ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
山川出版社の世界史リブレット(2009.11.1)

 今日は久しぶりに朝から雨である。天気の良い日は毎日畑に出かけているのだが、雨になったので古書店を覗きに行った。古書を探すというのは、そこに何が待ち受けているか、一期一会の出会いのようなもので、思いがけない出会いが楽しみの一つである。そんな中で見つけたのが山川出版社の世界史リブレットである。
 山川出版といえば歴史に関する教科書とか、日本史、世界史等のシリーズものを多く出版し、ぼくも「世界現代史」全32巻の大部分を持っている。このシリーズが刊行されたときに、本屋に全巻を注文し順次配本されたが、完結までにかなりの年月を有し、途中で途絶えてしまったような気がする。だから何巻そろっているのか記憶がない。

 その山川出版の本がひとかたまりになって棚に並んでいた。タイトルを眺めていて目に留まったのが、小島毅著「東アジアの儒教と礼」という本である。わずか100ページ弱の冊子であるが、内容を眺めると、「御礼」、「失礼」などといって使っている「礼」という言葉の由来から、それが東アジアにどう浸透して、結果どうなったのか、中国における礼の概念の起源までさかのぼり、儒教の成立とともにこの語が担うようになった重みや、変遷にまでさかのぼって解説している。
 ぼくはこういう専門家が、一つのテーマについて多面的に掘り下げて語ってくれる本が大好きなので、これは買いだと思った。そして次の興味あるものを探した。細川滋著「東欧世界の成立」には、「東欧はスラヴ人を中心とする地域ではあるが、ルーマニア人などさまざまな民族が居住し、宗教的にも複雑で、民族が分断された地域でもある。東欧の歴史を振り返り、現在の東欧の諸問題を考える手がかりを探る」とある。澤井繁男著「ルネッサンス文化と科学」には、人びとの心を惹きつける時代、ルネサンス。古今東西様々な解釈の中で、「私」や自然をめぐるコスモロジー、短編物語や自伝といった散文作品を素材に、ルネサンス文化の世俗性と新奇さを読む」とある。
 このように、これは買う、これは買わない、とタイトルなどを眺めながら層別していたが、途中で自分の層別基準は何かと思った。どうやら過去にこういうテーマに興味を持ったとか、この地域を旅行したとか、何らかの理由で身近に感じるものを買いとし、そうでないものを買わないと層別しているようである。しかし、今はそう思っていても、この本を読んだら新たに興味がわくこともあるのではないかと思い直した。何といっても、山川出版には申し訳ないが、100円均一で買えるのである。
 ということで本棚にあった17冊を全部買ってきた。2日で1冊読んでも1ヶ月はかかりそうだ。家に帰りぱらぱらと目を通してみると種田明著「近代技術と社会」という本が面白そうなので、これから取り掛かることにする。それと、これ以外に今日入手した本は、「モーツァルト」吉田秀和著、講談社学術文庫である。これも楽しみな本である。今はカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルの演奏するモーツァルトの交響曲、29番、35番、38番、39番を聞きながらこの雑文を書いている。


黄色いミニトマト(2009.11.2)

 もう11月だというのに、まだ黄色いミニトマトが露地植えで実をつけている。トマトは十分な光があれば比較的寒さにも耐え、この調子であれば霜が降りるまで収穫できそうである。今年のトマトは春先に大玉トマトのホーム桃太郎とサターンを植えつけた。結果は第1段目の実の収穫はプロでも満足できるくらい良いものが取れたが、2段目、3段目は尻腐れが発生し全滅した。その後の手当てで4段から6段まで何とか収穫できたが、トマト栽培の難しさを身を持って体験した。しかしこの失敗で今まで気づかなかったことも多く勉強したので、自分としては来年につながると思っている。
 このミニトマトは、農ライフで栽培しているミニトマトの脇芽をもらって挿し木したものを7月の下旬に植えつけたものである。この時期にミニトマトを植え付ける人はいなく、今から植えて収穫が出来るのかと心配する人もいたが、ぼくの先輩が昨年11月までトマトを露地で栽培していたのを見ていたので出来るはずだと、ミニトマトでチャレンジしてみたのである。結果は予想以上に上手く行っている。露地の栽培では、雨よけがないので長雨が続くと、色づいたミニトマトが割れてしまうという不具合もあった。8月にはダニとタバコ蛾の幼虫の被害もあったが、何とか乗り切った。
 この黄色いミニトマトは大変甘味が多いので、野菜というより果物に近い味がする。ぼくの知人が子供をつれて野菜畑にやって来て、ミニトマトを収穫する体験をした。子供は自分が収穫したということで食べてみると甘く、これでこのミニトマトのファンになった子がいる。また隣の畑に親と一緒にやって来る2歳の女の子もこのミニトマトのファンで、ぼくの顔を見ると一緒に収穫しようという。それ以外にもこのミニトマトを待っている子供が2人もいる。ということで、このミニトマトには小さいファンが沢山ついているので、何とか少しでも長く収穫できるように神経を使っている。
 こんなに喜んでくれる、子供たちが沢山いるのならば、来年もさらに今年の経験を生かして、5月頃から11月まで収穫できるように工夫を凝らして作ってみようという気になる。昨今なかなか野菜を食べない子供が増えている中で、ミニトマトを通じて野菜好きの子供が増えるならば、ぼくには嬉しいことである。
 ぼくにとっては、ファンがついてくれる、幸せの黄色いミニトマトである。


