ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
エラート友の会(2008.9.16)

 1980年代の初めにぼくはエラート友の会の会員となった。それがいつまで続いたかは定かでないが、それでも4~5年くらいは続いたと思う。色々な特典があったが、今でも手元に残っているのは、フランスで製作されたニュー・ディスク・インフォメーションという名のカセットテープが9巻である。

 友の会の会員になるちょっと前に、確かNHKのFM放送だったと思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番の第1楽章が流れてきた。長い前奏の後、一つ一つ粒の整った、きらきらと輝いたピアノの演奏が始まった。なんと清楚なピアノだろうと思った。それがジョルダン指揮/ローザンヌ室内管弦楽団と共演するマリア・ジョアオ・ピリスの演奏するピアノであった。このレコードが、ぼくがエラートと付き合う最初のLPであった。もちろんピリスの演奏するモーツァルトを楽しむのが目的で、さらに3~4枚ピリスのLPを購入した記憶がある。
 エラートは、フランスのベルリオーズの作品出版の歴史を持つ「スコタラ」という出版社を母体に設立され、特に特徴的なことは、宗教音楽やバロック音楽の発掘と普及に力をいれ、作品も非常に豊富なことである。ぼくが宗教曲やバロック曲を多く聞くようになったのも、エラートに関心を持ってからである。バッハのマタイ受難曲を全曲通して聞いたのもミシェル・コルボの指揮するものが最初であった。

 と、こんなことを思い出したのも、必要に迫られて、エラートの音のカタログカセット全9巻を聞き直しているからである。久しぶりにカセットテープの音を聞いたが、これがなんとも言えず良い音で鳴るのである。
 ある方に頼まれて、その方は教会でレコード・コンサートを企画されており(LPレコードにこだわって実施する)、30分くらいミサ曲とかコラールを紹介したいのだが、案を考えてほしいというのである。そのために改めて宗教曲のさわりを聞くのにカセットテープを取り出したというわけである。色々悩みながらも3案くらいを考えました。そのうちの1案をここに紹介します。
1)ペッヘルベル/カノン(パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団)
2)バッハ/マタイ受難曲より
 ・アリア、憐れみたまえ、わが神よ
 ・合唱、涙ながらに膝まずき
3)モーツァルト/ミサ曲14番「戴冠式」よりアニュスデイ
4)バッハ/主よ、人の望みの喜びよ
 (オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団:オーケストラのダイナミックな演奏)

 この案は、結構月並みな選曲となりました。  思い出しました! どこかにフランスのエラートが発行した豪華なカタログがあるはずだ。捜してみることにしよう。


ナスの栽培の実践結果(2008.9.20)

 豊田市農ライフ創生センターで研修を受けながら、我が家の畑でもナスの栽培を実践してきました。基本的なナスの仕立て方は、畝幅1m、通路1mの中に1列に植え、1株に付き4本の枝に仕立てています。現在は枝の高さが約1,5mになったところで止めています。そのナスの状況について、今日写真を撮って きました。上段の写真は研修で我々が栽培しているナスです。下段はそれを参考にしながら、ぼくが畑で栽培しているナスです。写真ではその違いは分かりにくいかもしれませんが、大きな差がついています。
 8月のお盆前までは順調で、両者にほとんど差が無く、我ながら腕をあげたものだと、ほくそえんでいたのですが我が家のナスは8月の下旬に入って、がたっと元気がなくなりました。あわてて手を打ってやっとここまで回復しましたが、樹勢がぜんぜん違います。研修のナスは、1枚1枚の葉も大きく、色も濃くて、枝も伸びています。
 自分では同じようにやっていても、結果がこれだけ違うということは、どこかに差が有るに違いありません。ということで講師の先生に状況を説明して相談してみると、大きく4つのことが異なっていることが分かりました。

1)ダニ対策が後手にまわった。
暑い乾燥状態が続くと、ダニが大量発生しやすいのですが、研修のナスはそれを予測して7月の下旬に、ダニ防止の消毒がされている。この消毒薬は、散布すると一旦なすが吸収して、そのナスの葉を害虫が食すると効果を表わすタイプのもの。したがって事前に手を打つことが大切。ぼくはこれが後手に回った。発生を見て手を打った。

2)お盆前のナスの剪定に差があった。
研修のナスはお盆前に、それこそ丸坊主といって良い程に、強剪定を実施した。ぼくは元気なのでそこまでしなくても良いかと思い、強剪定をしなかった。結果として、研修のナスは元気なうちに新しい枝が伸び、ぼくは後から強剪定をしたので、樹勢の回復が遅れた。

3)そもそもの植え方に問題あり。
畝幅は同じとしたが、通路を1mも取らず半分とした。現在のナスの根は、半径1.5mくらいまでに広がっており、通路が狭いと、隣を耕した時にナスの根を痛めている可能性がある。

