ジャズ・オーディオの雑記帳
 by 6041のS
九月になっての買い物(2012.9.5)

 まだまだ暑さは続いていますが、それでも8月に比べれば、夕方になれば涼しさを感じるようになりました。そこで古本屋とかCDショップなどを覗いてみる気になりました。音楽関係でいうと、不思議とクラシックに関する本とかCDを入手することになりました。いずれも古本屋とかCDショップで廉価に売られていたものを店頭買したものです。とくにCDはショップが店じまいするという事で大幅バーゲンセールをしていたものです。ということで、いずれもたまたま入手したものです。
 まずは本から紹介します。
・真実なる女性クララ・シューマン、原田光子著、ダヴィッド社、1970
日本人の著者が、昭和16年という時代に書いたクララ・シューマンの伝記である。非常に緻密な伝記となっている。

・ある長老ピアニストのひとりごと、田村宏著、ショパン、2009
日本の草分け的ピアニスト、田村宏さんが書かれた回想録である。
当時の日本の事情が詳しく淡々と描かれており、興味深い。

・反音楽史・さらばベートーヴェン、石井宏著、新潮社、2004
音楽史と言えば、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから始まり、ドイツの作曲家ばかり出てくるというのが定番であり、面白くもなんともない、こんな音楽史はもういい加減に卒業した方が良い。そう思っている著者が書いた既存の音楽史への批判である。

・リヒテルと私、河島みどり著、草思社、2003
この本はとにかく面白い。1970年からリヒテルの亡くなる1997年までの27年間、通訳としてまた家族の待遇で扱ってもらった著者が、リヒテルの演奏活動とその日常について語ったものである。リヒテルにまつわる興味深いエピソード満載である。
と書いたが、「リヒテルと私」という本以外は、まだろくに目を通していません。

次はCDの紹介です。
・ハイドン、弦楽四重奏曲「皇帝」「日の出」ほか、タカーチ弦楽四重奏団、DECCA
・ショパン、ワルツ集(全17曲)、ジャン=マルク・ルイサダ、DG
・シューベルト、ピアノソナタ第21番ほか、ダニエル・バレンボイム、DG
・シューベルト、即興曲集D899&D935、ダニエル・バレンボイム、DG
・モーツァルト、弦楽四重奏曲第17番&第19番、メロス弦楽四重奏団
 こちらはまだ全然音を聞いていません。弦楽四重奏は色々な演奏を聞いてみたい。ルイサダは好きなピアニスト。シューベルトのピアノ曲はじっくりと聞いてみたい。そのくらいの動機で入手しました。とにかく安かったから。


キャノンボール・アダレイのこと(2012.9.10)

 先日マイルス・デイヴィスのMILESTONES(Columbia)というアルバムの同名の曲を聞いていて、マイルスは当然として、キャノンボール・アダレイの演奏の素晴らしさに嬉しくなっていました。1963年に来日した時に、ぼくは彼の演奏を聴いて、そのエネルギーに圧倒されてファンになった一人です。その時のメンバー構成は、キャノンボール・アダレイ(as)、ナット・アダレイ(tp)、ユーゼフ・ラティーフ(ts、fl)、ジョー・ザヴィヌル(p)、サム・ジョーンズ(b)、ルイ・ヘイズ(ds)です。これはCannonball Adderley Sextet In New York(Riverside)という1962年に出されたアルバムと同じ構成であり、早速このアルバムを購入し、ライブの余韻に浸ったものです。
 キャノンボール・アダレイは1928年9月15日フロリダ州タンパ生まれ、1955年26歳の時にニューヨークに進出し、カフェ・ボヘミアでの飛び入り演奏で一躍脚光を浴びた。それにより1955年に録音したのがケニー・クラークのアルバムBohemia After Darkである。その後弟のナット・アダレイとコンビで自分のコンボを持ち、EmArcyにSophisticated Swingなどのアルバムを残すがあまりヒットしなかった。1957年に自己のコンボを解散したのち、マイルスのコンボに参加し、1958年に録音したのが冒頭のMILESTONESというアルバムである。そして実質マイルスのアルバムであるSometin' Elseを彼の名義でBlue Noteに録音した。
 1959年にはマイルスを除いた、マイルス・コンボのメンバーと録音したのが、Cannonball Adderley Quintet In Chicagoというアルバムで、ここではジョン・コルトレーンと負けず劣らずの名演をしている。そのあとマイルスの名盤Kind Of Blueを録音している。1959年の秋にマイルスのグループから退団したのち、再度弟のナット・アダレイとコンボを結成し活動を始める。その最初のライブ録音がThe Cannonball Adderley Quintet In San Franciscoである。
 レギュラーメンバーはNat Adderley (cor)、 Cannonball Adderley (as)、 Bobby Timmons (p) 、Sam Jones (b) 、Louis Hayes (d)であり、ボビー・ティモンズの作曲したジス・ヒアという曲はこのグループの代表的演奏曲となる。1960年には同じメンバーによるThem Dirty Bluesというアルバムが発表になり、ナット・アダレイの作曲したワークソングが、これもこのグループの代表曲となる。
 1960年と1961年には欧州に演奏ツアーに出て、Cannonball Adderley Paris 1960Live Pleyel & OLYMPIAというアルバムを残しているが、この時のメンバーは、ピアノがボビー・ティモンズからビクター・フェルドマンに交替している。
 その後ピアノがジョー・ザヴィヌルとなり、新たにユーセフ・ラティーフ(ts、fl)を加えて3管編成とし、このメンバーによるライブ録音が1962年に発表されたのがThe Cannonball Adderley Sextet In New Yorkというアルバムである。そしてこのメンバーで1963年に日本公演が行われ、ぼくも名古屋公演を聞いたのである。この日本での公演のライブ録音がThe Japanese Concertsというアルバムである。
 その後このグループはオーバーファンクと言われるほど、演奏が極端になりその代表アルバムが、1966年に発表されたMercy,Mercy, Mercy! :Live At "The Club"である。これ以降は実質的な音楽監督であるジョー・ザヴィヌルのもとに、フュージョン化に突っ走り、ぼくは個人的には魅力を感じなくなった。そして1975年に46歳の若さで卒中に倒れ亡くなった。
 チャーリー・パーカーの再来と言われたキャノンボールであるが、こうしてみると、ぼくが1963年に日本公演を聴けたのは、彼の頂点に遭遇したという幸運に恵まれたようである。もちろんここに挙げたアルバムは持っています。




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