困難なものにこだわって、時間をつぶさないという程度に。


アート・ペッパーこの1枚、この1曲(2008.2.3 & 4)

アート・ペッパーのディスコグラフィーを作りながら、改めて彼の演奏を年代順に聞いていたので、また例によってこの1枚、この1曲を書き出すことにする。ペッパーの演奏はよく言われるように、前期と、コルトレーンに影響された一時期、それからエモーションを前面に押し出したような後期、に大きくそのスタイルが分類されると思う。

SURF RIDE / ART PRPPER 1953 (SAVOY)*
・SUSIE THE POODLE
このアルバムはペッパーが吹き込んだはじめてのリーダーアルバムで、何を聞いても素晴らしいが、中でもこの曲は飛びっきりのアップテンポでアルトを軽々と吹いており、アート・ペッパーが如何に凄いかがよくわかる。アルバムのジャケットも印象的である。

THE ART PEPPER QUARTET / ART PEPPER 1956 (Tampa)
・Besame Mucho
このアルバムの名前を出した以上は、有名なベッサメ・ムーチョで決まりである。
MARTY PAICH QUARTET featuring ART PEPPER 1956 (Tampa)
・You And Night And Music
この盤も上のTampaと同じく、ほとんどアート・ペッパーが中心であり、洗練されてお洒落な推薦曲で決まりである。
MODERN ART / ART PEPPER 1956 (Intro)
・Blues In
じっくりと繰り返し味わうとそのよさが俄然わかる1曲である。
ART PEPPER MEETS THE RHYTHM SECTION 1957 (Contemporary)*
・You'd Be So Nice To Come Home To
マイルスのリズムセクションと競演した、もっとも有名な盤。ロイ・デュナンの録音の良さも手伝って、ペッパー好きなら誰でもが手にする1枚。
GETTING TOGETHER / ART PEPPER 1960 (Contemporary)
・Softly As In A Morning Sunrise
これもマイルスのリズムセクションとの競演盤である。ベースのポール・チェンバースを除いてメンバーが入れ替わっているが、アート・ペッパー自身が気に入っている1枚。
INTENSITY / ART PEPPER 1960 (Contemporary)
・Come Rain Or Come Shine
前期アート・ペッパーのコンテンポラリー最後の吹き込み。
LIVING LEGEND / ART PEPPER 1975 (Contemporary)
・Here's That Rainy Day
長い投獄生活から復帰した第1作。
SAN FRANCISCO SAMBA / ART PEPPER 1977 (Contemporary)
・Blue Bossa
冒頭からテーマを吹かずにアドリブにはいり、ぴんと張りつめた演奏を展開する、こんな凄いアート・ペッパーは聞いたことがない。圧倒的な迫力である。
ARTWORKS / ART PEPPER 1979 (Victor)
・Donna Lee
ジョン・スナイダーが手がけ、ビクターが発掘した1枚。
LANDSCAPE / ART PEPPER 1979 (Galaxy)*
・Over The Rainbow
お気に入りの日本公演でのリラックスした演奏である。
虹を求めて / ART PEPPER 1979 (Galaxy)*
・Besame Mucho
1979年の東京公演の最後を飾ったのが、アンコール曲のベッサメ・ムーチョである。日本の聴衆のために切々と演奏している。
WINTER MOON / ART PEPPER 1980 (Galaxy)
・Our Song
これもアート・ペッパー自身がお気に入りのストリングスとの競演。
TETE-A-TETE / ART PEPPER & GEORGE CABLES 1982 (Galaxy)
・Tete-a-Tete
お気に入りのピアニスト、ジョージ・ケイブルスとのデュオ作品。
GOIN' HOME / ART PEPPER & GEORGE CABLES 1982 (Galaxy)
・Going Home
この曲はアート・ペッパーの葬儀にも流されたという、ラストを飾るにふさわしい感動的な演奏である。