4)追肥の肥料が異なる。
ナスは肥料を良く消費する植物であり、タイミング良く追肥することが必要であるが、通常のN,P,K肥料のほかに苦土の補給が大切。もちろん苦土入り肥料を追肥に使っているがそれだけでは不十分。研修では硫酸マグネシウムを単独で与えている。

 とりあえず、結果が違うことに対して以上のようなことが分かりました。何とか少しでも挽回して、10月いっぱいは収穫することを目標に頑張ります。
以上実践してみて、実感したことです。(聞くは1つのこと、行なうはもう1つのこと)


ジャック・マクダフのオルガンジャズ(2008.9.24)

 ジャズ・オルガン奏者というと大抵の人は(ぼくも含めて)、ジミー・スミスを思い浮かべるでしょう。ぼくも彼のアルバム「クレイジー・ベイビィ」のジョニーが凱旋する時という曲は好きで時々聞いています。彼のオルガンのスタイルは、足で刻むベース音が見事なウォーキングベースを奏で、手のほうはまるでバド・パウエルのピアノをオルガンに置き換えたようなスタイルで、ハモンドオルガンの音色そのものはアーシーな味を出すが、演奏そのものは 見事なモダンジャズである。ぼくは今まで、ジャズのオルガンと言うと、このジミー・スミスのスタイルしか聞いてこなかった。
 しかし今回、ジャック・マクダフの演奏するハモンドオルガンのアルバムBrother Jack McDuff plays for Beautiful Peopleをグットベイトで入手した。このアルバムは、1960年から1963年にかけてPrestigeから発売されたBrother JackとかScreaminといった6枚の代表アルバムから8曲を選曲して作ったオムニバス盤で1968年に発売されたものである。いわば、この当時の彼の代表作を収めたアルバムなのだ。
 この演奏を聴いてみると、同じオルガンジャズでもジミー・スミスとは似て非なるスタイルである。ジミー・スミスのアーシーなスタイルが、田舎の別荘を訪れて、そこの窓を開けたときに、ほのかに匂ってくる土の香りだとすれば、ジャック・マクダフのアーシーさは、田植えをする前に水を張って、トラクターのロータリーでかき混ぜた水田の、コテコテの泥の臭いがするのである。ジミー・スミスのピアニステックなタッチに比べ、ジャック・マクダフはリード楽器のように、ロングトーンを連ねながら、ブルース・フィーリングたっぷりの演奏をする。そういう意味では共演しているケニー・バレルとはうまく調和しているが。ハモンドオルガンのアーシーな音色に、奏法、歌い方もアーシーでハモンドオルガンらしさを十二分に引き出しているのである。
 こんなことに刺激されて、ジャズ・オルガン奏者を調べてみると、ラリー・ヤングという人が目に止まった。彼はAll Music Guideの評によると、ジミー・スミスがジャズ・オルガンでのチャーリー・パーカーというならば、さらにそれを改革したジョン・コルトレーンである、と書いてある。通常のオルガンジャズの枠を突破したハード・コアな演奏をするそうである。
 代表的なアルバムにユニティ、ヘブン・オン・アースなどがBNに録音されているようだ。初期のものでは、ヤング・ブルースがプレステージにある。ただ彼は38歳という若さで1978年に亡くなっているので、あまり多くのアルバムは残していないようである。
 ハモンドオルガンの音が苦手な人には、何を物好きなことやっているのだと言われそうであるが、知らないことに首を突っ込んであれこれと調べたり、音を聞いたりするのも、世界が広がって面白いものである。もっともぼく自身、この類のものを座右の名盤とするかといわれると、正直ちょっときついが。(ヤング・ブルースを入手して聞いているが、なかなか良い)


感動のアダージョ(2008.9.27)

