|
ぼくが昔、抒情詩を書いて詩集にし、そのタイトルを「夢と憧れ」とつけ、夢とはかなわぬ現実であり、それに憧れるとは、悲しいけれどあきらめることかと、かなりメランコリックな気分であったころ、その自分の気分に妙にピッタリだと思って聞いていたのが、Fresh Soundから発売されたThe Al Haig TrioというタイトルのCDの冒頭に収められている曲、Autumn In New Yorkである。
このCDのオリジナルは、Al Haig Jazz will-o'-The WispというタイトルのLPで、Al Haig(p)、Bill Crow(b)、Lee Abraams(d)というメンバーで、1954年N.Y.での録音である。ぼくがこのアルバムを聞くようになったきっかけが何であったかはっきりしていないが、ピアノトリオ、スタンダード曲、ビル・クロウなどの言葉を頼りに店頭買いしたものと思う。
ビル・クロウの軽めではあるが、ミンガスを連想させるようなベースに乗って、ヘイグのこれも軽いタッチではあるがエッジの立った、よく聞くと深い感じの寂寥感すら漂うメロディーラインの演奏は、本当にメランコリックな気分によく合うのだ。それが冒頭の曲を含めて、このアルバム全体に漂っている。とても印象的なCDだ。
次にアル・ヘイグを強く意識したのは、Prezervation!/Stan Getz&AL Haigというアルバムである。このアルバムにはアル・ヘイグの初期のピアノトリオでの演奏が3曲含まれており、バド・パウエル風のバップピアニストの側面が強く出ているのと、ゲッツのリズムセクションとしての活躍が収められている。1949年~1950年にかけての録音。
どこか心に引っ掛かるピアニストであるアル・ヘイグの、ぼくの持っているアルバムを列挙します。(といっても、そんなにたくさんあるわけではないが)
「LP」
1) Prezervation / Stan Getz & Hl Haig、Prestige 1949&1950
2) Jazz will-o'-The Wisp / Al Haig Trio、Esoteric 1954
3) Today / Al Haig Trio、Del Moral 1965
4) Invitation / Al Haig、Spotlight 1974
5) Interplay / Al Haig、SeaBreeze 1976
「CD」
1) Al Haig Trio (Esoteric)、Fresh Sound 1954
2) Al Haig Trio (Period)、Fresh Sound 1954
3) Al Haig Quartet(Period)、Fresh Sound 1954
4) Special Brew / Al Haig Jimmy Raney Quartet、Spotlite 1974
5) Bebop Live / Al Haig、Spotlite 1982
LPの2)とCDの1)は同じ内容である。CDの2)は1)と同じメンバーの同じ日の演奏であるが、よりバップ色の強い曲で構成されている。LPの4)は英国でのヘイグの再起アルバムであるが、演奏も録音も素晴らしく、彼の代表作と言われている。CDの5)は彼が亡くなる年に録音されたライブアルバムで、ビバップの名曲がずらりと演奏されている。
ぼくがアル・ヘイグについて書こうと思ったのは、遅まきながらJazz will-o'-The WispというLPを最近入手し、ピカリングのカートリッジで気分よく聞いているからである。彼の作品は全部集めるぞ!というような心意気はないが、目の前にあればつい手が出る演奏家である。

少し話しておきたいことがあったので、午後から農ライフの松山先生(仮称)を訪問したところ、"Sさん丁度良いところに来ましたね。今日の午前中の研修時に、研修生の松田さん(仮称)からあなたの噂を聞いたところですよ"と話が切り出されました。何事かと話に耳を傾けると、先日松田さんが、地元の役員仲間の会合時に、メンバーの一人の鈴井さん(仮称)がトマトを持ってきた。それを仲間で食べたところ、久しぶりに美味しいトマトを食べた。これは誰が作ったトマトかと鈴井さんに聞いたところ、鈴井さんの奥さんがSさんの作ったトマトをもらってきたのだと教えてくれた。Sさんというのは、農ライフでナスの栽培の講師をしているSさんと聞いたので、ナス以外にトマトの作り方も教えてもらわなくては!と松田さんが話したというのだ。松山先生は、そんな噂の立つようなトマトであれば、ここにも2~3個持ってきてくださいと、ぼくにリクエストされたのだ。
鈴井さんの奥さんというのは、ぼくの農ライフでの研修の同期生で、今年ぼくが張り切ってトマトを栽培したのも彼女たち同期生のリクエストに応えるためであった。できたトマトを鈴井(女)さんが家に持ち帰りパスタ料理と合わせたところ大変好評だったとぼくに教えてくれた。そして是非お盆休みに家族が集まった時に、同じ料理を振る舞いたいのでもっとトマトを分けてほしいと頼まれたのだ。ところが後日の鈴井(女)さんの話によると、パスタを作る前に地元の役員仲間がトマトを試食したところ、美味しい美味しいと言って食べてほとんどなくなってしまったというのだ。そしてこのトマトの美味しさがちょっとした話題になったという。
ぼくは鈴井(女)さんからこの話を聞いて、それならばパスタ用にもう一度トマトを持って帰るように勧めたところだった。今年は上記のような事情もあってトマトを30本も植えたので、家で食べるには十分すぎる程なので、リクエストのあったメンバーにはトマトを持ち帰ってもらっているのである。(メンバーに苗代などを一部負担してもらっている)
以上のような事情で、話が回りまわって松山先生の耳に入り、トマトをリクエストされたのだ。ところが残念なことに、つい2~3日まえにトマトの全収穫を終えてしまったので、トマトの味が本当に美味しいものかどうかを松山先生に試食してもらって評価してもらうことができないのである。
ではぼくの作ったトマトは、本当に評判になるほど美味しいのでしょうか。自分ではそれは過大評価だと思っています。普通に美味しいトマトだと思っていますが、たまたま美味しい食べ方で食べたので、美味しく感じたのだと思います。では美味しい食べ方とはどんなものでしょうか。
・普通の市販されているトマトは完熟させていませんが、ぼくのトマトは完熟させて収穫しているので、うまみ成分であるグルタミン酸の量が多少多い。
・たまたま冷蔵庫などで冷やさずに、トマトを丸かじりしたので、種の回りのゼリー部分に多く分布しているグルタミン酸を、適当な温度で食したので、敏感に感じることができた。
というような理由だと思っています。トマトは畑で丸かじりするときが一番美味しく感じます。料理に使う時も、皮も、種も捨てずに全部利用すると美味しいです。
というわけで過大な評価と思っていますが、言われるのは悪い気はしませんね!