以上、ぼくが選んだこの1枚この1曲でした。これ以外にも気になるアルバムがありますが、例えばAmong Friends 、これも好きなアルバムですが、同窓会を懐かしむような感じなので省略しました。
(レーベル名の後に*の付いている4枚のジャケットは、前に書いたものとダブルので省略してあります)


町でいちばんの美女(2008.2.5)

キャスは五人のなかでいちばん美しかった。町でいちばんだった。まれにみるほっそりと、
しなやかな身体は、蛇のように冷たくなったかと思えば、火のように熱くなった。目もそうだった。
キャスはうつろい流れる焔だった。人という型に納まりきれない精霊だった。
絹のような長い黒髪は、動きに連れて波打ち、舞い乱れた。
キャスはいっしょに踊ってふざけあい、キスをしたが、いよいよとなると、いつの間にか消えていた。
キャスは頭もよく感性も豊かだった。踊り、歌い、詩を読み、
誰かが傷つくと、それが心であれ、身体であれ、わがことのように深く悲しんだ。

私がキャスと出会い、話をするようになったのも、私が町でいちばんの醜男であったことと
無関係では無かったようだ。最初はたわいも無い会話から話が始まった。そしてキャスは言ってくれた。
「あんたは醜男ではないわ、人がそういうだけのことよ」「ありがとう」私はそう言った。
「今何してるの」「何もしてないさ、君を見てるだけさ」わたしたちは並んで道を歩いた。
道行くキャスに男達は見とれた。依然として彼女は美しかった。
このときがいちばん美しかったといっていい。私はこのときほど彼女を欲しいと思ったことは無い。
でも口に出していわなかった。

そんなキャスが突然いなくなった。私の目の前から消えてしまったのだ。
五人のなかでいちばん、町でいちばん美しかったキャス。
私はずっと考えていた。どれだけ彼女を知っていたのだろう。もう私には生きる値打ちはなかった。
野良犬とかわらなかった。しかし、犬を責めてどうなる。
キャス、町でいちばんの美女はいなくなった。

車のクラクションを鳴らすやつがいた。いつまでたっても止めようとしなかった。
私は大声で叫んだ。「ばかやろう、静かにしないとぶっ殺すぞ」
夜は次第にふけていった。私にはできることが何もなかった。

以上の文章は、チャールズ・ブコウスキー著、青野聰訳、短編「町でいちばんの美女」の中より私が勝手に抜書き編集したものである。彼の小説は大変ユニークであるが、青野さんの翻訳は大変読みやすい。自称スーパー・エディターの故安原顕さんは、チャールズ・ブコウスキーが大好きで、幾たびか、彼の著作の中で紹介している。「ぼくは読むと元気の出る本が好きである。ブコウスキーもその一人」と言っている。皆さんはどう思われるのでしょうか。

トニー谷、ざんす(2008.2.6)

作家の村松友視に興味を持ったのは、安原顕と同じ中央公論社に務めたことがあり、彼と旧知の仲であることを知った時からである。安原さんはミュージックバードのジャズ番組、PCMジャズ喫茶の永世ゲストとして、寺島靖国さんとの会話を聞いて大いに楽しませてもらったし、この番組を通してこんな人がいると驚いたものである。
だから安原さんが亡くなった時も村松さんは「ヤスケンの海」という本を書いて、彼のことを紹介している。それ以外にも「黒い花びら」と言う本で水原弘の破天荒な生涯を書いたり、「ファイター」でアントニオ猪木のことを書いたりしていてなかなか面白い。