 ぼくは大抵、午前零時を過ぎても起きていることが多く、そんな時は音楽を聞きながら読書をするのが好きである。気分的に落ち着きたい時は、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲を聞くことが多い。それも全曲を通して聴くのではなく、それぞれの曲のアダージョを好んで聞いている。ここでベートーベンが書いたアダージョは本当に素晴らしい。
 第12番では第2楽章に変奏曲として構成されている。この細やかな感情のこもった、ゆったりとした歌は、ぼくが一番良く聞くものだ。この変奏曲の歌い方は、それぞれの弦楽四重奏団の特徴とか、上手い下手が良く分かる曲と思う。その歌い方で言えばアルバン・ベルクの演奏したものが好みである。このCDはスピーカーの音の傾向を知るためのチェックに使うことも多い。
 第13番では第5楽章が有名なカヴァティーナである。「私が書いた一番感動的な曲」とベートーベン自身が言った、短い嘆きのカヴァティーナである。ベートーベンの晩年の寂しさをありのままに告白するような悲しみを感じる音楽である。
 第14番は曲全体が、最も神秘的で、最も清澄で、最も非地上的な四重奏といわれ、冒頭からベートーベンの祈りの声が聞こえてくるような気がする。この曲に限っては全曲通して聞くことが多い。この曲はベートーベンの死の8か月前に書かれた曲で、彼の生前に演奏されることはなかった。7楽章から構成されており、それが切れ目無く演奏される。一つの曲の七つのパートのように。この曲がぼくに響いてくるのは一体何か。彼の人生の苦難の中より到達し得た諦観の境地の表現ではないかと思う。その中でも第4楽章が素晴らしい。スメタナ弦楽四重奏団のLPは、ぼくが最初に買ったベートーベンの弦楽四重奏曲である。
 第15番では第3楽章がそうである。「病癒えた者の、神に対する聖なる感謝のうた。リディア旋法による。」と解説している。もうここでは大きな声を出す事もない、広い心の世界である。
 第16番では第3楽章がそうである。深い悲しみに声もなく涙して、という感じである。本当に静かである。この16番も全曲通して聞くことが多い。
 ベートーベンの弦楽四重奏曲・全曲を持っているのは、アルバンベルク、スメタナ、ベルリン、メジチ、バリリ弦楽四重奏団の演奏である。

 モーツァルトに明るいということは知らない。モーツァルトは本当に僕には悲しい音楽に聞こえる。ハ長調でもト短調でも。長調の三和音でもって、きれいに並んでいるのに、あんなに哀しい感じがするのはどうしてかと。僕のいう哀しさとは、やはりある種の純粋さですね。ベートーベンの書いたアダージョになってくると、人の顔がまさに泣いて涙が見えるような、モーツァルトの場合は涙にしても目が潤んでいるという程度だが。(吉田秀和 音楽を語る)
 モーツァルトというのは、どんな力強いフレーズでも、あくまでも優しさとしなやかさを失わぬように取り扱う必要があり、一方、甘美な旋律の数々も、表情をつけ過ぎてべとついてしまったり、重くなるのは禁物である。(佐川吉男 ジュリアードSQの解説書)
 モーツァルトの弦楽四重奏「ハイドンセット」その中でもK387をベートーベンと対比して聴いてみると、両者が言っている事が大変良く判る。自分の心の在り様でどちらが素直に心に入ってくるか決まってしまう。


カズちゃんの結婚式&1年間の感謝(2008.9.28)

 会社時代にビッグバンド・ジャズのファンであったカズちゃんの結婚式が、昨日名古屋でありました。ぼくも招待されたのでメッセージを持って、行って来ました。

 カズちゃん、結婚おめでとう。結婚式に招待してくれて大変ありがとうございます。ぼくも、会社を離れて生活しているので、なかなか君と会うこともないので、少しおしゃべりをします。
 誰でも生を受けた時から、時という道を馬車に乗って走り出します。この馬車は止まることはありません。しかも、どこに向かって走るのかは、乗っている人が指示しなければなりません。
 しかし、地図とコンパスがなければ、どこに向かって走り出したのかは分かりません。幼い頃は両親が、地図とコンパスでした。しかし今は、一人で馬車を走らせています。ぼくも少しの間、君と併走して、走りっぷりを見てきました。多少よろけることは有っても、とても頑張って走ってきたと思います。
 結婚すると、二頭立ての馬車に、御者が二人いることになります。お互いが信頼して、交代で馬車を走らせれば、楽しい旅となるでしょう。しかし意見が合わないと、行き先が定まらなくなります。
 もちろん今は、相手が信頼できるから、二頭立ての馬車に乗ることを決めたのだと思います。その初心を忘れないようにしてください。そして方向を決める時には、私にとって良いのは何か、ではなく、二人にとって良いのは何か、ということを考えてください。
 まぁ、こんな堅い話は、一度目を通したら忘れてください、そして何か道に迷った時に思い出すと、頭が整理できるかもしれません。
 仕事の発表準備で頑張っている君と、焼き鳥を全部食べようと頑張っている君が、ぼくには目に浮かびます。
・・・・・
 若い二人の門出に立ち会うことが出来るのは、大変良い刺激になります。

 ところで、ぼくのこの雑記帳も今月で丁度1年になりました。ぼくの予定では、新聞のコラムでも半年で交代するのだから、半年は何とか続けようと思っていましたが、大橋店主より自分のペースで良いから長く続けてくださいと背中を押されてここまで来ました。自分でも驚いています。大橋さんに感謝です。
 この雑記帳を読んでくださる方がどのくらいいるかは分かりませんが、ぼくは正直言ってあまりそんなことは意識せずに、自分の楽しみのために書いてきました。しかし1年経って振り返ってみると、少しマンネリ化しているのではないかという気もしています。
 このまま続けるべきか、引き際を考えるべきか、考えを巡らせようと思っています。いずれにしてもここで一息入れようと思っています。皆さん1年間お付き合い有難うございました。





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