音楽(レコード)の聴き方(2009.11.4)

 昨日久しぶりに名古屋に出かけた。オーディオ仲間の方とコンサートを聞きに行ったのであるが、その前に大須のパーツ屋さんで簡単なスピーカーのネットワーク用の部品を買い込んで、その後中古レコードショップにLPを探しに行った。ネットワークはKEFのC75スピーカーに追加して使用するJBLのツイータの周波数とアッテネータ用の抵抗の値を決めたからである。レコードのほうはモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364のLPを入手したかったからである。


 このモーツァルトの曲は、先日ある偶然がきっかけでジェラール・ジャリ、ジャン・ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)、セルジュ・コロ(ヴィオラ)、パーヤール指揮、パイヤール室内楽団の演奏するLPを入手し、その音楽を聞いて大変気に入ったので、演奏として評価の高かったブランディス盤かスーク盤、シェリング盤を入手したかったのである。数件の中古店を廻った中でスーク盤を見つけたので買ってきた。
 パリの旅行先で最愛の母をなくしたモーツァルトが1779年1月に悲しみを背負ってザルツブルグに帰郷した。その年の夏から秋に書かれたと思われているのがこの協奏交響曲である。この曲の第2楽章は、こういったモーツァルトの心境を表わしているかのように連綿とした哀愁が漂い、ヴァイオリンとヴィオラの唄う旋律を聴いていると、やるせない寂しさを感じる。
 家に帰り、さっそくネットワークを組み立てて、C75にツィータを追加して音を出してみる。今までよりもカットオフ周波数を3Kヘルツ下げて6Kヘルツとしたので、JBLのツイータのイメージが強く出て、買ってきたLPのスークのヴァイオリンが前にせり出して鳴っている。バランスを探るためにアッテネータの抵抗を微調整し6Ωに決めた。これで、ぼくにとってはまことに気持ちの良いようにスピーカーが鳴っている。調整をこの2枚のLPのみで行ったので、他の演奏の時にどうバランスするか心配な面もあるが、当面はこの曲が気持ちよく聞ければそれでよいと思って割り切った。そして昨日から今日にかけて、この2枚のLPをとっかえ、ひっかえ何回も、何回も聞いている。全体の演奏のバランスとしてはパーヤールのほうが良いが、何といってもスークのグリュミオーとはまた違った澄んだ音色の優雅な響きのヴァイオリンが哀愁を誘う。
 ぼくが新たな音楽を、LPで聞くきっかけの一つがこのようなものである。何かのきっかけで1つの音楽に注目し、それがどの様なきっかけで作られたものか、それの演奏で世評の高いものは何か、などの予備知識を得て音源を入手し自分で聞いてみる。それで何かの感動を得るかどうか。さらにはその音楽を気持ちよく聞くためにカートリッジの選択などで再生する装置のチューニングをし、音の変化を楽しむ。そんな音楽の聴き方をすることが多いのである。


懐かしい蓄音機で遊ぶ(2009.11.6)

 ぼくが物心のついた頃に、我が家にはコンソールタイプの電蓄が置いてあった。祖父が買ったのか、父が買ったのか定かではないが、これでラジオを聴いたり、浪花節のSPがかかったりしたのを記憶している。そして故障すると知立にあった電気屋さんがやって来て、テスターであちこちをチェックし、真空管、コンデンサー、抵抗などを取り替えて直してしまう。何も分からないぼくには電気屋さんが、悪いところを診断し修理してしまうのが不思議で仕方なかったのを記憶している。SPレコードなどは勝手に触らせてもらえなかったぼくは、SP用の鉄針を持ち出して麦わらの先に取り付けて、円の的を作って、ダーツのように投げて遊んでいた。隣の家にはこれよりも古い、ゼンマイ式の蓄音機があり、SPをかける前にハンドルでゼンマイをぐるぐる巻くのをやらして貰った。