その作家村松友視の書いた「トニー谷、ざんす」が大変面白い。これを約二年かけて取材し、書き上げた理由を次のように述べている。
最近ではビートたけしとか、タモリといった毒をもったお笑い系のタレントがテレビの人気タレントになっている。こういったスタイルの元祖がトニー谷ではないか。また彼の生い立ちを含めた経歴がほとんど正確には判っていない。そして作家自身がトニー谷に興味を示すに至る個人的な理由を持っているのである。
トニーという名称は、キャンプ時代の谷をタニーと呼ぶ米人の発音が、トニーと聞える所から来ているという事である。
それでは本人が死亡してしまい、経歴のわからないものをどうして洗い出したか、それを作家は次のように書いている。
「肝臓ガンのため十六日深夜、東京都港区の東京慈恵会病院で亡くなった俳優でコメディアンのトニー谷さん(六九)本名大谷正太郎は一七日、東京・桐ヶ谷葬斎場で身内の人々に見守られダビにふされた。葬儀は本人の遺志で行われない。」スポニチの死亡記事。
これ以外に朝日新聞、毎日新聞等の死亡記事を読み、そこから共通のキーワードを探し出し、それを手がかりにして取材を始めている。そして彼の複雑な生い立ちから、全盛期、愛児誘拐事件、没落、リバイバルを多くの人に語らせている。トニー谷物語である。
トニー谷その人の、強烈なキャラクター「そろばん片手にサイザンスとか、トニーイングリッシュでレディース・アンド・ジェントルマン・アンドお父っつあん、おっ母さん・・」なども面白いが、私には興味のある人物の死亡記事を丹念に読み、そこからキーワードを探し出し、という手法が大変興味深かった。ただし無名の人がお金を出して新聞記事にしてもらったものには、通用しないと思うが。
彼の著作では上記以外に、直木賞を取った「時代屋の女房」、「続・時代屋の女房」、「同僚の悪口」、それからジャズ喫茶ベイシーをモデルに書いた「ベーシーの客」などをいつの間にか読んでいる。


初対面の会話(2008.2.7)

仕事でドイツのバイエル社を訪問し、昼食を共にした時の事である。「ドイツの食事はいかがですか。」と質問された。「イギリスにいて、ここに来たものですから食事が美味しく感じられます。」と私は答えた。件のドイツ人は大いに喜んで、隣の同僚の顔を見ながら満足そうに、「大いに同感です。」と言った。なんと彼の隣に座っている同僚はイギリス人であった。さらにたたみ込んで彼は言った。「良い天気はイタリヤから来るが、イギリスは悪い天気もドイツに運んで来るのですよ。」そこで私は思わず言った。「でも紅茶はイギリスがとても美味しいですよ。」「それは紅茶のせいではなく、ライン川とハドソン川の水の違いのせいである。」と彼はたたみ込むように言った。
ここからイギリス人の反論が始まった。ドイツの紅茶がまずいのはハートが無いからであり、お酒でもウイスキーは英国製でなければだめであるとか、そしていつのまにか日本の話となり、寿司は美味しいが、活魚の刺身は駄目である。どうして日本人はあんな残酷なことを楽しめるのか、といった話題に発展した。私はおどりという、生きた車えびをその場で皮をむいて食べる方法があると付け加えた。二人は目をむいたが、総じて日本食は美味しいという事になった。ただし量が少なくなかなか満足できないというのが、二人の一致した意見であった。このようにして食事の会話は大いに盛り上がり、音楽の話とか、文学の話とか、次々と話題が発展し、私を楽しませてくれた。
ふだんかかわりの無い人間と人間が出会って、四方山話に花を咲かせるには、人間の幅とか、ゆとりのようなものが大切であると感じた。ヨーロッパではたいていの都市に歌劇場とかシンフォニーホールといったものが、町の中央に建てられている。また第2次世界大戦で破壊された教会とか、歴史的建造物もきちんと修復されている。こういったものを大切にする文化があるのである。
しかしドイツ人とイギリス人ではその気質は大いに異なると思う。特に働くことでは、ドイツ人は几帳面で頑固なまでにまじめである。イギリス人は階層による落差が大きく、ブルーカラーではいい加減なところがある。ホテルの廊下にルームサービスの残食器が散らかっていても、自分の仕事でなければ平気でいつまでも放かってある。ドイツの方が安心であるが、頑固さに直面するとお手上げだ。
ドイツで列車に乗った時のことであるが、ドイツの列車は日本のように指定席と自由席が分かれてはおらず、指定席であっても席が空いていれば自由に座れるのである。ではそれはどうして分かるか。席の上にランプが付いておりそれが赤か、青かで見分けが付くのである。またコンパートメント(6人掛けで1部屋になっている1等車)では、部屋の前に予約の張り紙がしてある。ある時車掌が張り紙を忘れており、空いていると思って我々が5人で座り、食事から帰ってくると、見知らぬドイツ人が2人席に座っている。指定席券を持っているのかと訊ねるとノーコメントである。すったもんだしている所に車掌がやってくると彼らは指定席券を見せた。我々の質問に答えてくれればすったもんだしないと思うのだが、彼らにしてみれば関係ないやつ等に答える義務はないということらしい。そのためにはトラブルもいとわないのである。自分の考えに律儀と言えば律儀だが。