それと、今年もトマトを作ってみてまた新しい発見というか、改善すべき点が見つかったので、ぼくにとってはそれが一番の収穫であると思っています。トマト作りも経験すれば経験する程わからないことが見つかって、なかなか奥が深いと思っています。

マイルス・デイヴィスのラウンド・アバウト・ミッドナイトというアルバムのオリジナル盤を入手したので、1曲目のラウンド・アバウト・ミッドナイトに針を落としてその音を確認した。録音レンジは、ややかまぼこ型であるが、輪郭のはっきりしたマイルスのトランペットの音色はやはり気持ちが良い。それにもまして演奏が素晴らしい。実は録音だけでいえば、マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツというプレスティジのアルバムに同じギル・エヴァンスの編曲によるラウンド・アバウト・ミッドナイトが収録されており、録音はルディ・ヴァン・ゲルダーであり、オリジナル盤のこちらの録音の方がはるかにぼくの好みの音である。ヴァンゲルダーの録音した、マイルスの突き刺すようなミュート・トランペットの音は快感だ。しかし演奏は前者の方が上である。
というようなことがきっかけで、マイルスのアルバムを引っ張り出して聞き始めた。この際どのくらいマイルスのアルバムがあるかチェックしてみたら、ざっとLPとCDを合わせて50枚くらいである。ぼくの手元に中山康樹さんが書いた「マイルスを聴け!2001」という本があり、これと照らしてみるとまだまだ数分の一しかないことがわかる。それとぼくの持っているアルバムは、1960年代までのものがほとんどで、1970年代以降の作品は10枚程度しかない。(ぼくは8ビートが苦手)
マイルスのミュートプレイをしっとりと聞くのに好きなアルバムにSomeday My Prince Will Comeというのがあります。ディズニ映画「白雪姫」から「いつか王子様が」と訳されるこの曲のマイルスの演奏は、ぼくの好きな曲の一つです。このアルバムのテナーはハンク・モブレーですが、この曲に限ってはジョン・コルトレーンが参加して演奏しています。さらにウイントン・ケリーのピアノもしっとりと演奏しています。という思い入れのある曲ですが、不思議なことにこのアルバムのLPをなぜか持っていないことに気づきました。Amazonを覗くとWax TimeよりLPが再発されているので、入手することにしました。
中山康樹さんがこのSomeday My Prince Will Comeというアルバムについて解説している文に、雑誌などで"私の愛聴盤"についての紹介コーナーがあり、いろいろ書かれているが本当かよ!と言いたくなると述べている。彼によるとアルバム1枚がまるっと好きでよく聞くという事が本当にあるのかという事である。多くの場合そのアルバムの中のこの1曲が愛聴曲であるという事ではないか、それであれば"私の愛聴盤"ではなく"私の愛聴曲"ではないかという主張である。確かにそういわれてみれば、多くの場合このアルバムが好きだと言った時には、その中の特定の1曲をイメージしていることが多く、常にアルバム全体を通して聞くという事は少ない。理屈と言えば理屈であるが彼の言うことにも一理ある。しかしそんなことにあまり厳密にこだわらなくても良いのではないかという気もするが。LPの場合は、CDと異なり、この1曲だけということは少なく、多くの場合は片面前部に針を通して聞くのではないか。
ぼくの場合、LPの片面だけでなく、両面通して聞きたくなるようなアルバムがあるだろうか。それがあるのである。ライブ録音の名演とされているLPは、ついつい両面聴きたくなる。印象に残っているLP挙げると、
1.「バードランドの夜」アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ BN'54
2.「キャノンボール・イン・サンフランシスコ」Riv'59
3.「バルネ」バルネ・ウィランRCA'59
いずれも1950年代のライブ録音であるが、この熱気に充てられると片面で終わってしまうのはもったいないといつも思う。