 SPレコードにはそのくらいの記憶しかないが、先日ジャズ喫茶「グッドベイト」に行った時に、SP再生の経験が大変豊富なK谷さんにお会いした。色々話していると、数年前に手ごろな蓄音機を何台か輸入し、そのうちの2台がまだ手元にあるので1台譲っても良いという話になり、手ごろな値段で譲ってもらった。それが写真の蓄音機である。譲ってもらった蓄音機にはホーンがついていなかったので、簡易に出来るホーンを作って音を聞きたいと思ったので、さっそく作ったのが取り付けてあるホーンだ。このタイプのホーンは人間の声の領域の音は、大変音圧も高く再生するので、びっくりするくらい大きな音で聞こえる。但し少し声がこもるようである。心配した低音も、そこそこ再生する。このへんのホーンの作り方については色々と検討する余地がある。朝顔型のホーンを作ってみたい気もする。
 SPの音源は、我が家にも、浪花節、漫才、流行歌に分類されるものが何枚かあったが、残念ながら数年前にぼくが処分してしまった。そこで、岡崎にあるリサイクルショップまで出かけて適当なものを9枚買ってきた。
 ・ドナウ河の漣、フィドラー指揮、ボストンポップス、ビクター
 ・美しき天然 他、キング・オーケストラ、キング
 ・マイアミ・ビーチ・ルンバ 他、ザビア・クガート、コロンビア
 ・キス・オブ・ファイアー 他、ラルフ・フラナガン・オーケストラ、ビクター
 ・黄色いリボン 他、ビクター・オーケストラ、ビクター
 ・野薔薇 他、辻 輝子独唱コロンビア・オーケストラ、コロンビア
 ・ヘイヘイ・ブギー 他、笠置シズ子、コロンビア
 ・六段、宮城道雄、ビクター
 ・落語;亭主関白、古今亭志ん生、テイチク

 これを現代の電気式カートリッジと、このサウンドボックスを持った機械式蓄音機で聞き比べてみると、どこにマジックがあるのか、ぼくの装置では圧倒的に蓄音機のほうが、音がヴィヴィッドに聞こえる。それにしても懐かしい音である。蓄音機というのは、音をチューニングしようと思うと、あらゆるところに可能性があるようである。しかし当分はあまりのめり込まないようにしようと思っている。


ジャズとクラシック以外のLP(2009.11.10)

 中古レコードのジャンクコーナーを覗くと、LPが分類もされずにごちゃごちゃと入っている。その中からジャズとクラシックを中心にLPを探しているが、時にはそれ以外のものにも手を出す。
 タンゴ音楽
 ぼくはタンゴの歯切れの良いリズムが好きである。コンチネンタルタンゴではマランド楽団やアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏する、碧空、ジェラシー、オレ・グァッパなどの演奏を良く聞いた。哀愁を帯びたスマートなコンチネンタルタンゴに対して、アルゼンチンタンゴはより情熱的で素朴である。代表曲は何といってもラ・クンパルシータであろう。こういったキーワードに引っかかるLPがあるとつい手が止まってしまう。

 今回もアルフレッド・ハウゼのコンプリートコレクション10枚組とOdeonレコードの音源によるラ・クンパラシータの演奏2枚組(24曲)を入手した。

雅楽

 雅楽などというものは、一般的には日常の生活の中には存在しないと思うが、ぼくの住んでいる地域には雅楽の楽団があり、我が家の隣人は笙という楽器のリーダーをやっていたので、お祭りとかの時期がやってくると、隣から練習する笙の音が聞こえてきて季節を感じたものである。現在でも年に5回くらい、神社やお寺で演奏が行われている。楽団のメンバーである友人に聞いてみると、現存している楽譜は20曲くらいあるそうだが、実際に演奏するのは10曲程度のようである。新しいメンバーが加わると、まず越天楽を3ヶ月くらい徹底的に練習して、譜の読み方や演奏の間の取り方を習得するようだ。今月末にも彼らの演奏を聞く機会がある。入手したLPは宮内庁の雅楽部による演奏である。


ヘレン・シャピロ

 ヘレン・シャピロはぼくらとほとんど同年代の、イギリスのポップ歌手で、彼女が14歳で「子供じゃないの」でデビューしたときには、そのキュートな容貌とは対照的な太い男性のような声で歌う曲に夢中になったものである。彼女の歌を国内で歌ったのが弘田三枝子である。このLPは今から26年前の、彼女がデビューして12年目の26歳の時に作られたアルバムである。眺めていて当時を思い出し思わず手にしたものである。
 これ以外に浪曲とか演歌、J-ポップ、ラテン、フラメンコギターなどにも手が出ることがある。長いこと生きていると、色々な事が頭に詰っている。





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