最近の女性ヴォーカル(2008.2.8)

最近の若い女性(と言ってもベテランもいるが)によるジャズヴォーカルで、ぼくが良く聞いているCDを紹介する。

Malanie De Biasio / a stomach is burning 2006 (IGL193)
・Let me love you
ベルギー出身のもともとはファンク系の歌手。ジャズヴォーカルは初めてのアルバム。落ち着いた歌い方の中に深いエモーションを秘めており、大人の雰囲気が楽しめる。
Sophie Milman / sophie milman 2004 (KOCH)
・I Can't Give You Anything But Love, Baby
ロシア生まれのカナダ国籍という歌手。少しハスキーな声でしっとりと歌われるととても魅力的である。年はまだ20代。
Madeleine Peyroux / Half The Perfect World 2006 (Universal)
・Once In A While
これまた大人のムードのジャズヴォーカルである。
Roberta Gambarini / Easy To Love 2006 (Groovin' High)
・Smoke Gets In Your Eyes
イタリア生まれのガンバリーニの落ち着いた歌声も楽しい。
Jane Monheit / Come Dream With Me 2004 (SONY)
・Over The Rainbow
日本発売は4年だが、USAでは1年に発売され、ニューヨークで買ってきた1枚。このOver The Rainbowは大好き。
Diana Krall / From This Moment On 2006 (verve)
・It Could Happen To You
もう若手ではなくなったダイアナ・クラールの新作。ぼくはアルバムThe Look Of LoveのCry Me A RiverとかBesame Muchoが好きだが。
Lady Kim / Left Alone 2004 (Eighty-Eight's)
・Angel Eyes
現代のビリー・ホリディの雰囲気を持ったキムのバラード曲は素晴らしい。彼女はこのあとEverything Must Change , Autumn Leaves と毎年CDをリリースしているが、個性が強いだけに全部を聞きとおすのは大変である。

以上女性ヴォーカルでした。ノラ・ジョーンズが抜けているって。それはまた後で。


The Nearness of You (2008.2.9)

1昨年仕事でインドネシアに行った時に、ジャカルタで何枚かのCDを買い込んだ。ここではCDが日本の半分の値段で買えるのだ。それでも現地の収入を考えると大変高価であるが。そんな1枚に、

「Marian McPartland & Friends , 85 CANDLES-LIVEINNEWYORK」という2枚組のアルバムがあった。このルバムは2003年にマリアン・マクパートランドの85歳の誕生日を祝って、ニューヨークのウエストサイドのジャズクラブ・バードランドに、彼女がプレゼンターを務めていた番組のゲストや友人達が集まって行ったセッションのライブ録音盤である。
このCDの2曲目に入っているのが、ノラ・ジョーンズの歌うThe Nearness of Youである。マリアンのリリカルなピアノをバックに甘さを抑えながら、切々と歌うその歌声は、録音の良さも手伝って、聞いていると思わず引き込まれてしまう。彼女は2002年にCome Away with Meというアルバムを出し、日本で一躍有名となったが、このアルバムでもThe Nearness of Youを歌っていたが、その時はこんなにジャズヴォーカルが上手いとは思わなかった。

それが縁でThe Nearness of Youをいろいろな人のヴォーカルで聞き始めた。主なものを次に上げる。
Janet Seidel / Love Letters
Eden Atwood / There Again
Chris Conner / Classic
Ella & Louis / What a wonderful Duet
Helen Merrill / The Nearness of you
この中ではやはりエラとルイの歌が素晴らしいと思う。
The Nearness of You(ホーギー・カーマイケル作曲)
It's not the pale moon that excites me
That thrills and delights me, oh no
Its just the nearness of you

It isn't your sweet conversation
That brings this sensation, oh no
It's just the nearness of you

When you're in my arms and I feel you so close to me
All my wildest dreams come true

それにしても、今日は今年初めての、どか雪が降り、軒並み東海地方の高速道路は通行止めになっている。3連休の初めの日に大変だ。こんな時は部屋でジャズボーカルでも聴いて過ごそう。

カズちゃんとCUGとの出会い(2008.2.10)

この話は今から5年位前に、ぼくがワカマツさんに誘われて、名古屋のスターアイズに初めてCUGオーケストラを聞きに行った時の話です。
「ぼくの知人のワカマツさんは、年も違わないのに今でも現役のアマチュア・ジャズマンです。学生時代はロックのバンドでドラマーだったそうです。ジャズに目覚めてからはトランペットを吹いていました。でもトランペットというのは、とても体力の要る楽器だそうで、年齢的に限界を感じ、今はまた新しい楽器にチャレンジしています。それがアルトサックスです。
ワカマツさんのアルトサックスの先生は椿田さんと言います。椿田さんは1964年、鳥取県岩美町生まれ。ジャズの名門日本福祉大学卒。高校時代にブラスバンドでサックスを始め、大学時代にリーダー小濱安浩に出会い、ソニー・スティットを聴きジャズに目覚める。1992年渡米。数々のジャム・セッションに参加し多大な影響を受ける。森田利久5、太田邦夫6などを経て、現在は自己のカルテット、セッションなどで活躍中。アルトらしい艶やかな音色には定評があります。現役のプロミュージシャンです。
その椿田さんが所属しているビッグバンド、CUGジャズオーケストラのライブが名古屋覚王山のスターアイズというライブハウスで開かれるので、行かないかとワカマツさんに誘われたのです。
まずCUGというジャズオーケストラについて紹介します。「Continued in the Under Ground Jazz Orchestra」という名前には「どんな厳しい状況下においても地道に継続し常にすばらしいサウンドを提供し続けたい」という熱い思いが込められている。レパートリーは水野修平さんによる作品を中心に、スタンダードからコンテンポラリーな曲まで幅広い。ハードにスウィングするビッグバンドサウンドを信条とし、メンバー一人一人の豪快かつ繊細なソロも売り物の一つである。定期的に行われるクラブギグでは常に満席になる盛況ぶりで、次の新しい時代を担うビッグバンドとして最も期待されている。
二人だけのおしゃべりは疲れるので、ぼくはカズちゃんを誘うことにしました。カズちゃんは職場の仲間で、まだ入社して間もない若者です。でも何事にも大変張り切っており、色んな事にも興味を抱くタイプなので話してみました。ジャズは良く知らないけど、行って見たいと言う事になりました。
16人編成のフルバンドの迫力は想像通り大変素晴らしいものでした。アメリカのサド・メルオーケストラのようなサウンドで、カズちゃんはすごい、すごいと感動していました。ぼくもあらかじめCDを聞いていましたが、期待していた以上のものでした。休憩時間にワカマツさんが椿田さんを紹介してくれました。ぼくがベースの人良いねと言ったら、ベースの島田さんも紹介してくれました。皆でジンジャエールを飲みました。ぼくは椿田さんに、何かスタンダードな曲ないかしら、と言いました。後半ではデューク・エリントンのソフィスティケイテット・レディという曲をエリントン楽団と同じように、バリトンサックスをフィーチャして演奏してくれました。なんとなくカズちゃんへプレゼントしてくれたように思えました。終わってみるとカズちゃんはすっかりジャズが好きになったようです。」

CUGはその後も着実に活躍を続け、この3月に5枚目の新作CDのアルバム「Takin' The Road~Live at HADOWS~」が出る予定だそうです。


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